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『ヘロデ家の因果応報』(ルカ福音書9:7〜9)

2018.06.17(16:46) 371

『ヘロデ家の因果応報』
(2018/6/17)
ルカによる福音書 9章 7~9節

ヘロデ家という背景
 今日の箇所にも触れられていますが、福音書の中には、バプテスマのヨハネを、宴会の余興のような形で斬首したという記事があります。このヘロデは、息子のヘロデ・アンティパスといいます。そして、この二人を区別するため、イエスが生まれた時代のヘロデを、「ヘロデ大王」と、今日の記事に登場するヘロデを、ただの「ヘロデ」、もしくは「ヘロデ・アンティパス」と言ったりします。
 ヘロデ大王は、どのような経歴によって王となったのでしょうか。ヘロデはいわゆる正統なユダヤ人ではありません。ヘロデは「イドマヤ人」と言われるイスラエルからすれば、南の地方が故郷の存在であり、ユダヤ人からすれば、正統とは、とても言えない存在でありました。しかし、ユダヤ人の王になることが出来たのは、ヘロデの父親のアンティパトロスという人が、なかなか有能だったらしくローマ皇帝に取り入って、ユダヤ人たちの間で頭角を現してきたことからでした。
 ユダヤ人国家は、紀元前63年にローマ帝国に支配されております。その後はローマ帝国によって認められた王、ようするにローマ帝国の言うことを良く聴く王様でなければ、王になれない状態になってしまいました。その中で、ヘロデはローマ帝国、ローマ皇帝の意向を良く聴くことから、王として採用され、王として即位しました。ヘロデが、ユダヤの王として即位したのは、紀元前37年、イエスが誕生するおよそ30年以上前、そして亡くなったのは紀元前4年です。イエスが誕生した年が、いわゆる西暦0年がイエスの誕生に基づいているはずなのに、紀元前4年と表記されることが多くなっていますが、それはこのヘロデの亡くなった年を元にしてのことです。

ヘロデの王位の明暗
 その間、ヘロデは王になる以前から様々な策謀を行い、自らの地位を引き上げ、王として即位してからも自らの地位を守るために、過剰なまでの気を使い、様々なことを行っていました。また、多大な建設事業を進めた王でもありました。神殿の大改修、イエスの時代も行われていました。ちなみに、この神殿の改修、紀元前20年に始まり、紀元後64年までかかったと言われています。(84年間)他にもヘロディウムという要塞都市、サマリア人の首都であったセバステなどの都市、マサダの要塞なども建設。すべて、ローマ風、ヘレニズム風のものでありました。
 また、ヘロデ大王の周囲には、血の匂いがします。数え上げれば、きりがなく、自らの地位を追い落とす可能性のある者は、すべてその命を奪ってまいりました。それは、自分の身内のものであろうと、容赦はありません。たとえば、ヘロデの最初の妻は、マリアンヌといいますが、彼女は、ローマ帝国に支配される以前、ユダヤの王族となっていたハスモン家の血を引く存在でありました。ヘロデは、いわば政略結婚によってマリアンヌを妻とし、自らもハスモン家の流れを組む者としていました。しかし、その弟が邪魔になりました。
マリアンヌの弟は、アリストブロスといいます。アリストブロスは、記録によってしか、知ることはできませんが、伝統的なユダヤ王家の血をひいており、また、なかなか良い男で民衆の人気も高かったようです。ヘロデは、彼を一度は、自らの判断によって大祭司とします。これには政治取引もあったでしょう。しかし、時が来たと思ったときには、プールで事故死に見せかけて殺してしまいました。そして、その手は自分の妻であるマリアンヌにもおよび、その母も最終的には暗殺してしまいます。そしてさらに晩年には、このマリアンヌとの間に生まれた実の子へも及びます。最終的には、ヘロデは自分の家族としては、妻の一人と息子3人、妻の母を自らの手で死に至らしめております。時の皇帝であったアウグストゥスは、こうしたことから、「ヘロデの子であるより、豚の方がましだ」と発言したという記録があります。

ヘロデ大王を生み出したもの
 彼がこのような凶行に及んだのは、ヘロデが持つある背景、ヘロデの経験からのように思われます。彼にはアンティパトロスという父がおりました。その父がローマ帝国皇帝から認められることによって、ヘロデ自身も王となる流れを作ったと考えられます。とても有能だったのでしょう。そして、ヘロデ自身も政治家としては、とても有能であったと思われております。そしてローマ帝国も混乱期であり、皇帝が変わるたびに、帝国に所属する1人の政治家として、いつ追い落とされるかという不安を常に抱えていのでしょう。
 また、ユダヤという国の内部においても彼は安心できないことがありました。それは、伝統的なユダヤ王家のあり方、神殿宗教のあり方を願う人々のヘロデへの反感です。ヘロデは純粋なユダヤ人ではなく、「半ユダヤ人」(半分ユダヤ人)とされていたイドマヤの生まれでありました。イドマヤ人とは、紀元前1世紀ぐらいにユダヤ人に支配された民族であり、ユダヤ人から見れば、おとった存在と見られていた人々でした。イドマヤ人は、ユダヤ人によって強制的にユダヤ教に改宗させられえ、むりやりに割礼を受けさせられた人々です。
 そんなヘロデですから、支配者階級の人々の中でも、一般民衆に間でも、有能といえば有能ですが、蔑まれ、嫌われていました。先ほどのような大きな事業を成し遂げたとしても、評価は低く、人気もありませんでした。その背景には、「純粋なユダヤ人の王」「純粋な大祭司」といったイデオロギー、民族主義的考え方があったのでしょう。そのようなものへの恐れからヘロデは自らの家族さえ、実際の子どもさえも手にかけるような行為に進んだのでしょう。

どのような時代であったのか
 福音書において、ヘロデ大王が登場するのは、クリスマスに読まれる箇所であります。マタイ福音書2章2節3節をお読みします。
『2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。』
ヘロデだけではなく「エルサレムの人々も」とあります。ここには、ヘロデを正統な王とは認めない人々、ヘロデをどうにかして追い落とそうという人々のことを指している、と考えることができます。そうした人々の意志も。また神の意思ではなく、自分の意思によるもの、「ダビデの血を引いた王」「ハスモン王朝の王」「イドマヤ人ではない王」といった声であります。また、「王はベツレヘムに生まれる」という占いの結果は、一つの悲劇をもたらします。2章16節をお読みします。
『2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。』
 歴史的な事実とは、とても考えられないことですが、あのヘロデ大王であったら、やるかもしれない、と誰もが考えたのではないでしょうか。

現代における終末観
 最近、話題になっている映画で、海外の有名な賞を取った「万引き家族」という作品があり、見てきました。いろいろな社会的なテーマ、育児放棄、少女売買春、独居老人、子育て支援、犯罪者の社会復帰、などなど、現代日本における様々な社会的なテーマが込められていました。また、一般的には理想的とされている常識、社会規範というものに対する、アンチテーゼを感じました。そして、象徴的だったのは、前半、そうした問題がある家族ではありますが、一つの要素、パーツが削られたことによって、容易く崩壊してしまう、という弱さを持っている安定、幸福でした。
 また、伊坂幸太郎さんが記した『終末のフール』という作品があります。その作品は短編集ではありますが、ひとつのテーマがあります。「あと、何年か後に地球に小惑星が落ちて壊滅的な災害が起こる」ということです。その中で、ある夫婦が3年後に地球が滅びるかもしれないのに、妻のお腹に新しい生命がやどり、夫婦が産むべきか産まざるかを悩む、というテーマです。自分だったらどうしようか?とは悩みませんでした。そうではなく、今という時代だからこそ、と強く感じました。
また、こんな兄弟も登場します。彼らの妹は、以前に心無い報道によって自殺してしまいました。地球が終わる前に、大きな力を持っていたワイドショーのキャスターを殺そうと、妹の命日に、そのキャスターの家に押し入ったのです。彼と妻そして娘は、整えられた食事を始めようとしていました。そして、命を奪おうとした時、その整えられた食事には毒が入っていたことが明らかになります。キャスターだった彼は、こんな告白をします。「わたしたちは今日、死ぬつもりでした」と。キャスターだった時代、自らの行為によって、彼等の妹が自殺してしまったことに心を痛めて、命日に家族で毒が入った最後の晩餐を守ろうとしていた、と。そしてこの兄弟は、家族を殺さずに3年間、しっかり生きろ、と言い残して、その場を去ります。
 これらの映画や小説に共通しているのは、終末的な価値観といえます。今の状態、今の生活が長く、続くとは思えない。またこの世、世界が続くとは思えない。そうした追い詰められた状況の中で、人は何をなすだろうか。容易く壊れてしまうような不安定な状況の中で人は何をなすべきだろうか。何かを守るために、他者を容易く傷つける事を厭わない状況があるのではないか。また、子ども殺しもそうした状況を背景にして起こってしまっているのではないでしょうか。終末観とは、積極性にしても消極性にしても、プラスにしても、マイナスにしても、極端な形で出て来るというように思います。

終末観が漂う時代において
 最近のニュースにおいても、5歳の娘さんが虐待の末に亡くなったこと、その文章が発表されたことによって世の中には大きな衝撃が広がりました。そんなニュースがあると、聖書におけるヘロデによるとされた「子殺し」の記事を思い出します。未来への希望を持ちにくい状態、ある種の閉塞感がもたらしているのではないか、と考えています。誰もが今で精一杯。明日など考えられない。未来など考えられない。そんな日常。そして孤独さが子どもへの暴力などにつながっているのではないでしょうか。間違ってはいるけれども、自分も今、そんな暴力に耐えてきた、そしてその吐き出し口が無く、弱い子どもへと向かってしまう。そうした状況の象徴としてヘロデ家の歩みを捉えることが出来るのではないか。終末観の一つの現れとして、ヘロデ家の歩みを捉えることが出来るのではないか、と感じています。
 結果的に、ヘロデ大王は多くの親族を手にかけることになりました。しかし、最初に家族を手にかけることになった自らの妻であるマリアンヌを死に追いやったときには、大きな絶望と沈黙に長い間沈んだそうです。そのことが後のヘロデの歩みを決めることでもあったでしょう。周囲の誰も親族でさえ、家族さえも信頼できないような状況です。それは単純にヘロデだけの問題ではなく、ユダヤ人全体がそのような状態の中におかれていたとも言えるのではないでしょうか。
 イエスはそのような時代に誕生し、メシアとしての歩みを求められ、十字架への道を歩みました。その2000年後を生きる私たちもイエスに対して、救いを求めて歩んでいます。そうした求めが、間違った方向へと向かわないように、常に聖書に聞くこと、世の中の動きから目を離さないこと、また常に何が出来るのか、と考え続けることが大事だと思っています。主なる神は、そうした歩みを必ず支えてくださる、そうした思いを持って歩み続けることが大事ではないか、と感じております。


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