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『神を生かすも殺すも』(ルカによる福音書 7:18~35)

2017.05.28(21:01) 348

『神を生かすも殺すも』
(2017/5/28)
ルカによる福音書 7章 18~35節

イエスとヨハネ
 今日の箇所、バプテスマのヨハネとイエスさまが比較された形で記されています。バプテスマのヨハネは、イエスに洗礼を授けた預言者でありますが、すでに捕らえられており、牢屋に繋げられた状況の中に置かれています。7章18節19節をお読みします。
「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
 「来るべき方」とは、キリスト(ヘブライ語で言うところのメシア)、救い主のことを指しております。苦しみの中にあったユダヤの人々、イスラエルが求めていた神から与えられる救い主とは、自分たちをローマ帝国の支配から解放してくれる救い主でした。いうなれば旧約聖書中にある「サウル・ダビデ・ソロモン」のような王のような存在であったでしょう。神から与えられる「救い主・キリスト・メシア」とは強くあって、ユダヤの王となってローマ帝国の支配から解放してくれる救い主でした。
 そして、イザヤの生まれ変わりとしてメシアの前触れ、「道を準備する」として、バプテスマのヨハネは、キリスト教からは理解され、そのように福音書にも記されました。彼は、マタイ福音書3章の記述によれば「らくだの毛皮」を着て、「革の帯」を着けて、いなごや野蜜を食べ物としていました。そして、そこにたくさんの人が来て、ヨハネより清めの洗礼を受けていました。そして多くの人々が、もう一度、神に立ち帰ることができる、ということを水による清めを行っていました。
 そして、イエスの周囲に集まってきていた人々も、同様であったといえます。イエスであれば、自分たちを苦しみから解放してくれるかもしれない。ユダヤ人たちを支配していたローマ帝国を倒してくれるかも知れない。また、自分たちのことをバカにしている祭司や律法学者たちのことも変えてくれるかも知れない。神殿も本当に人たちのことを大切にしてくれる神さまの神殿にしてくれるかも知れない、という思い。

ヨハネとイエスの違い
 おそらく史実的・歴史的に、イエスは、ある時期ヨハネの弟子として活動していた、と考えられます。そして、ヨハネを離れて、イエスは神の子としての歩み、「神の国」の到来を告げる活動を初めることになりました。そして、別々の活動、イエスはイエスの弟子たちとの歩みをすすめ、ヨハネはヨハネの活動を進めるようになりますが、バプテスマのヨハネは捕らえられてしまう。今日の箇所は、そんなヨハネが捕らえられた状況を描いています。そして、目的としては、イエスとヨハネの違いを分かりやすい形で説明するために描かれた箇所と考えることが出来ます。
 ヨハネの弟子たちは、イエスがどのような存在であるか、疑問をもっています。7章20節から23節においては、イエスが行った活動、癒しや教えや弟子たちへの招きについて、肯定的に捉えられる箇所、救い主として、メシアとして、ふさわしい事柄について触れます。そして、24節からは、イエスが何者であるか、を明らかにしようとする言説に入っていきます。24節の「風にそよぐ葦か」なのか、と違う。葦とは人間のことですが、その時々の風潮に流されてしまうような人間、ただの人ではない、ということを示しています。そして、「しなやかな服を着た人」か、と問います。「王宮にいる」とは、王族一般・地位の高い者を指しますが、同時に、そうしたこの世の権力に移ろいやすい人々も含めているでしょう。そして具体的には、ヘロデ大王の子、ガリラヤの領主だった、ヘロデ・アンティパスのことを指している、と考えられます。そうでもない、「では、何者なのか?」

イエスとヨハネの共通点
 バプテスマのヨハネは、預言者として、断食をして、荒野に住んで禁欲的な生活を営み、洗礼活動を行いました。日本風で言えば、「修行僧」として、または「世捨て人」として、あらゆる「欲」を立つことによって、神に近づこうとした、救いに至ろうとした、人でした。イエスが生きた当時のユダヤ人の間では、都市的は、ヘレニズム的なもの、また非ユダヤ教的なものであるという批判がありました。そうした人々の中には、エルサレムにある神殿でさえも人の欲やローマの支配の影響があるといった風潮もありました。そうした流れの中において本来は汚れた場である荒野に対して、聖性を見る人々がいました。そうした人々の一部が現代ではエッセネ派と呼ばれ、彼らは荒野にて共同生活を営んでいました。バプテスマのヨハネもそのエッセネ派のメンバーであったのではないか、と考えられています。
 そして、イエスの方はどうだったか。イエスは、ヨハネのように荒野に住むことも、断食することはありませんでした。イエスは、多くの町々を訪ね歩き、それぞれの場において、多くの人と共に食卓につき、(おそらく)お酒も交えて、触れあっていました。いわゆる一般の生活をしていた、また更に進んで日常を楽しんでいた、と言えます。そんなヨハネとイエスへの言葉として、7章31節32節は捉えることが出来ます。
「7:31 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。
7:32 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』」

 これらの描写は、子どもがよくする「ごっこ遊び」のことをさしています。笛を吹いて、結婚式の宴のマネごとをすること、「結婚式ごっこ」をして遊ぼうと思ったのに、一緒に遊んでくれなかった。イエスは、宴会ばかりしていた、というよりも、たくさんの人との触れ合いの場として、おそらく不特定多数の人と共に食事をとっていたのでしょう。
 葬式の歌を歌って、泣き真似をする「葬式ごっこ」遊ぼうと思ったのに、無視されてしまった。バプテスマのヨハネは、禁欲的な生活をしていました。断食をし、規則正しい生活や質素を重んじる清貧とも言える生活環境だったでしょう。まったく逆のことであるのに、等しく、「悪霊に取り憑かれている」と非難される。それを「罪人や徴税人の仲間だ」と非難される(18-19節)。そういった言葉をイエスも実際に耳にしたことでしょう。そして、そういった自らやヨハネに対する非難の言葉を弟子たちに向かってユーモア・皮肉を込めて語ったのではないでしょうか。
 ヨハネが語った厳しい禁欲的な悔い改めの道、非都市的な生活も一つの神への道です。そしてイエスが語り行動した解放の言葉、違いを超えた自由な交わりの道も神の道なのです。これら二つはまったく逆のことです。しかし、それらのどちらにも参加しようとしない、傍観者として批評する人ばかりではないか、という意味が込められています。つまり、神さまの考え方、神さまを大事にするあり方がどのような形で来たとしても、受け入れない人たちばかりではないか。それで良いのですか?ということをこの譬えからイエスさまは伝えようとしているのです。

神は死んだ
 今日の説教題、ある意味、不信仰かもしれませんが、「神を生かすも殺すも」としました。19世紀のドイツにおいて、ニーチェという人がいます。ニヒリズム、超人思想ということを提唱し、彼が著作に記した「神は死んだ」という言葉は時代を示す言葉としてよく知られるようになっています。いわゆるこの言葉、『ツァラトゥストラかくかたりき』(は、こう語った)』という著作の中にある言葉でした。そして、いわゆるニヒリズム(虚無主義)を代表する言葉として、知られています。そして、日本において、ニヒリズムと言えば、神の存在を否定する説として、なんとなく理解されている、と思います。しかし、ニヒリズムを辞典で引いてみますと、このように記されています。
「ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語の nihil (無) に由来する。」(Wiki-Pedia)
 日本語でも「神も仏もない」という言葉があります。この言葉というのは、良いこともしても報われないし、悪いこともしても裁かれることはない。人であれば、誰も陥る悩み、ジレンマ、と言えます。そして、この問いは、とても神義論的な問い(神は正しいのか、という問い)でもあります。そして、「神も仏もない」状態、「神が死んだ」状態とは、悪が悪のまま、正義が報われない世界ということ、そうして状態が、ニヒリズム(虚無主義)という説明です。
 19世紀において、科学が発展する中において、キリスト教がヨーロッパ世界において、社会的影響を落としていく中で、ニーチェは先の言葉を語りました。彼自身、非常に強いキリスト教批判を持っていましたが、そうした批判も様々な社会的な不正義に対する怒りから言うことが出来ます。「神は死んだ」と。キリスト教が持っていた権威、教会が持っていた力、多くの人々の倫理的な行動の根拠となっていた力が失われていく状況を見て、「神は死んだ」と述べたのです。ですから、単純にこの世には、「神も仏も無い」と言ったわけではなく、社会の変化を説明した言葉と言えます。そして、この言葉、実は続きがあります。続きも含めて読んでみます。
「神は死んだ。今や我々は欲する。超人生きよと。」
 後半にある「超人生きよと」という言葉。この言葉は、ある意味で、その後のドイツ、世界のあり方の預言となります。ドイツは、19世紀末期から20世紀初頭の低迷、第一次世界体制の敗戦といった歴史を歩みました。そうした歩みの中において、宗教や民主主義に対する不満が強まり、「超人」の力を求めていきました。それは全体主義、ヒトラーに率いられたナチズムへと繋がっていきます。そして第二次世界大戦、ユダヤ人の大虐殺へと繋がっていきます。また、現在の世界においても、そうした雰囲気が世界中で強くなっているといえます。多くの人々の不満や不安が宗教や国家主義といった形をとって、人を裁いていく有り様は、過去の歴史を繰り返しているようであり、将来に対して大きな不安を感じます。そして、どのようなあり方が良いのか、すべての人が考えるべき課題であると言えます。

神が共にいる
 ニーチェの「神が死んだ」という言葉は、一つの時代の変化を象徴しています。神という存在、そしてキリスト教が人類史、ヨーロッパ史において、影響力を落ちていく中に起こったことです。そして、そうした状況の中で、人間が持つ倫理、理性への期待が大きくなっていきました。そうした土壌の中から、生まれてきたのが、超人思想でありました。そして現代に続く、いわゆる民主主義国家の形、世界の国々のあり方の地盤が出来ました。が、その後の超人思想は、ナチズムという全体主義を生み出し、世界史に刻まれる大きな過ちに繋がっていきました。そして第二次世界大戦とその終戦、現代に続く世界秩序が形づけられました。
 そして、現在もその流れの中に生きていると言えるのですが、どうでしょうか。終戦から70年を超えて、あらたな危機がやってきたと思う人々は世界中にいるのではないでしょうか。そうした危機にあるとき、ある人は自分だけ自分たちだけは生き残ろうとか、考える人もいるでしょう。または、このままじゃいけないと思いながらも、どうしたら良いのか解らない、と考える人たちもいるでしょう。では、イエスやヨハネのような存在が、今、この世に現れたとして、そのような活動に自分は参加するだろうか、共に歩もうと考えるだろうか、という課題を今日の箇所から読み取るべきではないか、と思うのです。
 今日の説教題、「神を生かすのも殺すのも」としました。ある人々にとって、ヨハネの業は、葬式ごっこと思われるような行動、そしてイエスの業は、結婚式ごっこと思われるような行動でした。しかし、そこに神の業を見る人もいました。私たちは、どうでしょうか。神が共にいる、ということは、どこか遠くの神に近づくということではなく、私たちの日常の隙間に、そこらかしこにある神の支配を生きることと言えないでしょうか。不安の多い時代であります。誰もが何か大きな力にすがろうとしている時代、大きな力をつけようとしている時代、誰かとの違いを際立たせようとする時代、と言えます。しかし、そうしたあり方は、過去の過ちを繰り返すことにはならないでしょうか。神により頼むこととは、何気ない日常を神に信頼をおいて、生きていくことではないでしょうか。私たちは特別なことに救いや安心を求めてしまいます。
 そうではなく、目には見えず、耳に聞くことも出来ないかもしれませんが、なんともない日常の中において、また常に神さまが共にいるということを信じて歩むこと、神が共にいるということを信じて、祈ること、行動していくこと、あらゆる隣人と共に生きていくこと、そうしたことが平和への第一歩であり、小さいながらもイエスが語った「平和を実現する者」として生きることではないでしょうか。


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