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洗礼者ヨハネとイエス(ルカ3:1〜20)

2015.05.11(21:11) 289

○改めて感じるのは、「洗礼者ヨハネ・バプテスマのヨハネ」という位ですから、イエスは洗礼を授けてはいなかったか、重要視していなかったのではないか、と思われる。(⇒だいたい誰が最初に「洗礼者」と言い出したのだろうか)
○エッセネ派⇒ヨハネ⇒イエスという形でメッセージを組み立てたのですが、改めて気がついたのは、史的イエスの視点から言って、イエスがその活動の柱においたのは、立場の異なる他者と出会うこと、そして共に食事を取ることだったのではないか、ということ。
○イエスが活動した当時のユダヤ人の状況については、改めて勉強しないとなあ、と。というのは、サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派というセクト(分派)活動があった、と説明されますが、そうした状況が生まれる時代状況はけっこう細かい話になってしまう。
○もう一つは、ヨハネがイエスにとっての師であったとするならば、イエスが自らの歩みを歩み出す上で、ヨハネの逮捕と処刑は意識したはず。それを乗り越える意識というのは、とっても大きなテーマかも…。

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※ 今年度から、説教原稿を掲載するのは、辞めることにしました。
その代わり、雑考というメモのみ掲載しまっす。どうしても欲しい人は…要相談…。



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