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『嵐の中の航路』(ルカ福音書8:22〜25)

2017.10.15(17:14) 358

『嵐の中の航路』
(2017/10/15)
ルカによる福音書 8章 22~25節

嵐の中で
 嵐の中の舟、右往左往する弟子たち、そして、その嵐に何ら臆することなく、ただの一言で鎮めてしまうイエス。福音書において、イエスの奇跡を思い起こす時、誰もが思い起こす物語の一つでしょう。イエスさまがこの世において表した奇跡はいくつかの種類に分けることが出来ると思います。様々な形で人の病を治療する「いやし」、そしてパンと魚を5000人の人々がお腹いっぱいになるほどに増やすという奇跡、が一番身近なものとして挙げられるのでは無いでしょうか。それに対して、今日のような空間的な自然現象に関わる奇跡は、いやしやパンを増やす記事とは、まったく逆の位置にあるものと言えないでしょうか。非常に距離が遠い思いがしますし、その真偽について、疑いが大きいものと言えないでしょうか。たとえば、イエスはマタイ福音書において、このようなことを言っています。マタイ福音書17章20節。(P.32)
「17:20 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」」
 信仰さえあれば、山が動くのでしょうか。そうではないでしょう。この箇所において、イエスが言いたいこととは、本当の信仰を得る、というのは、とても難しいことである、ということでしょう。そして、ガリラヤ湖において、湖の上を歩くイエスに続いて、第一の弟子であるペトロが、同じように水の上を歩こうとして、上手くいかない、という記事がありますが、ここでも信仰があれば、水の上を歩くことが出来るのだ、ということが伝えたいわけではなく、信仰がある、ということの難しさを伝えていると言えます(マタイ14:22-33/P.28)。

オイコメネ=船
 今日のお話に登場する船は、キリスト教において、一つの象徴として用いられます。船は船なのですが、船は「教会」のことを指すシンボルとして用いられています。2011年3月11日に起こりました東日本大震災から、早6年と半年以上の時が過ぎようとしています。わたしは当時、神奈川県の小田原に居住していました。感じたことのないような大きな揺れを感じましたし、その後に起こった津波の映像に少なからず動揺させられました。海沿いの町であったためか、海沿いから離れようと渋滞が起こりました。またそれに続く原子力発電所の事故や計画停電において、私たちが少なからず、今までとは違う日常を送り、また生命について、自然について、考えを改めるような機会になったのではないか、と思います。
 あの出来事は、わたしたちの生活が、地に足を付けた物ではなく、舟のような不安定なものかも知れない、という思いを誰に対しても抱かせました。そして、住む場所、生活全体、エネルギーや食べ物に至るまで、捉えなおすことを考えさせる出来事でした。まさに教会だけではなく、わたしたちの生活そのものも舟のような不安定なものである、ということをおもわされる出来事でした。
 今日の箇所の最後、イエスは怖がっていた弟子たちに対して、このように問います。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」(8:25)と。信仰があれば、主なる神またイエス・キリストを完全に信頼しているのであれば、どのような嵐にあったとしても、恐怖を覚えることもなく、嵐の中の舟の中においても、安心していられる、というのでしょう。よく舟はキリスト教の歴史の中では、教会を表すシンボル(表象)として、知られています。教会がどのような嵐の中にあったとしても、キリストがいれば恐れることは無い。また、逆説的に言って、たとえ教会であったとしても、ギリシャ語のエクレシア(神の群れ、教会)という看板が立てかけられていたとしても、その場にイエス・キリストがいなければ、その中に主なる神がいなければ、その教会は荒嵐に飲み込まれて、沈んでしまう、ということを示している、と言えるかも知れません。

「嵐の中の教会」
 『嵐の中の教会』の本があります。1930年代、ドイツのある教会の物語を題材した作品の日本語訳の題名であり、副題は「ヒトラーと戦った教会の物語」となっております。あくまでフィクション(物語)として、描かれた作品なのですが、ヒトラーが台頭し、ナチスが政権を握る歴史における教会の歩みをとても良くえがいた作品として知られております。その作品は、大まかに言って、このようなあらすじです。
 舞台はドイツにあるリンデンコップという村です。1932年、新しくグルントという牧師が赴任しました。この新しいグルントという牧師が来たことによって、教会は大きく変わりました。毎週の礼拝説教、少年少女たちが洗礼を受けるために準備の学習会の内容、その他のものにより、教会生活のあり方も大きく変わりました。彼が語ったのは、古くから教えてこられてきた凝り固まった教会の教えではありませんでした。信仰することの喜びに満ちた福音であり、誰もが信仰を得ることによって、変えられることを体験し、大きく教会のあり方は変わりました。
 しかし、そうしたあり方が終わる日が来ます。牧師が赴任して1年後の1933年、ドイツの政治状況が大きく変わりました。ナチスが政権を握って、国家の姿、そして村の生活も大きく変わりました。誰もが自由に振る舞うことが出来にくくなってきました。そして、ナチスの台頭と共に、村にいたナチスを支持する若者たちは、この牧師のあり方、言動に疑問を持つようになってきました。たとえば、こんな対話がなされました。
「礼拝のあとすぐにナチスの支部長が、レーラーを従えて牧師館を訪ねて来て、牧師にこう言って答弁を求めました。『あんたは、先ほどは政治的偏向のある説教をしました。これは牧師としてのあんたの職務に相応しくない。あんたは国家に攻撃を加え、ドイツ国民を侮辱したことになるのですぞ』。…(さらに)レーラーが…こう申しました。『この度の国家の革命は、神さまの御業ですぞ。ヒトラー総統の地位は、神様がお定めになられたのじゃあないすか』。/『それは私も露疑いません』と牧師は言いました。『神様のみこころなしに何事も行われませんからね』。/(…)レーラ—はそれに対して言いました。『もしあんたの言うことが本気なら、まあ勝手にいくらでも国家を攻撃するがよろしい。それじゃあ牧師さん、あんたは、もしボルシェヴィキ(社会主義者たち)が教会を力ずくで迫害して来たら、教会派どうなると思っているんですかね』。/『そういうことについては、私は今日の説教でちゃんと申しましたがね』と牧師は答えました。『つまり、教会は主のみ手の中にあるということですよ』」(P.47-48)
 教会は、様々な形で、ナチスによって、圧力を加えられました。まずは教会組織の中央を支配しようとしました。日本基督教団でいえば、組織の中で、統理という存在を立てて、全体の意思を支配しようとしました。それでも、言うことを聞かない教会や牧師たちがいます。ナチスドイツ、従来の緩やかだった教会の組織を、一元化してドイツ帝国教会を作りました。しかし、そうした動きに対抗して、ドイツ告白教会という教会を作りました。リンゼンコップ村の教会では、ついに実力行使が行われました。ナチスを指示する人たちが、自分たちと同じ考え方をもつ牧師を連れて来ました。
 教会の新しい牧師とし、グルント牧師と彼を支持する人たちに礼拝堂を使わせないようにしました。しかし、グルント牧師と彼の支持者たちはくじけず山の上で礼拝を続けていました。それから半年ぐらい経ち、ナチスによって連れて来られた牧師もいつの間にか居なくなってしまいました。平和な日々が取り戻されたように思いましたが、ある礼拝において、グルント牧師は、ドイツ告白教会によって出された、はっきりとナチスに対して、否を唱える宣言文を礼拝で読むことを長老たちと相談をし、読み上げました。その過程におけるグルント牧師の発言を引用します。
「この声明は、告白教会の指導委員会が発したものですが、今まで私たちの手もとで回覧されることさえありませんでした。なにしろ教会の指導権は、ドイツ的キリスト者が握っているのですからね。…告白教会の指導委員会からこの声明を読み上げるようにという指令を私たち牧師が受けた時、そうすることによって私の身に危害が加わるのではないかということを考えることは許されません。私が考えなければならないことは、それによって私は神様に対する責任を果たすことが出来るかどうかということだけです。私は責任を負いうるという結論に達したのです。わたしはこう言いたいー国家に向かって、教会はこの言葉を言い切らねばならない。国家はあくまでも責任を追及さるべきだ。もしそうしないならば、その結果は必ず教会に跳ね返って来て、教会は国家に対して証しを立てることをますますやらなくなってしまい、教会の沈黙によってますます国家を反キリストへの道へ狂奔(キョウホン)させることになるのだ、と。」
 グルント牧師は、この宣言文を読み上げた礼拝の次の日、秘密警察に逮捕され、この物語も締めくくられます。(日本基督教団の名前にも日本的キリスト教という意味合いが隠れているかもしれない)

教会の信仰
 この物語『嵐の中の教会』は、ヒトラー政権下における教会の戦い、ドイツ教会闘争とよばれる牧師や教会の戦いをフィクションとして描いたものでありますが、生き生きとその内実を示した物として読まれております。舞台となった時代は、1933年から1935年です。ナチスによる世界中を巻き込んだ戦争(1940)やユダヤ人虐殺(1943)が始まる5年も前の出来事が元になっています。
 歴史としてのドイツに終える教会の戦いについての有り様について、論じるよりも、私たちが考えなければならないことは、牧師が逮捕されたことがどうこう良い悪いとか、教会としてのその歩みが正しかったか間違っていたか、ということよりも、その出来事によって、何が受け継がれたか、ということが教会として考えるべきではないか、と思うのです。また日本においても、全体主義的な空気が強まっていた時代、近代天皇制を中心とした国家的な全体主義が蔓延し、誰もがその支配下に下ってしまった時、その当時の教会や信徒、牧師たちが何をすることが出来たか、ということは、あまり問うても意味がないように思うのです。そして現在という時に、どのような歩みを歩むべきか。自分たちがそのような状況になったときに、どのように振る舞えるか、ということが重要ではないでしょうか。

向こう岸へ渡ろう
 今日の箇所において、イエスは最初の箇所22節において「湖の向こう岸に渡ろう」と、呼びかけています。そして、嵐を静め「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言います。怖がっている者とは、同じ船に乗っている弟子たちであります。同じ船に乗っていながら、イエスは安心し、弟子たちは恐れている。イエスと弟子たちの違いは何か。ただ単に、嵐に打ち勝つような能力を持っているかいないか、だけではありません。主なるイエスには、その先にあるものがはっきりと見えている。そして弟子たちには見えていない、だからこそ不安になる。
 イエスは「湖の向こう岸に渡ろう」へ渡ろうと呼びかけています。その航路は、時に嵐を乗り越えなければならないこともあるでしょう。しかし、イエスはその嵐を沈め、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と問いかけます。信仰があれば、嵐が起こらない、問題が起こらない、危機が訪れない、という話ではないのです。また、航路さえ見えていなければ、対岸さえ見えていなければ、嵐の中にいることさえ、気づかない、感じない、というのが人間の弱さであり、今という時代かもしれません。様々な危機や苦難にあるとき、神の存在を疑い、またイエスが共にあることを信じられないようになります。しかし、そうしたとらえ方は間違っているのではないしょうか。どのような嵐の中のあったとしても、危機にあったとしても、苦難の中にあったとしても、イエスは共におられるということ、嵐の中の航路においても、必ず共にいて、向こう岸へと導いて下さるのが、わたしたちの主なる神、イエス・キリストではないか、と感じています。

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