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ルカにおける悪魔と誘惑(ルカ4:1〜13)

2015.07.19(20:50) 296

『ルカ福音書における悪魔と誘惑』
(2015/7/19)
ルカによる福音書 4:1~13

聖書における誘惑について
 ルカ4章1節から13節は悪魔の誘惑の記事である。一つめは「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。二つめは「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。…」そして、最後は「「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」という三つの誘惑である。
 一言で言えば、それぞれ「食欲」「名誉欲」、そして三つめはこの世の事柄を思い通りにしようとする「(神への)支配欲」に関わるものであると言えるだろう。
 聖書において、誘惑と言えば、アダムとイブの物語が揚げられる。創世記3章に記された失楽園物語である。蛇にだまされ、アダムとイブは「善悪の知識の実」を食べてしまった。そのことによって人は知識を得るのですが、裸であることに気がつき、神から隠れているところを見つけられ、問い詰められて、白状し、エデンの園から追放されます。
 「裸である」ということに気がついて、服を着るという行為は、人が自分で考えることによって「知恵」や「文明」といったものに頼るようになった。そして神に頼らなくなってしまった。この物語は、人間の本質的な罪とは、「神を裏切ること」そして「神以外の存在に頼ること」だ、ということを示している、と読むことが出来るだろう。

聖書における悪魔
 悪魔の存在は、聖書にはたびたび現れるが、誘惑との関係が大きいように思われる。また、旧約聖書において、「悪魔」の存在が、はっきりと人格的に働くのは、ヨブ記の冒頭において、神と悪魔が、義人ヨブ、信仰深いヨブを試そうとする場面のみである。また、サタンとはキリスト教的な捉え方で言えば、悪魔の王のようなイメージがあります。が、もともとの意味、ヘブライ語において「サタン」は、「サータン」と発音するのですが、「敵・敵対者」といった意味である。
 そして、この箇所が納められているルカ福音書に限定した形で、この悪魔の存在を考えてみると、ある視点、読み方が浮かび上がってくる。

ルカ福音書4章13節。
「4:13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」

同じ内容はマタイ福音書にもあるのですが、「時が来るまでイエスを離れた」とあります。ということは、いつかまたイエスのところへやってくる、ということを示している。またルカ福音書にのみ、記されている悪魔に関する記述がある。

ルカ福音書10章18節から20節。
「イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」」

最後は、ルカ福音書22章1節から3節。(P.153)
「過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。」
 イエスを裏切り、祭司長を中心とした神殿の力を持った人々に、イエスを金で売った、とされるユダ。ユダはなぜイエスを裏切ったか?その理由について、ルカに限定して考えてみますと、サタンが中に入ってしまったから、と説明できるのだ。

 また、ルカ福音書の続編であり、同じ作者によって書かれた使徒言行録には、こうある。使徒言行録1章16節から18節。(P.214)
「1:16 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。1:17 ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。1:18 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。…」」
 この箇所、サタンがユダの中に入ってしまっていたと事柄の関連で見てみますと、「はらわたが出てしまった」というのは、神の子であるイエスを殺す、という役割を果たし、サタンがその中から出ていったことを指すのでは無いか、と考えられるのではなかろうか。(あくまで私個人の推測ですが)
 そして、このように読んでみますと、ルカにおける悪魔という存在は、神の子であるイエスを貶めよう、殺そうとして、ユダの中に入り、裏切り、その目的を果たした、と読むことができる。

悪魔と誘惑に抗して
 ルカ4章に、誘惑の話に戻る。最後の誘惑の部分、4章9節から11節。
「そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」
 悪魔は、イエスを神殿の屋上に連れて行って、イエスを誘惑した。そして内容としては、「ここから、飛び降りろ」と言い、イエスは「神を試してはならない」と答えています。そして、この問いを最後にして、悪魔はイエスのもとを去り、再び来たときは、サタンとして、ユダの中に入った。
 ユダの中に入ったサタンは、最後の晩餐の後、イエスと弟子たちがゲッセマネの園で祈っていることを、大祭司たちに知らせて、逮捕させ、不当な形で行われた裁判にかけ、イエスは死刑の判決を受けることになる。また十字架上の記事で、イエスはこのような言葉をかけられる。

ルカ福音書23章39節から40節。
「十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」…」
 これは、悪魔による三番目の誘惑、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。」と不思議に適合する。イエスは十字架上において、なお悪魔の誘惑に打ち勝った、と読むことが出来るのである。

神の計画の深さ

 ユダが裏切った結果、イエスが十字架につけられたということ、そのユダの中にサタンがいて働いたというのは、イエス対サタンの闘いの結果、イエスが十字架にかかって、命を落とした、ということはできる。が、イエスは、旅の途中のあらゆる場面で、旅の最後の十字架の上でも、悪魔から誘惑された同じ誘惑をかけられた、ということであろう。また、サタンにとって神の子イエスを死に至らしめた、というのは、とてつもない勝利であったといえる。ルカ10章において、サタンは「稲妻のように天から落ち」(ルカ10:18)たが、サタンは天上における神との争いに敗れて、地上に落ち、イエスと敵対することになった。神に破れた腹いせにイエスを貶めようとしたのではなかろうか。そしてサタンはイエスを十字架にかけることによって、それを実現したのだ。
 が、イエスの死は主なる神の計画であり、この世の罪を贖い、主なる神の愛をこの世に知らせることであった。サタンが如何に神の計画を破ろうとしても、すべて神の意志の中であった、と読むことが出来るのではなかろうか。


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