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「イエスと共に喜ぶ」フィリピ2:12-18(花の日礼拝)

2013.06.11(09:38) 211

「イエスと共に喜ぶ」
(2013/6/9)
フィリピの信徒への手紙 2章 12~18節

パウロの言葉
 今日、わたしたちに与えられた聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙2章12〜18節であります。このフィリピの信徒への手紙は、使徒であるパウロが逮捕され獄中にあったとき、場所を違えていながらも、同じ信仰に固く立っていたフィリピの教会の人びと宛に書かれた手紙であります。他にも獄中で書かれた手紙として、エフェソの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙が挙げられますが、その他の文書と合わせて「獄中書簡」と呼ばれています。
 パウロは、おそらくキリスト教を宣教するが故に逮捕されていました。が、逮捕されていながらも、手紙を書いたり、人と会ったりすることはある程度、自由に出来たのではないか、ということはこの手紙の内容から、推察されることであります。今日お読みしました2章12節の冒頭、パウロは「だから」と文章を初めて、「いつも従順であったように、わたしが一緒にいた時だけでなく、いない今はなおさら従順でいなさい」と「従順さ」をすすめております。そして、文頭の「だから」は直前の2章6〜11節にかかっております。この6節から11節は「キリスト賛歌」と呼ばれる箇所で、古代教会の讃美歌なり信仰告白であったと思われる文章であります。この6節から11節をお読みします。
『2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。』
 そして、12節から18節においては、キリスト者としての歩むべき、歩む方について、信仰生活として、教会生活として、どうあるべきか、を述べている箇所と言えるのではないか、と思います。

祈りの本質
 今日の聖書の箇所、12節13節をお読みします。
「2:12 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。2:13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」
 パウロはフィリピの教会に対して、自らと同じ目標を目指すのでは無く、主イエスへの従順を求めて、務めるように進めています。パウロは、教会の働きとして、主なる神の守りを願い、主イエス、聖霊が共に歩んでくださることを祈る、ということを考えているようです。そして、この言葉の根底にあるのは、パウロのフィリピの教会の人々に対する絶大な信頼感と言えます。そして、こうした信頼感による認め合いこそ、委ねるという行為が、信仰共同体の広がりを生み出していくと言えるのではないでしょうか。そして祈りの機能として、そうした信仰者の間にある壁である空間や時間を超えて、人と人を繋げる役割があると言えないでしょうか。

祈りの本質

 先ほど、ご紹介しました「朝の祈り」という絵画、林竹治郎という人は、1871年に生まれ、仙台において師範学校在学中の18歳の時に洗礼を受け、キリスト者となりました。そして東京美術学校に進み、卒業後、北海道師範学校の美術の先生として活躍しました。そうした生活の中、この『朝の祈り』は、1905年に第一回の文部省美術展に入選し、作品と同時に、林竹治郎の名前は、広く知られるようになりました。現在ではこの作品は、北海道立近代美術館で見ることが出来ます。そして興味深いこの作品の題材となっている「朝の祈り」の場面、ただ一回切りのコトではなく、実は、林竹治郎が50年間も続けたことだったというのです。そして、その祈りの場というのは、林竹治郎にとっては下宿している画家を志す学生たちへの伝道の場であったそうなのです。
ここに学生服の子どもがいますが、モデルとなった彼も、そうした画家を目指す学生の一人だったそうです。ある学生の回想文が残っていますので、その箇所を朗読します。
「林先生の伝道者としての真骨頂はその家庭礼拝であった。家族、生徒と共に、朝は祈祷(きとう)、聖書朗読、賛美歌合唱、夕は更に説教が入り時間も長くなった。
足はしびれる、おなかはすく、初めから信仰を求めて来たのではない生徒にとっては一日も欠かさない家庭礼拝は恐ろしく退屈であり、先生の家庭が窮屈(きゅうくつ)に感ぜられた。先生は委細(いさい)構わず家庭礼拝を守り続けた。生徒の方は足よりもおなかよりももっと困ったのは時々お祈りをさせられることであった。先生の一家は早く信者になったが生徒の方は成果が上がらなかった。上級になると口実を設けて他の下宿屋に移ったり親戚の家に避難したりした。しかし、洗礼を受けて信者になる生徒があった時の先生の顔は満足の笑みにあふれ、感謝の祈祷は何時もよりさらに長かった」

(札幌市北区役所HPより http://www.city.sapporo.jp/kitaku/syoukai/rekishi/episode/071.html


信頼を根底に
 そして今日、皆さまと分かち合いたいことは、この絵がキリスト教信仰のあり方として、伝道、宣教のあり方として「祈り」が非常に大きな位置を締めているのではないか、ということです。この絵、言ってみれば、ただ単に「祈っているだけ」の絵です。しかし事実として、この絵から多くのキリスト者が生まれています。この絵の中に描かれた母親の膝に甘えているのは、林文雄という人は、キリスト者として、ハンセン病のために生涯を捧げた医者となりました。また、この絵によって信仰を得て、牧師となって人もいます。
 どうでしょうか?わたしたちが信仰を得るとき、主なる神、イエス・キリストが身近にいるということを感じるというのは、礼拝の場とか、聖書を読むとか、説教を聞くとか、讃美歌を聴く、も当然あることはありますが、実は、誰かの信仰によって心動かされるというケースの場合が多いのではないでしょうか。そして多くの場合、それは自らに対する働きかけよりは、ある信仰を持つ人が主なる神に祈る姿、自分ではない誰かに働きかける姿、また誰かのために祈るという姿に心動かされる、ということが少なくないと思うのです。
 たとえば、この絵の中にモデルとして、描かれている学生。別に信仰を持っていなかったかも知れない。しかし、書き手は深い信仰を持って、この絵を描いている。そして、信仰にあり方を伝えようとしている。
同時に、この学生に対しても、キリスト教信仰とは何か?ということを伝えようとしている。また林竹治郎自身、自分の姿をここには描いていませんが、ここに自らの信仰の姿を描こうとしたのでしょう。彼自身、こうした朝の祈りのときを50年間、持ち続けたそうです。そうした熱意、思いというものは、祈りたい、という思いではなく、まさに彼にとっての信仰表現そのものであった、と言えるでしょう。

わたしと一緒に喜ぶ
 今日の聖書の箇所に戻ります。フィリピ書2章17節18節をお読みします。
「2:17 更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。2:18 同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。」
 パウロが言う「わたしの血が注がれるとしても」というのは、イエス・キリストにおける最後の晩餐のときの言葉「これは私の血」に近いものを感じます。そして同時に、この言葉は、パウロだけでなく、フィリピの教会の人々だけでなく、キリスト教信仰を持つ人々、すべての人々が共有する思いがあるのではないか、と思います。わたしたちにとって当たり前のことでありながら、考えてみれば、悲しいことがあります。それは、キリスト教信仰を持つ人が共有している思い、それは私たちの道しるべである、主イエス・キリストが私たちのもとにいない、ということです。そして、そのイエスと再会したい、と願っていながら、なかなか叶わないということです。
 しかし、それが叶わなかったとしても、あまり悲しくない、というのは、そのイエス・キリストが、私たちに対して、思っている思いというのは、おそらく「たとえ、離れていたとしても、それぞれの場において、わたしがいたときのように、主なる神を中心とした神の国を先取りする場を築いて欲しい」ということが根底にあるのではないでしょうか。パウロも同じ思いです。この箇所において、「わたしと一緒に喜びなさい」と述べていますが。パウロとしても、たとえ離れていても、自分が苦しい状況にあったとしても、あなたたちの喜びを心の底から喜んでいますよ、という思いなのです。

イエスと共に喜ぶ
 わたしたちの教会の歩みは、言ってみればその初めから、イエス・キリストが去った後から始まりまっています。イエス・キリストを信じ、彼の教えを求め、神の子としての導きを求めて集まってきた人びとの群れが教会ですが、あくまで教会の始まりは弟子たちであり、イエスが去った後、始まりました。しかし、そこに導きがあると考えたい、と思います。わたしたちは祈りや礼拝によって、主なる神、イエス・キリストが共にいることを祈ります。そして同じように、パウロが手紙で実現したように、たとえ場所が離れていたとしても、また時間が違っていたとしても、同じ場所において、同じ時として、同じ祈りを祈り、同じ悲しみを悲しみ、同じ喜びを喜ぶことができるのではないでしょうか。
 今日、礼拝の中において、聖餐にあずかりますが、食卓の招き手は主なるキリストであります。そこに示されていることは、私たち1人1人がキリストと共にあることであり、キリストにあって私たちが1つであるということです。また、私たちは、たとえ1人孤独に祈るときであったとしても、また『朝の祈り』のように家族だけであったり、家族の誰かが離れた場にあったりした場合であったとしても、主イエスが共にいて、主によって繋がっているのだ、ということを受け入れること、互いの喜びを一緒に喜ぶこと、それが信仰のあるべき姿ではないでしょうか。主なる神が私たちと共にいることを信じ、今日、この時、共に礼拝に招かれた恵みに感謝し、祈りを献げたい、と思います。


〜〜〜〜
追記:いつも小田原教会では、一つの礼拝において子どもへのメッセージも
祝福として行っています。それもこの記事においては、記したい、と思います。


今日は「花の日礼拝」として、守っています。お祈りする前に、一枚の絵を紹介します。
この絵は、「朝の祈り」という題名の絵で、林竹治郎という人が描きました。
今から、100年以上前の1904年に書かれた絵で、とっても有名な絵で、先生も小さい頃から知っています。
で、この絵は、あるおうちの朝のお祈りの時間の絵です。
そして、いくつか特徴がありますが、どんなことはわかりますか?
お父さんが居ないことです。そして、お母さんは何か悲しそう。
聖書が一冊だけでとても大きいこと。でも、とても大切にしていることがわかります。
この「朝の祈り」は戦争にいって、ここにいないお父さんの無事を祈っている絵です。
お祈りって、こういう気持ちが大事ではないか、と思うのです。ここにいない人のために祈る、
祈りの姿勢ってこういう気持ちかな、と。
そして、ここに居ない人のために、神さま、イエスさま、働いて下さい、っと気持ち。
そして、また会うことができたときには、心の底から喜ぶこと。
みなさんもこんな気持ちを大事にして欲しい、と思います。
では、そんなことを思い、みんなでお祈りしましょう。

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『イエスの義を求めて』フィリピの信徒への手紙3:1〜11

2012.10.23(11:29) 164

『イエスの義を求めて』
(2012/10/21)
フィリピの信徒への手紙 3章1〜11節

フィリピの教会とパウロ
 今回お読みしました「フィリピの信徒への手紙」はパウロの獄中書簡と呼ばれる文書の一つです。パウロが繋がれていた場所については色々と説がありますが、監獄につながれていた時に書かれたということはその手紙の内容から確かなことです。また、手紙の内容からパウロとフィリピの教会の信徒の関係はとても良い関係であったと考えられます。こうした教会に向けられた讃美と愛情の言葉は他のパウロの手紙にはほとんど見られないことから、パウロとフィリピの教会の信徒とがこれらのことからとてもいい関係であったことが窺い知ることができます。
 しかし、今日の箇所は、穏やかではない言葉が山積しており、明かにパウロは感情を乱しております。3章2節をお読みします。
「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい。」
 パウロは非常に怒っています。何に対して、怒りをもっているのでしょうか。パウロが「あの犬ども」というのは、非常に強い見下しの言葉です。そして具体的にはフィリピにあった教会の中にいたユダヤ教的な考え方を持った一部の人々のことであり、パウロとは律法に関して、全く逆の考え方をもっていたのです。
 その「犬ども」と呼ばれている人々は、キリスト教徒は、「割礼」や「律法」を受け入れるべきだ、と考えていました。なぜならば、イエスもユダヤ人で、イエスさまが「父(アッバ)」と呼んだ主なる神は、イスラエルの民の神、ユダヤ人の神だから、イエスを救い主とする人は、「割礼」や「律法」を受け入れるべきだ、という考えです。一応、理に適った考え方ということは出来るでしょう。単純に言って、イエスはユダヤ人だったのだから、そのイエスを救い主とする人は、ユダヤ人的な生活習慣や文化を守るべきだ、という考え方です。


原始教会における割礼と律法
 パウロはそうした考え方とは、違う考え方をもっていました。そして、同時にそうした考え方を受け入れられませんでした。パウロにとって、イエスの存在、そして主なる神の存在は、言うなれば「割礼」や「律法」に縛られない存在です。イエスを救い主と信じるかどうか、と「律法」を守ることは関係がない、またイエス様が現れたことによって、ユダヤ人であろうと、異邦人であろうと、律法を守る必要はなくなったのだ、律法によって、人が主なる神の導き、意志を知るという時代は終わったのだ。そういった考え方がパウロの考え方でありました。
 また、そうした考え方の違いがあったとしても、同じくイエス様を救い主と信じる者たちとして一緒にやっていこうじゃないか、仲良くしようじゃないか、と考えれば良いのではないか、という考えもあったでしょう。しかし、パウロはそうした考え方に同意も出来ませんでした。それは、「割礼」を重んじること、「律法」を重んじることは、結局のところ、民族主義に行き着くというのが、パウロの考え方でありました。ですから、受け入れられない。そして、パウロが手紙として残した、このフィリピの教会にしても、コリントの教会にしても、ガラテヤ地方の教会にしても、律法や割礼を重んじる考え方、キリスト教に律法が不可欠だという信仰、イエスを救い主として信じること、イエスの語った救いに至るのに、律法が必要だという考え方、信仰に徹底的に反対しました。
 この対立は、聖書の中においては、主にパウロ自身の宣教者としての歩み、使徒としての歩みに現れています。パウロは、今日の箇所でも、ユダヤ主義的な考え方をもつ人々が重んじていた割礼を「切り傷にすぎない」ものと語り、自分たちを「真の割礼を受けた者」と読んでいます。またユダヤ教の律法に従うこと、613もある規則を重んじるという姿勢を「肉に頼」るものとして批判しているのです。そして、自分たちは見える形での「割礼」を受けてはいないが、形に見える「肉」による従い方ではなく「霊」による従い方、真の従い方をしているのだ、と語るのです。
 イエスさまが十字架への道を歩み、復活して、天に昇ってから、いわゆる使徒の時代、原始教会の時代が始まります。ペトロを代表とする12使徒やパウロの時代、エルサレムから、使徒たちや名も知らぬキリスト者たちの宣教活動によって、各地に教会が建てられました。しかし、その当時は、定まった教義も組織もありません。規則もなく、また聖書さえもない状態でした。
ここで言う聖書とは新約聖書ですが、新約聖書が、私たちの知っている27の文書と決められたのは、その後200年以上も経ってからのことです。そうした状態でしたから、キリスト教の教えについて、まとまりがなく、バラバラの状態。そして一番最初に問題となったのが、今日の手紙で話題になっている「律法」でした。「割礼」に代表される「律法」をどのように考えるのか、「律法」をどのようなものとして捉えるのか、という問題でした。そして、こうした教会としての経験、議論を超えて、わたしたちの現在の教会がたっているのです。

パウロにとっての律法と福音
 今日の箇所、パウロという人の背景に触れることが出来ます。フィリピの信徒への手紙3章5節6節。
「3:5 わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、 3:6 熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」
 パウロは生まれて八日目に割礼を受けた、と語っていますが、これは自分だけではなく、自分が生まれた家もそうだったということ、親も律法を大切にする人々だった、ということです。そして、「イスラエルの民、ベミヤミン族」だ、ということ。これはただ単に、神に従いたいという心の問題、信仰の問題だけではなく、民族的にも由緒ある民族だ、ということ。そして、非常に律法を厳格に守るファリサイ派の考え方を持ち、さらにその熱心さを持っていたからこそ、ユダヤ教の中に生まれたばかりのキリスト教の考え方が広がらないように、迫害していた、キリスト教の考え方、「主イエスが神の子である」ということ、「十字架によって神の愛」が示された、という教えが広がることを恐れて、各地のユダヤ教の会堂を訪ね歩いて、そうした教えが広がらない活動をしていた、という彼の行動にも繋がります。
 そしてキリスト者となり使徒となったパウロ。ユダヤ教の会堂でキリスト教の教えを広める立場になります。まったく逆のことです。しかし、興味深いのは、いろいろな会堂を訪ね歩くような「熱心さ」においては、同じではないか、と感じることです。しかしパウロは、次の箇所3章7節でこのように語っています。

「3:7 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。」
 パウロは、使徒でありながらも、様々な形でその「使徒の権威」について闘った人でありました。イエスの直接の弟子であったペトロやアンデレといった使徒に比べて、パウロは生前のイエスさまには出会ったことがなかったから、ある人々にとっては偽の使徒、使徒ではない、とされていました。
 そして一つのジレンマにぶつかります。使徒であることを重んじる人々、そしてそうした人々は同時にユダヤ人であることやユダヤ的な考え方を重んじる人です。そうした人に対して、自分の意見を受け入れさせるためには、自分が使徒であるの説得性や働きの大きさ、そしてここの箇所に記されていたように、「ユダヤ人の中のユダヤ人」であることを語れば受け入れてくれるかもしれない。しかし、それは自分が望む方法ではない、というのがパウロの抱いていたジレンマでありました。そして、そうした葛藤や思いが、3章7節の「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。」という言葉に表れているのです。

律法の義ではなく
 そして、更に続く8節9節においてこのように述べています。
「3:8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、
3:9 キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」

 パウロが、考えている義、神に「良し」とされることは、どのようなことか?この記述からだけでは具体的にはわかりません。ただ、パウロは今日の箇所においても、ユダヤ人であるかどうか、といった民族性、パウロ自身がもっていたユダヤ人の中のユダヤ人というエリート性も民族性、または能力と言えるでしょう。そして、ある箇所においては、自らの働きにおける苦労さえも、キリストに義とされるかどうかには、関係ないという内容のことを述べています。

 おそらくパウロは、民族性や働き、能力の違いにおいても、主なる神は、その人を評価することをしない、という思いを持っていました。そして、言うなれば、そうしたことはすべて今日の箇所3章3節にある言葉、「肉に頼ること」、9節にあるように「塵あくた」である、と。そして、義に至るということは、自ら義になろうとして、義になることではなく、ただ主なる神の役割である、キリストの役割であるということ。ただキリストのみを求めることによって、キリストのみを信仰することによって、人は義とされるのだ、と考えていたのではないでしょうか。

ただイエスのみに義とされるため
 私たち自身も、自分自身を評価します。自分のどこが好きか、嫌いか。また誰よりも優れているか劣っているか。知識的にはどうだろうか、信仰的にどうだろうか、常にそうした評価に囚われている。そうしたように評価することが間違っている、と思っていたとしても、世の中の価値観に引っ張られて、人を評価してしまうこともあるでしょう。
 パウロがローマの信徒への手紙に記した言葉で、「人が義とされるのは行いによるのではなく、信仰によると考えるからです」(3:28)という言葉があります。良く知られた言葉で、行いではなく、信仰によって人は評価される、という信仰義認論を述べたものと説明されます。しかし、最近わたし、そうした説明は間違っているのではないか、と考えています。この捉え方は、行為を肉の事柄として、信仰を霊の事柄として、霊の事柄を重んじた、という理解が説明しやすいからで、そのように語られてきました。
 しかし、そうではなく、パウロという人は、行為、行いは自分たち自身で評価できるもので、信仰は自分自身で評価できないもの、神のみが評価できるものだ、そして、人は自ら義とすることは出来ず、ただ主なる神にのみ義とする権威があるのだ。たしかに、「良いことをすべて、自分が救いに至る為です!」と公言する人がいたとしたら、酷い人だなあ、と感じるのではないでしょうか。言葉としては、信仰義認に対して、自分で良しとする、「自己義認」ということが出来るか、と思います。パウロが、自分を良しとするための行いで、神に良しとされることはないのだ。本当に伝えたかったことは、こんな思いではなかったか、と思うのです。
 最後にもう一度、今日の箇所、フィリピ書3章9節の言葉をお読みします。
「3:9 キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」
 パウロは、ただひたすら宣教者としても、また教会の牧会者としても、キリストへの信仰を根にして歩みました。そして、その最後までイエス・キリストが歩んだ十字架への道を模範として、宣教者としての歩みを歩みきりました。
 パウロにとって、イエスの十字架は、単なる贖罪ではないのです。自らの歩みの模範なのです。パウロは、自らもイエスのように、誰にも理解されないかも知れないかもしれない歩みであったとしても、ただひたすら神によって、与えられる歩みを受け入れて歩む…。ただ他の人に義とされることでも、自分自身で義とすることでもなく、神に義とされることを求めて、パウロは与えられた道を歩みました。私たちにもパウロと同じように、それぞれ主なる神に与えられている道があると思います。それぞれの道を、イエス・キリストという道しるべに従い、共に支え合い、歩んでいきたい、と思っています。



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  1. 「イエスと共に喜ぶ」フィリピ2:12-18(花の日礼拝)(06/11)
  2. 『イエスの義を求めて』フィリピの信徒への手紙3:1〜11(10/23)