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『神殿権威批判』(マルコ福音書11:27〜33)

2019.08.26(20:56) 394

『神殿権威批判』
(2019/8/25)
マルコ福音書11:27~33

神殿の権威を守るため
彼らの「何の権威でこのようなことをするのか?」という問いに対し、イエスは逆に「ヨハネの洗礼は、天からのものだったのか。それとも、人からのものだったのか?」と問います。祭司と律法学者たちはその場で論じ合います。この論争の中でおもしろいことに彼らの一番の関心が自分たちの立場を守ることに集中していることがその相談から、明らかにされているところです。彼らにとって一番重要なのは興味を示しているのは彼らが直接被害を受けるかどうかだったのです。彼らは「ヨハネの洗礼が神のものか人のものであるか」という問いに対して、答えることができませんでした。福音書の記述によれば、神のものと答えても、人のものと答えても、自分たちの立場を無くすので、答えることが出来なかった、と記されています。
 しかし、もう一つ理由があったのではないか、と感じます。それは、神殿とローマ帝国の権威の関係についてが頭にあったのではないか、ということです。ヨハネ、バプテスマのヨハネの権威は、ヘロデによって処刑されてしまっていたとはいえ、民衆にとっては疑う余地のないものでした。その権威について、神のついてのものであるとすれば、なぜローマ帝国の権威に抵抗して、戦わなかったのか、ということになるでしょう。そして、人の権威、つまり何の力もない、ということになれば、民衆に対する自らの権威をも否定することになり、民衆の反発を買うことになるでしょう。
 要するに、神殿に使える祭司たちとしては、自分たちの権威がどういった性格のものか、どういった強さのものか、なるべくならば触れたくなかった。どこを叩いても、埃がでてくるような状況だったわけです。そして、どうしてそのような状況であったのか、と言えば、神殿のトップである大祭司の任命権はローマ帝国が持っているような状況だった。そして、様々な派閥、ファリサイ派やエッセネ派などもいて、別に神殿がなくても、ヤハウェへの信仰、祭儀、律法を守る形があって、絶対でなく、相対化されていた、ということでしょう。

神信仰の課題として
 権威が絶対ではなく、相対化されている、ということは、どういったことになるのか。それは、その存在によって、立場が変わってしまうということです。例えば、よく日本は多神教信仰心があって、キリスト教は、唯一神信仰だということを言われます。しかし、考えてみますと、たった1人、一つの存在の神さまを信じるという信仰のあり方も二つあって、唯一神信仰というのは、基本的には、他の神の存在を認めない形の信仰、宗教の形です。そして、拝一神信仰というのもあって、これは多神教を認めるけれども、自分が信じる神さまは、ただ1人、一つだ、というあり方なのです。
 キリスト教的に言えば、唯一神信仰が強く、全面に出ているようですが、基本的に現代社会においては、拝一神信仰である、と言えるでしょう。話を戻して、神殿祭司たちはどういった考え方をしていたのでしょうか。
旧約聖書、そして律法(モーセ五書)によって解き明かされている神信仰の形は、拝一神信仰です。それは、様々な民族が当たり前のようにもっている神信仰の一つと言えるでしょう。民族にとっての神であってその神は他の民族には関係ない、という姿勢です。しかし、それが異民族との関係によって変化することがあります。それは、民族同士の戦争によって、一方の民族が、もう一方の民族に勝利して、支配した、というときです。古代オリエント社会において、民族同士の戦争は同時に、その民族の神同士の戦争でもあるわけです。すると、勝った側の神は、負けた神の上位に位置されるとか、神自身が死ぬこと、神の存在が否定されるということも出てくるわけです。

イエスが従った権威とは
 神殿の祭司たちは、どのように彼ら自身が抱えていた状況をどのように考えていたのでしょうか。おそらくダブルスタンダード(二重基準)的な状況であったのでしょう。神殿を信仰の支えとするユダヤ人に対しては、ヤハウェの神の権威は絶対として、しかし、ローマ帝国に対しては、多神教の神の一つである、またはローマの神々の下に位置している、と。おそらくイエスは、そうした彼らの姿勢をよく知っていて、このような鋭い、彼らが答えられない問いをはっしたのでしょう。
 一方のイエスはどんな立場に立って宮清めを行ない、祭司や律法学者と論争を繰り広げたのでしょうか?権威について、イエスはまったく権威に対する姿勢については、一貫していました。例えば、弟子たちとペトロがイエスに問うた問いがありました。ペトロの信仰告白、マルコ福音書8章27節から30節。(P.77)
「8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。 8:28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」8:29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」8:30 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。」
 イエスは、自らの権威に対して、一貫していました。自分がどのような存在であるのか、「〇〇である」とか、「そうだ」とか「そうではない」と肯定も否定もしませんでした。
ただ、これはマルコ福音書の一つのテクニックとも言えますが、最後の最後に肯定とも受け取れるエピソードがあります。マルコ福音書14章61節62節。(P.94)
「14:61 しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。 14:62 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」
ここでは、はっきりと自らが、メシア、神の子つまり神であると宣言しています。まったく、これまで否定も肯定もしなかったことについて、はっきりと宣言している。そして、十字架への道を歩む。それらが一貫している、ということです。まったく肯定も否定もしなかった、イエスがメシアであるかどうか、ついに神の子であるという宣言がある。そして、さらにそのメシア、キリスト、神の子が歩むべき道として、福音書には、十字架への道行きが記されていると言えるでしょう。

神殿権威批判
 イエスは神殿したのは、神殿の祭司たちが持っていた右往左往する権威、揺るぎってしまう権威でありました。それは、ローマ帝国の前では弱く、民衆の前で強く出る権威。そして、自分たちの立場だけを守ろうとする権威です。そして、そうした姿勢は、いつか自らを滅ぼします。
 最近のニュースに触れるとき、アメリカの前ではヨイショをして、韓国や中国に対しては、まったく強く出ようとする日本政府の姿勢にめまいがします。なぜ、そういうことをするのか、と言えば、自分たちが間違っていたこと、間違っていた理解をしていたのに、それらのことを認めることが出来ないからでしょう。そして、右を向いては、頭をさげ、左を向いては、尊大な態度を取る。そして、自らの立ち場を無くしていく。その被害を受けるのは誰だろうか、ということにとてもいらだっております。

イエスが示した権威
 権威とは、何か具体的な力を持っているわけではありません。それよりも、異なった存在、人同士が共有する価値観、大事にしているものとも言えるのでは無いでしょうか。それらを守るが故に信頼関係が生まれ、また壊れることもある。また、こうとも言えるかもしれません。権威とは、正しいこと、真実を求め続ける姿勢である、と。人間は弱い存在であり、完全ではありません。しかし、何かに頭を垂れること、謙虚に間違ったときは間違ったことを受け入れること。また絶対なる存在、神を信仰したり、自ら研鑽を重ねたり、知恵を重んじようとする作業を続けることで、正しい道を歩むことが出来ます。
 それらは、ただ単に自らの立場を守ろうとすることではありません。イエスと敵対した神殿は、自らが持っていた権威を、ただ自分を守ろうとするために用いようとしました。だから間違えてしまった。人という存在は誰もが完全ではない、ということを強く胸に刻まなければ、絶対に過ちを置かすということでしょう。イエスは本当の権威のあり方を、自らが歩んだ十字架への道によって示したといえます。そのことを胸に、本当に混乱ばかりの今の世の中において、本当の正義とは何か、真実とは何か、権威とは何か、ということを求め続けていたいと思っています。


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