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『針の穴に入れるだろうか』マルコ福音書10:17-31

2013.11.25(10:30) 242

『針の穴に入れるだろうか』
(2013/11/24)
マルコによる福音書 10章17~31節

青年の悩み
 イエスのところにやってきて、17節において「ある人」と記された、問いを投げかけた人。並行箇所によれば、青年であり、さらに22節によれば、かなりの財産を持つ豊かな存在であることが知ることが出来ます。そんな彼が、イエスのところにやって来て、質問しました。17節の言葉。
「「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」」
イエスのその問いに答えたというよりは、ある種冷たさを帯びたような突き放した言い方で返しています。18節19節。
「10:18 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。10:19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」」
 「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」というのは、モーセによって与えられた律法の中心とも言える十戒に記されている戒めです。そういった意味で言えば、律法全体の精神、魂が記されてものです。その十戒における神との関係に書かれている以外の内容を語って、イエスは問い返した、と言えます。そして言うなれば、この財産を持っている若者。おそらくその後のイエスや弟子たちの態度なりから捉えられることとして、おそらく見るからに財産を持っている姿であり、世間知らずな若者であったのだろう、と思えます。また、質問のたて方自体、そんな若者らしさを帯びている、と言えます。
 イエス自身、彼との応対の最初に「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」と、「善い先生」と呼びかける青年に対して、答えていますが、そうした捉え方を補うものです。そして、もう一つの疑問が出てきます。この青年、イエスに対して「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と質問してはいるのですが、本当に導きを求めていたのか、イエスに「こうすれば、永遠の命を得られるよ」という言葉、答えを求めていたのでしょうか。
 おそらく違います。この青年、ただ「あなたは永遠の命を得られる」「このままで良い」「神の国に入っている」と言ってもらいたかった。そして彼自身、そのことを疑いなく、確信してイエスにわざと問うたのではないでしょうか。そうした自信と思いが、20節における「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」との言葉に表れています。そして、それが全身にみなぎっていた。しかし、イエスが返した返答は、そんな彼の自信を打ち砕くものでありました。21節のイエスの言葉。
「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

生まれと財産
 この青年がどのような人であったのか、を考えるため、この対話を聞いていた弟子たちの反応について触れてみます。どうやらイエスの弟子たちも、この青年が「救いに至ることが出来る」「永遠の命を得ることが出来る」と考えていたと思われるのです。23節に記されているイエスの言葉「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」を聞いて弟子たちは、「驚いた」と記されています。これは、「永遠の命を得ること」「神の国入ること」が、とても困難であるということに驚いたというよりも、この青年が、若者でありながら豊かな立場であり、律法も守りやすい立場であった、ということ。そんな青年でありながらも、「永遠の命をえることが困難なのだ」ということに驚いたのです。
 弟子たち、これまでの歩みの中でも、この先においても、いろいろな点で勘違いをしています。ペトロにしても、他の弟子たちにしても、イエスさまが歩むべき道を見誤っていました。イエスが栄光の時には、誰が右に座るのか、左に座るのか、で言い争う人々でありました。そうした意味で弟子たちはイエスの真意、神の計画を勘違いしていた。そして、この箇所における「弟子たちの驚き」も同じことです。弟子たちは、別に神の国へ入るためのハードルの高さ、困難さに、驚いたのではなかった。見るからのこの青年は、永遠の命を得ることが出来る、神の国に至るには入ることが出来る、または近い、と考えていた。しかし、この青年であってもダメであるとはどういうことであるのか、どうすれば良いのだろうか?そのような思いの驚きなのです。おそらく、弟子たちの目に見て、なぜ青年は「永遠の命」に相応しかったのか。おそらく青年はイエスに敵対するわけではなかった。
 さらに、もしかしたら、彼の父親や家族は、イエスさまと弟子たち一行を、経済的に支えるなり、一夜の宿を提供するなり、食卓を準備したりしていたかも知れません。エルサレムに近い地域に住み、裕福であり、律法もしっかり守る家の人々。さらにイエスさまの活動を支えようとした家族の子。弟子たちといえば、ほとんどの人たちがガリラヤ出身であり、ある意味で田舎者であり、律法的にも汚れた立場の人たち、立場の弱い人たち、でした。そうした立場からして、この青年には、何の文句の付けようもない人。言うなれば、29節に記されているようなもの「家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑」といったものすべて、そして莫大な財産をもっていたのでしょう。イエスさまが生きた社会において、財産の量と、家柄の良さというものは比例しているのです。

あなたに欠けているものが一つある
 が、21節において、イエスは、この若者に対して、「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と述べていますが、家にあるような財産のすべてを売りなさい、という意味に受け取るのは不自然な感じです。どちらかといえば、もっと単純に、今身につけている衣服や手に持っているお金を、施しなさいということであったのではないでしょうか。ある意味で、この青年、そんなこともしていたかも知れない。しかし、イエスが語った最後の言葉。「わたしに従いなさい」ということは出来なかった。
 若者の立場において、財産を持っているということは、彼自身が豊かであるというよりは、家なり親なりが豊かであるということです。イエスに従うということは、そうした親を捨てなさい、ということ。そして更に言うのであれば、彼自身、将来には、家父長制の家族の中において、いずれ父親の後を継いで豊かな家の家長として、父としての道が約束されている。そして、それは自分の子ども、孫、子孫にも、受け継がれていくもの、という思いをもっていたでしょう。
 この青年、もしかしたら、手持ちのお金ぐらいは献げることは出来る、と考えたでしょう。しかし家族を捨てることが出来るか、家族の意見、また父親の意志を無視して、財産を捨てること、家族を捨てることが出来るか、という問いの中で、この一瞬のうちに、いろいろ考えに考え、従う事が出来ない、と思い、立ち去ったのではないしょうか。

ラクダと針の穴
 イエスさまは、この青年とのやり取りの後、弟子たちに向かって、「ラクダと針の穴」を喩えに用いた言葉を述べます。24節25節をお読みします。
「10:24 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。
10:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
 「らくだ」というのは、中東において、もっとも大型の動物であり、おそらく当時のユダヤ人たちが知っている動物の中でもっとも大きな動物であったでしょう。そして、針の穴とは、知る限りのもっとも小さな穴ということができます。そんなことが出来るわけがない、というのが誰もが感じることでしょう。
 では、この言葉をどのように受け取るべきなのか。私たちとしては、この逸話とイエスの言葉をどのように受け取れば良いのでしょうか。金持ち、と言っても、いろいろな捉え方がある。と相対化してしまって、捉えれば、誰でも金持ちであり、誰でも貧しい者であるとも言えてしまう。また、現実主義的に、いくら以上の財産、お金を持っていれば、金持ちであり、神の国に入れない、逆に、いくら以下の財産しか持っていなければ神の国に入ることが出来る、ということが出来るのでしょうか。しかし、青年とイエスさまとのやり取り、対話から読み方を限定するのであれば、実はこうした捉え方が間違いであることがわかります。

イエスに従うということ

 イエスさまの招き。マルコ福音書における、旅の間において、「わたしに従いなさい」と自らと共に、神の国の到来を告げる旅、そしてエルサレムへの旅、へと出会った人を招いているのは、弟子たち以外には、この青年ともう一人います。今日の箇所に近い箇所、マルコ福音書10章46節から52節に記されている盲人バルティマイとの出会いであります。目が不自由であったバルティマイでしたが、イエスによって目が見えるようになり、イエスに従いました。その箇所をお読みしたい、と思います。10章49節から52節。(P.83)
「10:49 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 10:50 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
10:51 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。10:52 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。」
 バルティマイと今日の箇所の若者の違いは何か、バルティマイは、ある意味ですべてを失っていたと言えます。盲目の立場で、財産も家族も未来も失っていた。そして、若者はあらゆる者を持っていた。財産も家族も未来もあった。そういう関係です。そして、バルティマイは、目が見えるようになり、家族の所に帰れるようになった、失ったかと思われた、財産も未来も再び手にすることが出来るかも知れない立場に帰った。さらにイエスさまにも「行きなさい」と家族のところへ帰ることを促されているのにも拘わらず、イエスに従う道を選んだ。しかし、若者は選ぶことが出来なかった。この違いは何と言えば良いのでしょうか。また、単純に持たざる者が神に選ばれ、持つ者が神には選ばれないということでもないのです。

青年に欠けていたのは?
 なぜ青年は、イエスに従う事が出来なかったのか。そしてバルティマイは、「従いなさい」と言われていないにも関わらず、イエスに従う歩みを歩みました。そして、まさにペトロが28節において、「何もかも捨ててあなたに従って参りました」と発言しているように、イエスさまに従う事が出来るか、出来ないかが神の国に入ること、入らないことの基準なのだ、ということをこの箇所は示しているのでしょうか。わたしは違うと思うのです。
 この二つの出来事から、私たちは読み取るべきことは何か?それは、誰にとってもイエスさまに従うに当たって、また神さまに従うに当たって、それぞれの人に通らなければならない針の穴があるのだ、ということを示している、ということではないでしょうか。私たちが若者の立場であったら、どうでしょうか?この青年の選択が、単純に自分の問題だとすれば、金に目がくらんだ行動では忌むべきものだ、と捉えられます。しかし、家族全体の問題とすれば、どうでしょうか?また、もしかしたら若者と言っておきながらも、すでに子どももいたかも知れません。まさしく針の穴を通ることが出来ないラクダのような困難さを覚えるのではないでしょうか。また、盲人のバルティマイ、家族もいない財産もいない孤独な環境。イエスに従うこと、に関してだけ言えば、若者に比べれば身軽な立場です。針の穴は通りやすかった。
 最後に致しますが、こんな想像をすることは出来ないでしょうか。イエスは21節において、「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」とあります。別に、イエスは彼を断罪したわけではないのです。財産を捨てなければ、イエスに従わなければ、永遠の命を得ることが出来ない、と言ったわけではないのです。イエスは彼に対して、神さまは、財産の量や献げ物の量を、どれだけ貧しい人に献げられるか、また、神さまに献げられたか、といった量の問題ではなく、どれだけ神さまの思いに近づけるのか、ということを問題にしていたのではないでしょうか。
 イエスさまは27節において言います。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」。若者は、間違ってイエスの言葉を受け取ったのと思うのです。それは、なぜ、彼はイエスに従うことと天に摘むことを天秤にかけてしまったのか。また弟子たちもある意味で天秤にかけてしまっています。自分たちはイエスさまに従ってきたから、神の国に入ることが出来る、と。
 しかし、この27節の言葉「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」という言葉から考えるべきこと。そして、わたしたちが本当に悩むべきことは、神さまに良い評価をされることを求めるのではなく、神さまが喜ぶべきことは何かということではないか、ということ、神と共にあることを望むことではないでしょうか。「神は何でもできる」という言葉。神の言葉を聞くとき、私たちは誰でも、らくだの体を持ち、針の穴を通るような思いに駆られるかも知れません。そんなとき、一人の力ではなく、神の力を借りて、その穴を通りぬけることは可能なのではないか、と思います。神が喜ぶべきことを、神の力を借りて、神と共に為していきたい、と思っています。

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