FC2ブログ

タイトル画像

『風立ちぬ、いざ生きめやも』(マルコ福音書6:45〜50)

2018.10.25(09:33) 381

『風立ちぬ、いざ生きめやも』
マルコ福音書6:45〜50

なぜイエスは通り過ぎたのか
 マルコによる福音書6章45節から50節において、イエスさまに促されてか、弟子たちはイエスさまを残して、ガリラヤ湖という湖に船を出しました。ガリラヤ湖はパレスチナ地域の北部にある湖で周囲50Kmほどの湖です。その周りにはイエスの出身地であるナザレや弟子たちが育った町がありました。弟子たちは、その湖に船を出したのですが、そのまま夜になりました。その時不思議なことが起こりました。今日の箇所、マルコによる福音書6章48節から49節をお読みします。
「6:48-49 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。」
 読んでみて、当たり前のことですが、不思議なことがあります。それはイエスが湖の上、水の上を歩いた、ということです。そして、もう一つ不思議な出来事があります。それは、イエスがその弟子たちの「そばを通り過ぎようとされた」ということです。弟子たちが湖の上で「漕ぎ悩んで」います。イエスさまには12人の弟子たちがおり、弟子たちの中には魚を捕る漁師が4人もいたはずです。船を操作することに関しては、誰にも負けるはずがない仕事です。しかし、その彼らが、船で漕ぎ悩んでいた。よっぽどの状態であったと言えるでしょう。で、イエスさまが「湖の上を歩いて」弟子たちの所へやってきた、弟子たちは「幽霊だ」といって驚いています。そりゃあ、驚くでしょう。しかし同時に、イエスさまはその奇跡的な力で自分たちを助けてくれる、と思ったでしょう。が、イエスさまは通り過ぎて、行ってしまったというのです。なぜでしょうか?とても不思議なことと言えるのではないでしょうか。また、イエスはどこに行こうと思っていたのでしょうか。

復活伝承として
 またもう一つ不思議なことがあります。それは、弟子たちが「幽霊だ」と叫んで、イエスを恐れている点です。変な言い方ですが、イエスが死んでいない、とすれば、またイエスが生きていた、とすれば非常に不可解な言動です。ギリシャ語のニュアンスから「幻だ」という解釈もありますが、もう一つの解釈を紹介したい、と思います。それは、この物語、逸話自体、イエスの十字架刑の後に起こったイエスの復活の記事、復活伝承ではないか、という解釈であります。
 福音書の物語は、様々な口伝伝承が組み合わされて出来た物語であります。そして、そうした口伝伝承はバラバラでしたから、順序もなかった。そして本来、この物語が、もしも、福音書の十字架刑の後の伝承が今の形になって、ここに収められていると考えてみると、弟子たちが「幽霊だ」という叫び、そしてイエスが弟子たちの舟を通り過ぎようとした、という不可思議な点も納得がいくのです。
 マルコによる福音書の最後の箇所、16章7節にはこのような言葉が記されております。
「16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」」(P.97)
 「先にガリラヤへの行かれる」という言葉にしたがってガリラヤへ行った弟子たちとイエスの出会いの記事、として、この出来事、逸話を捉えることはできないでしょうか。

風立ちぬ−堀辰雄の場合−
 今日の説教題、「風立ちぬ、いざ生きめやも」としました。昭和初期に活躍した堀辰雄の小説、「風立ちぬ」から、引用しました。堀辰雄には、結核を患った恋人がいました。結核とは今の時代ではなくなる人はいません。しかし、昭和初期においては、治療することが難しい病でした。その恋人と、サナトリウムという空気の綺麗な山の中にある病院と過ごした日々を描いた作品です。
 その最初にこの詩が、記されていました。「風立ちぬ、いざ生きめやも」。もともとはフランス語の詩を訳した言葉です。わかりにくい言葉で、誤訳では無いか、という話もあります。が、おそらく堀辰雄さんとしては、「風が吹いた。さあ、生きようではないか」とか「風がふく。生きることに挑戦しなければならない」といった意味を込めたのではないか、と思われます。もともと、現実生活の中で、堀自らも肺を病んでおり、恋人と同じサナトリウム(病院)へ入院して、回復を願っていました。しかし、恋人は亡くなってしまい、自らは生き残った。そこから生きる、という歩みを、再び歩み出そうとするとき、自らの体験を小説に徴ながら、辛い日々ではあったけれども、今一度振り返るためにこの小説を記したのではないか。また、改めて「風立ちぬ、生きめやも」、「風が吹いた、生きていこうじゃないか!」と自らを奮い立たせて、新たな歩みを始めようとしたのではないか、と感じております。

風立ちぬ−堀越二郎の場合−
 また、「風立ちぬ」という題名、つい5年前、スタジオジブリの宮崎駿さん監督のアニメーション映画作品として描かれました。その作品の中での主人公は、堀辰雄さんともう一人、堀越二郎さんという人の人生が組み合わせられた形で描かれていました。堀越二郎さんという人は、旧日本軍の戦闘機だったゼロ戦の設計者でした。ちなみに、ゼロ戦は、愛知県の名古屋市の港区で設計されました。
 そしてゼロ戦の設計者を描くということで、戦争を賛美するのか、ということで、アジア諸国から批判がありました。そんなこともあって、私は、ジブリ映画が大好きだったこともあり、機械モノが好きだったこともあり、いろいろ調べてみました。すると、ゼロ戦について、堀越二郎さんがどのように考えていたのかがわかるようになってきました。
 ゼロ戦、正式には、零式艦上戦闘機と言います。零というのは、数字のゼロのことで、完成した年を示しています。1940年に使われ出したことから1940年のゼロを取って、「零式…」、ゼロ戦となったわけです。1940年の開発当時は、圧倒的な性能を誇っていました。日中戦争においては、その航続距離の高さから重慶の爆撃にも参加し、また運動能力の高さから、ほとんど打ち落とされなかったそうです。しかし、1945年の敗戦に至るまで、アメリカ軍の戦争機は、どんどん性能を上げていくのに、くらべてちょっとした改造を加えていくだけで、あまり発展せず、戦争末期には、時代遅れの機体であったと言うことができます。また開戦当初は、ベテランパイロットがたくさんいましたので、当然、ゼロ戦も強かった。しかし戦争が進んでいく中で、アメリカ軍や他の国の戦闘機の性能がどんどん上がっていく中で、ベテランパイロットが命を落としていく。またゼロ戦も敵国から研究されてしまう。そして防御が弱いという特徴が明らかにされる。戦闘機は燃料タンクとパイロットが弱点で、普通は分厚い鉄板で守られるわけです。しかしゼロ戦は、そうした防御を減らすことで、機体を軽くして、性能を上げていたから、それをすると弱くなってしまう。
 そして、どんどん外国に性能は抜かされていき、ベテランパイロットも少なくなっていく。経験の浅いパイロットしかいなくなってしまう。そして航空機、戦闘機同士の空中戦で、旧日本軍は勝てなくなってきた。そんな状況の中で、いわゆる特攻攻撃、特攻隊という発想が出て来る。ベテランパイロットたちが減っている状況です。ですから、特攻隊の隊員という人は、だいたい若い人たち、更にパイロットとしての経験も少ない人たち。訓練期間も普通は、1年ぐらいだったのが、戦争末期には半年になり、初陣(初めての戦闘)が、特効という場合もある。
 そんな状況を、堀越二郎さんは、とても苦しい思いをもってみていたそうです。ゼロ戦の改造はするけれども、海軍も余裕が無くなってきているという状況。自らが設計した機体で多くの若者が命を落としていく状況に対して、とても悔しい思い、苦しい思いをもっていたそうです。しかし、戦時中ですから、そうしたことを発言することは、即、非国民として糾弾される可能性もあり、できなかった、と。

誰もが状況を抱えている
 アニメーション映画の題材となった堀辰雄さんと堀越二郎さんの歩みについて触れさせて頂きました。ゼロ戦の設計者である、堀越二郎さんをモデルに映画を作ることについて、批判もあることは予想もできたでしょう。しかし宮崎駿さんは題材にすることにしました。そこで何を描きたかったのか。私はこんな想像をしています。
 映画の宣伝用のキャッチコピーは、「生きねば」とされています。また現在、『君たちはどう生きるか』の映画化に着手されています。おそらく、宮崎駿さんとしては、今という変化の大きな時代の中において、様々な状況の中で生きなければならない人という存在に対して、映画の観客に対して、「生きる」とはどういうことか、あらためて考えて欲しい。自分の意志で生きるということはどういうことか、ということを考えて欲しいと思っているのではないか、と思うのです。私たち、生きる場所ぐらいは選ぶことはできます。しかし、生きる時代や状況を選ぶことは、現実的に言えば、なかなか難しいと言わざるを得ません。(戦争、夢、時代、病気、恋人を失うということ)

教会の歩みとして
 今日のテキストのお話に戻ります。イエスさまが十字架刑にかかり復活した後、弟子たちがどのような歩みを果たしたのか、細かな歴史的な事実として知ることは出来ません。しかしエルサレムにおいて教会としての歩みが始まったことは使徒言行録から知ることができます。今日のこの箇所が、イエスの十字架刑とエルサレムにおける活動の間にあったとしたら、どんな話だっただろうか、と想像して、この箇所を味わってみたいと思います。
 イエスの十字架刑の後、墓にイエスを納めた弟子たちは、イエスに「ガリラヤで会える」という言葉を頼りにして、ペトロを中心として、ガリラヤ湖湖畔の町、ベトサイダに帰ってきました。しかし、イエスに会うことはできません。時間は経っていきます。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟はもともと漁師さらに網元だったので、家には舟もあったので、漁に出るようになりました。弟子たちは、イエスさまのことが心残りといえば、心残りでした。この世の救い主だと思っていたのに、なぜイエスさまは逮捕されて、十字架刑で死ななければならなかったのか?自分たちが信じたイエスさまは何者だったのだろうか。
 でも更に、不思議なことは、イエスさまの遺体を納めたはずの墓は空だった、遺体はどこに行ったのだろう。さらにあの墓には見たことも若者がいて、マグダラのマリアと何人かが出会った。そしてその若者が言った言葉。「『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」あの言葉の意味は、どういう意味だろう。なにか起こるのだろう。そんな思いを持ちながら、舟に乗って、漁をしていた。ある日一晩中、漁をしていたけれども、何も取れない。明け方になってきた。しかし強い風が吹いて、港へは、なかなか戻ることが出来ない。どうしよう。帰ることが出来ない。と、思っていると、水の上のはずなのに、誰かが近づいている。誰が?いや、何故?…なんと、イエスさまが、歩いて近づいてくる。こちらへやってくる。誰かが叫び声を上げた。死んだはずなのに、なぜ?幽霊か?いったい何が起こったのだ?どうしたんだ?そして、どこへ歩もうとされているのだ…。

なぜイエスは弟子たちの前を通り過ぎたのか
 舟は教会のシンボル、象徴であります。弟子たちはガリラヤへ帰ってから、いわゆる一般的な漁師の生活に戻ろうとしていたのでしょう。しかし、嵐に遭い、動けなくなっているところへ、十字架刑で亡くなったはずにイエスが現れ、自分たちの所でもなく、自分たちが進もうとしている所でもなく、通り過ぎて遠ざかっていこうとしています。
 イエスは、どこに向かって歩もうとしていたのでしょうか。それは、弟子たちが歩むべき道であったのではないでしょうか。嵐の中での出来事、弟子たちにとって、「風」であり、イエスの歩みは、新しい道を「生きるのだ」という呼びかけ、メッセージだったのではないでしょうか。
 新しい状況の中で、自分たちが歩もうとする道に思い悩むこともあるでしょう。そんな時、イエスさまは私たちの前に新しい道を示してくださるのではないでしょうか。弟子たちにとって、イエスの復活とはそんな意味もあったのではないでしょうか。


18101401.png 1810142.png


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ↓ブログランキングに参加しています。
    よろしかったら、クリックして下さい。
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村哲学・思想ブログキリスト教へにほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 名古屋情報へ
にほんブログ村
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

スポンサーサイト

周縁自体


2018年10月
  1. 『風立ちぬ、いざ生きめやも』(マルコ福音書6:45〜50)(10/25)