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『五人の信仰によって』(マルコ2:1-12)

2015.06.28(19:56) 292

『五人の信仰によって』(マルコ2:1-12)

数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。(マルコ2:1〜12)

〔説教要旨〕
 奇跡物語は、ほとんどの場合イエスの神的な、超人的な力を伝えようとするものだが、このお話の伝えたいところは別にあるのではなかろうか。イエスは、「その人たちの信仰を見て、中風の人に『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた」(2:5)とある。ここで「信仰」と訳されているギリシャ語「ピスティス」は、「信仰」という意味だけで無く、「信頼」という意味もある。実は、イエスが見て心動かされたのは、神への信仰というだけでなく、中風の人と4人の間で働いている「信頼」ではないか、と考えられる。
 例えば、4年前に起こった東日本大震災、たとえボランティアの手があったとしても、被災者が「助けて」と声を上げるには勇気がいる、ということが聴いた。また、高齢者の介護や障害者の介助の場でも同じであろう。そして、それは人が他者に対して、自分の弱さを見せることを躊躇させる、ということが根底にあるのではなかろうか。
 キリスト者は、この4人の「正しい行い」に集中しがちである。なぜなら「信仰」とは能動的で積極的な行為である、と考える癖があるからだ。この箇所は、能動的に主なる神を「信仰(信頼)」することの大切さだけではなく、受動的に隣人を「信頼」すること、また隣人と共に生きることの大切さを示しているのではなかろうか。

※今回は、説教の要約(要旨)です。

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