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『イエスと弟子たちのミッション』(マルコによる福音書 1:29~39)

2018.06.06(22:02) 370

『イエスと弟子たちのミッション』
(2018/6/3)
マルコによる福音書 1章 29~39節

シモンとアンデレの家
 イエスは会堂を出て、シモンとアンデレの家に向かいます。30~31節をお読みします。
「シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。」
 この「もてなした」ですが、岩波書店から出版された岩波訳と呼ばれる翻訳では、「仕え始めた」と訳されております。岩波訳が何故「仕え始めた」と翻訳しているか、と申しますと、ただ単に、この癒された夜だけのこと、その日だけのことではなく、この後、ずっとシモンの姑はイエスに仕えた。そして、イエスとイエスの弟子という人々をかげながら支えたという考えからであります。
 シモンとは一番弟子のペトロのことです。おそらく、その家は、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムにあったと考えられており、現在ここではないか、という場所には教会も立っております。そして、マルコ福音書全体を通してみますと、イエス一行は、必ずどこかに帰っているのです。当たり前じゃないか、といえばそうですが、それがこのペトロの家であり、このことによって、イエスと弟子たちが滞在する常宿、宣教の基地になったのでは、と考えられるのです。代表的な箇所を拾います。マルコによる福音書9章33節です。【P.79】
「一行はカファルナウムに来た、家に着いてから、イエスは弟子たちに…」
イエスの家は、ナザレですから、イエスの家ではありません。はっきりとカファルナウムに家があって、そこに帰ってきた、と記しております。別に一晩の宿を借りるのであれば、「帰った」とは恐らく記さないでしょう。また、このようなことも言えます。イエスの弟子と言えば、「12弟子」が思い出されます。そして、彼らは全員が男性でありました。
 しかし、シモン(ペトロ)のしゅうとめのように女性たちもイエスの活動を支えていたことが他の箇所にも記されています。ルカ福音書8章1~3節をお読みします。【P.117】
「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。 8:2 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、 8:3 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」
 イエスと弟子たちの宣教活動の背景に女性の支援者がいたことが示されております。これをどのように捉えれば良いのか、という議論があります。「一行に奉仕していた」とありますが、この「奉仕」もひとときの事ではなく、イエスの活動を長い期間を通じて支えていたということでしょう。

宣教における役割
 イエスと後に12使徒と呼ばれるようになった12人の男性の弟子たちの活動は、彼等だけでなされたものではありませんでした。今確認しましたように、多くの名も無き人々、また女性の弟子とも言える人々の支えに寄って成し遂げられたものと考えることができます。しかし、私としては、なぜ中心的な弟子たちは、男性だけだったのか、といった疑問がわき上がってきます。なぜ12人の弟子たちは男性だけだったのか、男性が能力的にすぐれていたか、そんなことはなかなか言えないでしょう。他に理由があったのではないか。で、いろいろと想像することが出来ますが、2つの可能性について触れてみたいと思います。
 それは、一つ目は「イエスが男性と女性とで役割を使い分けていた」のではないか、ということ。当時は圧倒的な男性社会であります。女性には発言権もありません。女性がユダヤ教の会堂や広場で話をしたとしても、誰も耳を貸さないでしょう。とすると、効率の良い宣教活動を考えるのであれば、男性が外に行き、女性は背後で助ける、というパターンがあったのかもしれません。二つ目は「男性も女性もイエスの弟子として、区別なく活動していたが、福音書を書いた人が同じであったのに、違和感を持って変えた」という考え方です。イエスさまが十字架にかかった時、そこにいた弟子たちは誰だったでしょうか?女性の弟子たちでした。
 また、イエスが納められている墓へ行き、油を塗ろうとしたのも女性の弟子たちでした。男性である12弟子たちは1人残らず逃げてしまい、女性の弟子たちのみがそこに残っていました。なぜか?男性であったら、捕まってしまっていたでしょう。しかし、女性の弟子たちはそのように見られることはなかった、ということでしょう。気持ちの問題もあったかもしれません。しかし、これも善し悪しではなく、当時の社会状況の反映ということができるのではないでしょうか。

教会という身体
 イエス一行は、そうして宣教基地というか活動の拠点を、名も無き存在たちの支えによって、カファルナウムに得ていました。そして、1章28節に「イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった」とありますように、その評判から、その活動の拠点である家に多くの人がイエスの癒しを求めてやってきたのでしょう。そして、そうした人々が集まってきたら、ただ話すだけではなく、人の座る場所を準備したり、食事などをもてなすこともあったかもしれません。
 また、村々を通じて、広がっていったわけですから、そうした場所、家も増えていったでしょう。イエスの語った弟子たちへの勧めとして、一軒の家にとどまりなさい、という言葉がありますが、そのような言葉もそうしたスタイル、あり方を示していると理解することができます。男性の弟子たちの役割、そしてペトロの姑や名も無き女性の弟子たち、の支えがあって、イエスの活動は広がっていったのではないでしょうか。また、さらにイエスと12人の弟子たちの活動というだけではなく、彼等を支えた人々の活動含めて、イエスの宣教活動を担っていたと言えるのではないでしょうか。
 教会という場所、様々な人々の働きによって、支えられています。そして、パウロなどは、教会を1つの体に喩えています。1コリント12章14節から20節。〔P.316〕
「12:14 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。12:15 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。12:16 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 12:17 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。12:18 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。12:19 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。12:20 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。」
 そして、少し飛んで、26節と27節。
「12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」
 あんまり説明は要らないかもしれません。1つの教会でも、それ以上のつながり、地区や教区、教団という形でも様々な役割を持つ人がいます。教会は教職だけで動く存在ではなく、様々な人の働きによって、生きた存在となっています。パウロの言葉に基づいて、体で喩えれば、手や足、目、耳、ダメなのです。違いがあって、それら一つ一つがそれぞれが重要である、という姿勢。とても教会的、福音的であるなあ、と思います。
 多くの最後に「宣教」という言葉に触れて終わりたいと思います。「宣教」は、ギリシャ語では「ケリグマ」、「宣べ伝えられたもの」という意味があります。私たちは何を述べ伝えているのか?と言えば、別にイエスさまが述べ伝えた言葉や奇跡、そして十字架と復活だけではないと思うのです。
 私たちは受け継ぐべきモノ。それは、イエスと弟子たちが共に歩んだ日々の継続としての教会、福音ではないでしょうか。パウロの言葉にもありましたが、教会の歩みとは、イエスさまと弟子たちがそうであったように共に手を取り合い、神の業を信じ、福音を共に喜び、共に笑い、時に共に泣く、そんな歩みを私たちは歩むべきではないでしょうか。


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