FC2ブログ

タイトル画像

『同じ釜の飯を食う』(ガラテヤの信徒への手紙 2:11~14)

2018.07.22(16:12) 375

『同じ釜の飯を食う』
(2018/7/22)
ガラテヤの信徒への手紙 2章 11~14節

スキャンダラスな記事
 今日、選ばせていただきました聖書の箇所は、新約聖書において「スキャンダラスな記事」とも呼ばれる箇所であります。なぜならば、キリスト教会、イエス・キリストの二大使徒が言い争い、ケンカをするという教会史的には非常に都合の悪い記事であるからです。しかし、両者の言い分、背景からはどちらにも使徒としての立派な考えの根拠があり、新約聖書の中において、とても興味深い記事の一つであります。「スキャンダラスな記事」という表現をしましたが、二人とも使徒ですから、その二人が言い争うというのは、「不祥事」とも言えることかもしれません。しかし、そこに彼らの信仰、教会に対する思いがあるからであります。特にパウロの人となりは、彼が残した手紙に記されていますが、ペトロについては、福音書と使徒言行録、そして今日の記事など数限られたものしかありません。しかし、出来る限りの範囲でパウロとペトロの歩みと思いについて探ってみたい、と思います。

パウロの歩み
 パウロの道から辿ってみたいと思います。パウロはおそらくイエスと同年代もしくは若干若い位の年代でしょう。ペトロも似たような世代であったと思われます。パウロは最初、ファリサイ派の優秀な教師と言っても良いような存在でした。そんなファリサイ派の青年が、回心して、イエスをキリスト(救い主)として宣べ伝える宣教者となりました。最初の彼の活動地はアンティオキアであり、彼は宣教生活の前半、使徒としての生活の大半を、そこで過ごしました。そしてペトロとの言い争いが起こったのも、この地でありました。またその都市は、歴史的に言って、初めて「キリスト者」という言葉が生まれた場所であります。(使徒11:26)
 またパウロの活動の最初期にはバルナバという同労者がいました。おそらく最初はパウロの指導者であったバルナバも、このアンティオキアで働いておりました。しかし、ペトロとの言い争いの結果、パウロはこのバルナバとの考え方が違う、ということを、思い知らされ、それからは行動を別にしたようです。
そしてこのことをきっかけにしてか、パウロは、アンティオキア教会を離れて、小アジア(現在のトルコ)、バルカン半島(現在のギリシャ)へと宣教の旅を進めるようになり、結果的に、多くの教会を生み出すこと、また、わたしたちの目に触れている新約聖書に収められた多くの文書を残すことになりました。ですから、この箇所に記されているペトロとの言い争いは、結果的には、新しいキリスト者や教会を生み出す要因になったとも言えるのです。

ペトロの歩み
 そして一方のペトロのことについて触れてみたいと思います。ペトロはイエスの一番弟子でガリラヤ出身の漁師でした。そして、イエスに従って、エルサレムへと登る道を共に歩みました。最後には、イエスを裏切り、逃げ出してしまいましたが、イエスの十字架刑と復活の後に生まれたエルサレム教会のリーダーとして活躍しました。しかし、何年か後、ペトロはエルサレム教会を離れて、ユダヤ人の住む地域のみならず、異邦人の教会をも訪ね歩きました。
 実はペトロという人は、イエスの一番弟子という立場のわりに、実際の人柄が見えにくい人であります。また使徒言行録には、彼が鮮やかに、はればれしく活躍する姿が描かれております。さらに、ペトロがローマにおいて、皇帝ネロの手によって、逆さ十字にかけられ殉教した、とされていますが、どれも。彼の死後、何十年(40~50年)も経ってから、記されたものであり、誇張や美化もあると考えられます。そしてローマ・カトリック教会において、初代教皇はペトロとされております。そして、その殉教の地としてのローマに、ペトロの名を冠した「サン・ピエトロ寺院」が建てられました。が、実際に、ローマの寺院に行ってみますと、ペトロとパウロの両者が同等に扱われているような石像などの飾られ方がされております。
 今日の箇所に登場するペトロは、すでにエルサレム教会のリーダーではなくなっており、イエスの兄弟(弟)であったヤコブという人がリーダーとなっていました。何故、ペトロからヤコブへリーダーが変わったのでしょうか。ここにはエルサレム教会が抱えていた特有の問題が背景にあります。当時のエルサレムは、ユダヤ人のローマに対する不満、またユダヤ人同士の不信感にあふれておりました。エルサレム教会の人々はユダヤ人ではありましたが、ほとんどがイエスに従ってきたガリラヤ出身の人々だった、と思われます。

エルサレム教会の状況
 エルサレム、そしてエルサレム教会がどのような状況であったのか、触れてみます。当時のエルサレムは、厳しいローマの圧政によりユダヤ人の側では、反ローマ感情が高まっていました。そうした感情を基盤にして、ユダヤ教への狂信的なこだわりが広がり、同時に反ローマ感情と合いさった異邦人嫌悪が広がっておりました。そして、そうした意識が、エルサレムの住民とガリラヤの人々、そして異邦人たちが共存していたエルサレム教会にもおよんでいました。
 使徒言行録には、7章にステファノの殉教と、それに伴う異邦人キリスト者たちがエルサレムから去っていった記事があります。この記事は、そうした雰囲気の表れとして読むことが出来ます。イエスの弟ヤコブはどのような人であったか知ることはできません。しかしガリラヤ出身であったペトロがエルサレム教会を去ったことには、こうした背景が少なからず影響していたでしょうし、その代わりにリーダーとなったからには、それなりに教会外のユダヤ人からは納得の出来る人選であったでしょう。そして同時に、ヤコブとしては、エルサレム教会が守るため、エルサレム教会をつぶさないためには、ユダヤ人的な価値観を重んじる形で率いていかなければならない、とても強く考えていたでしょう。
 そして、そうした雰囲気は、パウロの手紙の中にも現れています。ローマ書15章26〜32節。
『15:26 マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。15:27 彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。15:28 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。15:29 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。 15:30 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、15:31 わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、15:32 こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。』
 エルサレム教会に献金を受け取ってもらえるかどうか、また更につかまってしまうのではないか、逮捕されるのではないか、という危険を心配しています。エルサレム教会としては、パウロの献金を受け取ること、またパウロの訪問を受けることは、異邦人の仲間だと見られることになり、教会全体の危機をもたらす可能性があることでした。また一方のパウロの側としても、逮捕される恐れのある行動であり、エルサレムへの訪問したパウロは、このエルサレム訪問により、異教を伝道する治安を乱す存在として逮捕され、ローマへ護送され、最終的には、処刑されてしまいます。

ペトロとパウロの衝突
 今日の箇所の話に戻ります。ペトロはアンティオキア教会にパウロと共にいたとき、エルサレムを離れて、ペトロは妻を連れ(1K9:5)、方々の教会を訪ねたようです。そしてアンティオキア教会で食事を囲んでいたことに起こった出来事について記されております。そして、事柄の重大性からアンティオキア事件という言い方をしたりもします。
 ガラテヤ書2章12~13節をお読みします。(P.344)
『2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。 2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。』
 「ヤコブのもとからある人々」と記されておりますが、エルサレム教会のリーダーであるヤコブの信奉者、補助者みたいな人たちでしょう。ペトロは、異邦人とも一緒にアンティオキア教会の中で、食事をしていたのに、その彼らが来ると席を立ってしまったのでしょう。おそらくペトロとしてユダヤ人教会では、ユダヤ人と食事をし、また異邦人教会では異邦人と食事をしていたのでしょう。ある意味でその場所にいる人々と食事をするのは当たり前のことですから、不思議なことではありません。
 しかし、エルサレム教会において、律法のタブーを破ることは教会全体を危険に陥れさせるような行為であり、とても受け入れられるものではありません。エルサレム教会のことが当然頭をよぎり、「エルサレム教会を危機に陥れるのか」と批判されるかもしれない、と、ペトロは身を引いてしまったのでしょう。
そして、アンティオキア教会においては、おそらくそれ以後、別々に食事をすることになってしまったのでしょう。なぜなら、パウロが激怒するほどの出来事であり、パウロが離れる原因にもなったこと。さらに、第一の使徒ペトロの行いです。その影響はかなり大きかったのではないでしょうか。

パウロの思い
 14節の言葉をお読みします。
『2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」』
 とても強い否定の言葉です。パウロはペトロが食事の席から身を引いたことを「ユダヤ人らしい生き方」こと、「ユダヤ人のように生活すること」として怒っています。パウロにとってイエス・キリストが示して下さった「福音」とは人種によって人と人が差別されるもの、分けられるものではありません。ガラテヤの信徒への手紙3章28節をお読みします。(P.347)
「ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、自由人でも奴隷でも、女でも男でもなく、キリスト・イエスにおいて一つである」
 キリスト教会の中において、キリスト者は「一つ」でなければならないもの、「キリストの体」であり、「いろいろな違いがあっても」「一つ」の存在です。ですから、その教会の「一致」を乱すようなペトロの行為は、とても許せなかったのでしょう。

同じ釜の飯を食う
 今日の箇所は教会の一致、共同性と特殊性、そして聖餐式におけるテーマの一つとして考えることが出来ます。パウロの手紙の一つ、第一コリント書は、式文として引用されている箇所が多いものです。その中にこのような箇所があります。1コリント書11章27節から29節。(P.315)
「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。」
 「ふさわしくないままで」とありますが、洗礼を受けているか受けていないか、という形で聖餐式式文では引用されています。しかし、聖書テキストの文脈によれば、パウロの思いに基づけば、同じ教会の中で、身分的差別があること、お腹を空かせている人がいたり、満腹している人がいたりするのは間違っているという思いなのです。今日の箇所におけるパウロの思いも根底的には通じる思いでしょう。
 教会の中において、今日のパウロやペトロのような立場の違いがあったときにどうするでしょうか?このことは、聖餐式にとどまらず、多くのことに当てはまるのではないでしょうか。教会にはいろいろな人がおり、誰もが同じ考えを持っているわけがありません。そうしたときにどうするか?何を目指していくか?ということを今日の箇所から考えることが出来る、と思います。民族にしろ、性別にしろ、文化にしろ、考え方にしろ、様々な違いがあるとき、すべてが別れてしまっていたとしたら、それは教会と言えるだろうか。これはパウロの思いです。比較対照的にいって理想主義的な福音主義と言えます。
 また、教会にとって、共に食卓を守ることはイエスも大切にしていたことだけれども、何か違う要因があって、それがその人たちの存在を脅かすことであったら、いたしかたないのではないか。これがペトロの思いです。柔軟な現実的な福音主義と言えます。

その後のペトロとパウロ
 どちらも批判できるようなことではないでしょう。不幸なことながら、ペトロとパウロは、この出来事によって、袂を分かちましたが、先に触れましたように、このことによってパウロは広く異邦人伝道への道をより積極的に歩むようになりました。ペトロのその後の歩みを知ることは出来ませんが、同じような歩みを歩んだのではないか、と考えられます。結果的に、ローマ帝国内の多くの都市に異邦人教会の種を蒔きました。そして両者ともローマで処刑されたと伝えられています。また、紀元後66年に勃発したユダヤ戦争によって、エルサレムは崩壊し、エルサレム教会も同じ運命を歩んだでしょう。
 使徒言行録には、そのような政治状況における個々の教会の歩みへの影響を積極的なものとして描こうとしていますが、当時のキリスト者の人々は、危機と混乱の中で、教会の歴史を紡いでいったのでしょう。考えてみたら、本当に不思議な形でキリスト教の歴史は繋がっているのだな、と感じます。ペトロとパウロの思い、私たちはどちらに立つのでしょうか。なかなか選ぶことはできないと思います。実はそうした葛藤自体、結論が出ないようなことを考え続けること、が大切なことではないか。結論を急がずに課題に向き合い続けることが、パウロやペトロが歴史を紡いだ教会がなすべきことでは無いか、と思います。

1807221.png 1807222.png

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ↓ブログランキングに参加しています。
    よろしかったら、クリックして下さい。
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村哲学・思想ブログキリスト教へにほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 名古屋情報へ
にほんブログ村
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



スポンサーサイト

周縁自体


タイトル画像

『キリストによる分裂と和解』 (ガラテヤの信徒への手紙 3:26~29)

2017.05.21(15:25) 347

『キリストによる分裂と和解』
(2017/5/21)
ガラテヤの信徒への手紙 3章26~29節

アンティオキア事件
パウロはこの手紙を、パウロがいなくなってから、ガラテヤの教会にやってきた人々、おそらくはユダヤ地方からやってきたユダヤ教的なキリスト教を伝道する者たちへの反論として記しました。パウロは、律法から自由な形のキリスト教を宣べ伝えました。しかしパウロが去った後のガラテヤの教会に、キリスト教を信じるには、律法を守ること、モーセを通して与えられた律法、わたしたちが持っている聖書の旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を守ることが不可欠なのだ、と考える人々が来て、徐々に、そうした考え方、価値観が拡がっていたのです。
 パウロは、今日の箇所ガラテヤ書3章28節でこのように記しております。
「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」
 パウロにとって、信仰を持って洗礼を受け教会の一員となることは、ここに記されているように、人種や社会的立場や性差も超えて、イエス・キリストによって結ばれて一つになる、ということでありました。ですから、ユダヤ教的な価値観によって、キリスト教会の中で、人と人が人種によって分けられてしまう、ということが許せませんでした。そして、パウロのこのような思いは、第一の使徒として知られているペトロとの衝突にも、つながりました。
 そのことを如実にしめすエピソードがありますので、その箇所をお読みしたい、と思います。ガラテヤの信徒への手紙2章11節から14節です。(P.344)
「2:11 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」」
 この出来事は、パウロの使徒としての活動最初期、49年頃、パウロが宣教旅行という形の伝道を始める以前、アンティオキアの教会で起こったことでした。概要としてはこのような流れです。ケファ(アラム語における『岩』)と記されているのは、第一の使徒ペトロであります。そして、ペトロはエルサレムの教会からパウロがリーダーとなっていたアンティオキア教会にやってきて、異邦人たちと一緒に食事をしていました。ユダヤ人の律法に従えば、それは赦されることではありませんでした。しかし、ペトロは言うなれば、中間派というのでしょうか、「郷に入っては郷に従え」で、アンティオキア教会では異邦人と共に食事を取っていたのでしょう。しかし、ある客人がやってくることによって、困った事態が起こってしまいます。
 2章12節に「ヤコブのもとからある人々が来るまでは」とありますが、ここに出てくるヤコブとは、イエスさまの弟で、ユダヤ人ばかりの教会であったエルサレム教会の当時のリーダーとなっていた人でした。ペトロさんとしては、エルサレム教会からやってきたユダヤ人たちに恐れを持っていました。エルサレムといえば、ユダヤ人ばかりの町ですから、教会の中といえども、異邦人と食事するといった律法違反を、教会がやっているという話が拡がってしまうと自分たちが迫害されてしまうかも知れない。そんな状況がエルサレムにはありました。だから非常に食事の取り方、ユダヤ人と異邦人が一緒に食事を取ることなど、考えられない、という立場であったと想像することができます。
 そのようなエルサレム教会の人々が、アンティオキア教会にやってきて、運の悪いことに食事の時間にぶつかったのでしょう。そして、ペトロはその食事の席を立ってしまった。おそらくエルサレム教会の人々の怒り、またヤコブの怒りを買うことを恐れての行為でしょう。しかし、それは予想外に大きな影響をもたらすことになります。

ペトロとパウロ、それぞれの思い
 ペトロはなんと言っても、イエスさまの一番弟子、第一の使徒です。ペトロとしては、ちょっとした気持ちだったかも知れません。しかし、このことはアンティオキア教会におけるパウロの立場を著しく悪くすることになりました。バルナバという人が出てきますが、パウロの一番の理解者でありましたが、このことをきっかけにして、仲たがいをするようになります。また、パウロは、このアンティオキア教会を離れて、伝道するようになりますが、おそらくここで第一の使徒であるペトロとパウロの考えが違うということが明らかになり、信用されなくなってしまった、という事情があったのではないか、と考えられるのです。
 また、パウロとしては、どうでしたでしょうか。パウロにとって、キリスト教会において、人種や様々な立場を超えて、共に守る食事は、単なる食事ではなく、教会に集う人の一致の徴として大切にしていたと思われます。そして、たとえ律法的には、避けなければならないユダヤ人であっても、キリスト教においては、守られるものである、という立場であったでしょう。そして、そうした解放性こそがキリスト教である、と考えていたでしょう。
 またパウロとしては、もう一つの意識があったと考えられます。パウロはアンティオキア教会とかコリント教会とか、エルサレム教会といった一つ一つの教会だけではなく、そうした各地域に立つ教会の枠を超えて教会がキリストの身体として一致すること、一緒になることを目指していました。そんな思いがあったからこそ、パウロは様々な地域の教会において、食事の問題では敵対しているエルサレム教会に対して、献金を集めていました。そして、その献金を集めてエルサレム教会に届けようとして、エルサレムに向かいます。そしてユダヤ人でありながらも、異邦人の伝統を守る者として誤解され、逮捕されてしまい、ローマに護送されて処刑されてしまいます。おそらくパウロ自身、エルサレムへ行くことはかなりの危険性を伴うことは分かっていたはずです。しかし、そうした危険を冒してでも、献金を届けて、教会の一致を示したかったのでしょう。

ペトロとパウロ、それぞれの理想
 もう一方のペトロはどのような思いであったでしょうか。ペトロは、場所によって、教会における食事のあり方は自由で良い、と考えていたのではないか、と考えられます。エルサレム教会においては、ほとんどがユダヤ人の教会のあり方、そしてローマとユダヤ人との対立、緊張が高まる中において、律法違反となる異邦人との食事は、教会自体を滅ぼしてしまう可能性もある行為でした。そうしてみますと、こんなことが言えるのでは無いでしょうか。ペトロは、基本的には、キリスト教において、ユダヤ人と異邦人の違いは無い、と考えていたと思います。しかし、それがエルサレム教会の状況を考えた時、教会の理想的な姿だとして、ユダヤ人と異邦人が一緒に食事を取ることを良しとするだろうか、おそらくしなかったのでは無いでしょうか。
 しかし、他の教会においては、理想的なことだから、してください、といった立場だったのでは無いでしょうか。しかし、そのアンティオキア教会にエルサレム教会の人々がやってきてしまった。こう言われたかもしれません。「エルサレム教会でのやり方と違うじゃないか?!そんなことがエルサレムのユダヤ人たちにばれたら、エルサレム教会はつぶされてしまう」と。
 パウロはどのような思いであったでしょうか。パウロは、ガラテヤの教会の人々に向けて、アンティオキア教会で起こってしまったペトロとの衝突を例に、人種や社会的立場や性別の違いにも寄らない信仰にあり方、キリスト者としてのあり方を示そうとしています。そんな中、もう一つの信仰における課題、キリスト者としての課題についてのべようとしています。今日の箇所の最後となるガラテヤの信徒への手紙3章29節をお読みします。
「3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」
 「アブラハムの子孫」そして「約束の相続人」というのは、ユダヤ教なキリスト教、律法的なキリスト教を重んじる人々が用いていた言葉であります。
パウロは、自分とは違う立場の人の言葉をあえて用いて、自分の考えを述べたのであります。旧約聖書に記されている、イスラエルの民と主なる神の歴史、イスラエルの民の側の父祖としてアブラハムがいます。アブラハムは主なる神に身を捨てて従ったからこそ祝福を受けることができた。だから、キリスト教徒であろうとも、アブラハムと同じように、神の意志に従うべき、律法に従うべきである。そして、従えないのであれば、「アブラハムの子孫」でも「約束の相続人」でもない、という主張なのです。

あなたはパウロですか?ペトロですか?
 パウロの立場を言葉化すれば、絶対平等主義的キリスト者(使徒)、ということが言えます。そしてペトロの立場を言葉化すれば、現実平等主義的キリスト者(使徒)と言うことが出来るでしょう。また、この問題はペトロとパウロの間だけの問題ではなく(使徒言行録15章に基づいて)、広く初代教会の課題であったようです。キリスト教徒であるユダヤ人と異邦人が一緒に食事を取ることは認められるかどうか、どのような場所で、食事規定は、どのような肉であったら、洗礼を受けたかどうか、など。議論にも事欠かなかったと思われます。
 どうでしょうか?一緒に食事を取ることを優先するでしょうか?それとも、民族性や文化を優先するでしょうか?また、そのことによって、自分たちの教会ではない、ある教会が危険にさらされる可能性があったとしたら、どのような選択をするでしょうか?おそらく多くの人が、どこかの教会の危機に繋がるような行為であったら、するべきではない、と考えるのでは無いでしょうか。しかし、そのような情報が無かったらどうでしょうか?パウロもおそらくそうだったのではないか、と考えられます。
 また、ペトロは基本的にユダヤ人キリスト者の伝道者(使徒)としての働き、パウロは異邦人キリスト者の伝道者(使徒)として働きを担っていました。それぞれの立場、考え方に基づいた発想もするのも当然のことであったでしょう。

キリストによる分裂と和解
 今日の箇所、ガラテヤの信徒への手紙3章26節から28節を、もう一度、お読みします。
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」
 この言葉の背景には、これまでに触れたようなパウロの経験と思いが込められています。パウロとペトロの対立は、パウロが自らの思いとして、この言葉を実現させようとして起こったことでした。そして、これは現代にも通じることでは無いか、と思うのです。私たちは様々な違い、民族性や文化、性別、その他の差別の問題に出会うとき、その違いから時に、ぶつかり合いや意見の違いから分裂が起こったりします。しかし、それは悪いことでは無いのではないか、と思うのです。なぜなら、パウロやペトロも行っていたからです。
 私たちは、それぞれ限界をもっており、自分とは違う立場の人のことを理解することは、その人以上にはどんなに努力をしたとしても、絶対にできません。そのような時、みずからの不完全さを認めることによってこそ、新しい可能性や新しい和解の道が開けるのでは無いでしょうか。そして、そこにこそ、キリスト教のすばらしさがあるのではないでしょうか。様々なことに、生きて、呼吸をして、思い悩み、時に争ったり、ケンカをしたり、分裂したり、しながら。自分の弱さをたずさえて、イエス・キリストが示して下さった福音を、イエスの後を追いかけようとする思いや葛藤。その葛藤こそが、キリスト教であり、教会の真実のあり方ではないでしょうか。私たちは一致することにこそ、教会やキリスト教の理想があると思いがちです。しかし、そうではなく、パウロやペトロの争いにあるような葛藤の積み重ねこそがキリスト教では無いか、と感じています。


1705146.png 1705072.png


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ↓ブログランキングに参加しています。
    よろしかったら、クリックして下さい。
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村哲学・思想ブログキリスト教へにほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 名古屋情報へ
にほんブログ村
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


周縁自体


タイトル画像

『和解の指針に基づいて』ガラテヤの信徒への手紙3:26-29

2014.04.07(06:49) 270

『和解の指針に基づいて』
(2014/4/6)
ガラテヤの信徒への手紙 3章26~29節

パウロの宣教と律法

今日お読みしましたガラテヤ書は、パウロが建てたガラテヤの教会に対して送った手紙です。正確な場所を知ることは出来ませんが、現在のトルコにあたる地域に宛先の教会はありました。そして、パウロはこの手紙の中で、自分の伝えた福音のほかに福音はないこと、自分が使徒であることの正当性の主張、信仰義認論、律法と信仰の関係、キリスト者の自由について、のべています。そして、この手紙を記した動機としては、パウロとは違う考え方、キリスト教理解を持つ人々の存在が大きく関わっていました。
パウロはこの手紙を、パウロがいなくなってから、ガラテヤの教会にやってきた人々、おそらくはユダヤ地方からやってきたユダヤ教的なキリスト教を伝道する者たちへの反論として記しました。パウロは、律法から自由な形のキリスト教を宣べ伝えました。しかしパウロが去った後のガラテヤの教会に、キリスト教を信じるには、律法を守ること、モーセを通して与えられた律法、わたしたちが持っている聖書の旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を守ることが不可欠なのだ、と考える人々が来て、その考え方が拡がっていたのです。

アンティオキア事件
 パウロは、今日の箇所ガラテヤ書3章28節でこのように記しております。
「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」
 パウロにとって、信仰を持って洗礼を受け教会の一員となることは、ここに記されているような人種や社会的立場や性差も超えて、イエス・キリストによって結ばれて一つになる、ということでありました。ですから、ユダヤ教的な価値観によって、キリスト教会の中で、人と人が人種によって分けられてしまう、ということが許せなかったのです。
 そのことを如実にしめすエピソードがありますので、その箇所をお読みしたい、と思います。ガラテヤの信徒への手紙2章11節から14節です。(P.344)
「2:11 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」」
 この出来事は、アンティオキアの教会で起こったことです。概要としてはこのような流れです。ケファと記されているのは、第一の使徒ペトロであります。そして、ペトロはエルサレムの教会からパウロがリーダーとなっていたアンティオキア教会にやってきて、異邦人たちと一緒に食事をしていました。ユダヤ人の律法に従えば、それは赦されることではありませんが、ペトロは言うなれば、中間派というのでしょうか、「郷に入っては郷に従え」で、ユダヤ人中心の教会では、ユダヤ的な価値観を守って一緒に食事をしなかった。しかし異邦人中心の教会に行った時には、ユダヤ人と異邦人が一緒に食事をする形に従っていたのでしょう。しかし、この時、困った事態が起こるわけです。
 2章12節に「ヤコブのもとからある人々が来るまでは」とありますが、ここに出てくるヤコブとは、イエスさまの弟で、ユダヤ人ばかりの教会であったエルサレム教会のリーダーとなっていた人でした。ペトロさんとしては、このヤコブさんが怖かった。実は、エルサレムの教会も大変な立場であった。エルサレムといえば、ユダヤ人ばっかりの町ですから、教会の中といえども、異邦人と食事するといった律法違反を、教会がやっているという話が拡がってしまうと自分たちが迫害されてしまうかも知れない。だから非常に食事の取り方、誰と飯を食べるのか、ということには、とても神経質になっていた。
 そんなヤコブに近い人々がアンティオキア教会にやってきて、運の悪いことに食事の時間にぶつかったのでしょう。その人たちの顔を見て、ペトロはその食事の席を立ってしまった。おそらくヤコブの怒りを買うことを恐れての行為でしょう。しかし、それは予想外に大きな影響をもたらすことになります。ペトロとしては、ちょっとした気持ちだったかも知れません。ですが、ペトロはなんと言っても、イエスさまの一番弟子、第一の使徒です。
 このことはアンティオキア教会におけるパウロの立場を著しく悪くすることになる。バルナバという人が出てきますが、パウロの一番の理解者でありましたが、このことをきっかけにして、仲たがいをするようになる。また、パウロは、このアンティオキア教会を離れて、伝道するようになりますが、おそらくここで第一の使徒であるペトロとパウロの考えが違うということが明らかになり、信用されなくなってしまった、という事情があったのではないか、と考えられるのです。

教会の限界
 そんな経験を持っていたパウロです。ですから、この箇所の3つの相対する要素の中においては、「ユダヤ人もギリシャ人もなく」という部分には、人一倍強いこだわりをもっていた。教会の中においては、人種や社会的な立場や性別による差別を超えていく、ということは、洗礼を受けたか受けていないか、に関わる課題、キリスト教会として、キリスト教徒として、根本的な問題なのだ、ということが続く27節の言葉にも表れているでしょう。「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」
 キリストを着る、ということは、人種や社会的な立場や性別を超えることに関わるのだ、という主張です。また、26節にあるように、キリストに結ばれた神の子はそうした差を超えていくものだ、という思いがあったのでしょう。
 教会には、立っている場所によって文化や歴史といった背景があります。そして時に、それが人と人を分けることや傷つけることがあります。例えば、私たちの教会が所属している日本基督教団。1940年に数多くの教派が、当時のお国の都合によって出来た、ということは認めざるを得ません。当時の日本においては、生活のあらゆる側面で支配を強めており、宗教を通して、キリスト教を通しての支配ということもがすすめられていた。それが当時の当たり前のことではあり、仕方が無かったことではあったでしょうが、礼拝の中で「宮城遙拝」や「君が代斉唱」などの国民儀礼が行われたりもした。そして更に、ある間違いを犯してしまう。
 戦時中の1944年、アジア諸国に対して「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」というものを出します。これは、アジア諸国が一致して、キリスト教においては先輩である欧米は間違った信仰を持っており、アジアに自由をもたらす大日本帝国に一致協力しようという主旨をもったものでした。アジア諸国といってもキリスト教会の中で、このことが特に大きな禍根となったのは、朝鮮半島との関係においてでした。当時の朝鮮半島のキリスト教の状況はまったく違っていました。多くの信者や牧師たちやキリスト教主義学校等が御真影への敬礼を拒否したり、神社参拝を拒否したことによって、聖書の教育を禁止されたり、逮捕されたりしていた。そうした状況の中で、先ほどの「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」が出されており、その内容としては直接的にそのことには触れていませんが、遠回しに、神社参拝や御真影への敬礼は、日本国民としての義務であり、キリスト教徒であったとしても行うべき事であり、宗教では無いから従いなさい、という趣旨で書かれていました。こうした背景には、日本の教会自身も1930年代に多くの迫害に遭い、その存亡の危機に襲われた経験があったからこそ、かもしれない。「そんなことで反抗していたとしても、自分たちの立場を悪くするだけですよ、我慢して通り過ぎるのを待っていた方が良いですよ」という気持ち、思いやりがあったかも知れない。もしかして、そうしたものを出した思いとしては、迫害されているアジア諸国の人々に対する思いやりがあったかもしれない。しかし、それは正しいあり方の思いやりと言えるでしょうか。
 また、こんなことを想像してみては、どうでしょうか。もし昔は独立国だった沖縄県、琉球王国に、日本が支配されたとしたら…。沖縄には、「ユタ」という占い師がいて、独特の宗教があります。もしそれを日本全体が琉球王国となったとして、琉球王国民が守るべき文化だ、として強制されたら、どうでしょうか…。そうした過ちを基にして、8月の平和聖日に謳われる戦争責任告白があるのです。

アブラハムの子孫、約束の相続人

 聖書のテキストに戻りたい、と思います。パウロは、ガラテヤの教会の人々に向けて、人種や社会的立場や性別の違いにも寄らない信仰にあり方、キリスト者としてのあり方を示そうとしています。そんな中、もう一つの信仰における課題、キリスト者としての課題についてのべようとしています。ガラテヤの信徒への手紙3章29節をお読みします。
「3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」
 「アブラハムの子孫」そして「約束の相続人」というのは、ユダヤ教なキリスト教、律法的なキリスト教を重んじる人々が用いていた言葉であり、パウロは相手の言葉をあえて用いて、自分の考えを述べたのであります。旧約聖書に記されている、イスラエルの民と主なる神の歴史、イスラエルの民の側の父祖としてアブラハムがいます。アブラハムは主なる神に身を捨てて従ったからこそ祝福を受けることができた。だから、キリスト教徒であろうとも、アブラハムと同じように、神の意志に従うべき、律法に従うべきである。そして、従えないのであれば、「アブラハムの子孫」でも「約束の相続人」でもない、という主張なのです。
 しかし、パウロは、そうしたあり方をいわば根底から否定しているのです。パウロにおいて、アブラハムは「行いの人」「律法の人」ではなく、「信仰の人」なのです。ガラテヤ書3章6節7節をお読みします。(P.345)
「それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われているとおりです。だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。」

和解の指針に基づいて
 パウロが言いたいことはこうです。主なる神は、律法を行うことや神の意志に従うといった「行い」によって、「善し」とされるのではなく、それ以前にある「信仰」によって「善し」とされるのだ、ということです。アブラハムの話に引き戻すのであれば、自らの子イサクを献げることによって義とされたのでは無く、それほどまでに聞き従う「意志・信仰」によって義とされた、ということが出来ます。そして、それは神が人と共に歩まれる、ということにも繋がっていくのではないでしょうか。洗礼という事柄で考えてみたいのですが、私にとって「洗礼」とは始まりでしかありません。
 ただ、神さまと共に歩み出そう、ということを、神様と約束すること、宣言することであると思っています。ですからキリスト者、クリスチャン、信仰者としての完成ではなく、あくまで始まりの時であります。言うなればアブラハムやモーセの歩みにしても、同じかもしれない、と思うことがあります。あなたの子孫は「星空のように増える」と神様から示されました(創世記15:5)。たしかに神様との約束です。しかし、その保障はどこにあったのでしょうか。またモーセの場合も同じかも知れません。奴隷の立場にあったイスラエルの民を救い出しなさい、と命じられたとき、たしかに神様のとの約束ですが、何か保障はあったでしょうか(出エ3:9)。何の保障も無く、ただ約束があるだけでした。
 パウロにしても、ペトロにしても、数多くのキリスト者、そして教会の歴史を考えてみても、争ってばかり、また失敗してばかり、酷いことをしているばかり、所詮キリスト教はこんなものか、と考えることがあります。しかし、逆にそうした過ちを見つめる中でこそ、より前へと進むことが出来るのではないでしょうか。今の日本の様々なニュースや報道を見るとき、過ちを正面から認めることが出来ずに、前に進むことが出来ない、同じ過ちを重ねてしまう、ということを数多く見ます。
 今日のパウロの言葉でも、同じではないでしょうか。和解の指針として、道しるべとしてはとてもすばらしいものです。が、その言葉が記されてから、2000年も経つのに、パウロがめざした和解は実現したのでしょうか。まだ、と言わざるを得ない現実があります。しかし、私はこう思うのです。その不完全さを認めること、認められることがキリスト教のすばらしさである、ということです。不完全であるということ。それを違う言い方をすれば、「生きている」ということではないでしょうか。生きて、呼吸をして、思い悩みながらも、時に喜びも感じながらも、前へと進もうとしている。イエス・キリストの後を追いかけようとしている。本当のキリスト教そして教会とは永遠に完成しない存在なのかもしれません。しかし、その完成を追い求め続けること、その歩みこそが、キリスト教であり、教会の真実のあり方ではないか、と感じています。

bp5.jpg
  母校である農村伝道神学校のキャンパス

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ↓ブログランキングに参加しています。
    よろしかったら、クリックして下さい。
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村哲学・思想ブログキリスト教へにほんブログ村地域生活(街)関東ブログ小田原情報へ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


周縁自体


ガラテヤ
  1. 『同じ釜の飯を食う』(ガラテヤの信徒への手紙 2:11~14)(07/22)
  2. 『キリストによる分裂と和解』 (ガラテヤの信徒への手紙 3:26~29) (05/21)
  3. 『和解の指針に基づいて』ガラテヤの信徒への手紙3:26-29(04/07)