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『あの旅路を再び』(マルコ福音書16:1〜8)

2019.04.28(19:29) 390

『あの旅路を再び』
(2019/4/21)
マルコによる福音書 16章 1~8節

イースター(復活祭)とは?
 今日は、イースターです。イースターとは日本語では、復活祭とも言い、イエス・キリストが十字架刑によって亡くなり、その三日後に、復活した、甦られたことを記念することであります。なぜ、イースターが重要なのか?もっとも解りやすい説明として、一般的な教会では大まかに、このような説明がなされるのではないかなあ、と思います。
「イエスは十字架上の死を遂げることで、私たちの罪を贖ってくれた、リセットしてくれたのです。そして、イエスが復活したことは、イエスが本当に神様だったこと、神の子であったことの証明です。」といった感じではないか、と思います。一般的に宗教とか奇跡というものが、人知が及ばない力の働きや知恵が働く場、時という徴があるものです。そして、そうした働きの根源として神という存在を信じるのが、信仰を持つ、ということであり、信者の姿勢である、と。しかし、これは正しいようで、少し実際のキリスト教会、キリスト教徒にとってはズレがあるのではないか、と思います。どうでしょうか?イースターによってイエスは復活しました。そしてマタイ福音書、また使徒言行録のみの記事でありますが、イエスはその後、天に昇った、と記されています。ということは、天に去って行って、この世にはおられないでしょうか。
 かというと、違いますよね。祈りでは、主が共に、イエスが共に、といったことが祈られますので、天に去ったわけですが、離れたわけではない。また天に去ったとしても、共にいるといった両義的な状況と言えます。イースターとはどのような時でしょうか。確かにイエスさまが復活されたことは、イエスさまが単なる人ではなく、神の子であること、父なる神に対する、子なる神の証明であります。が、同時に、イエスが共にいること、イエスが人ではない存在として、一人一人と共にいることが始まったとき、キリスト教としての時間の始まり、教会としての時間のはじまりと言えるかもしれません。

イエスを裏切った弟子たち
 イエスには、12人の男性の弟子たちがいました。そして、それ以外の弟子たち、そして女性たちの弟子たちもいた、というように考えられております。しかし、イエスが十字架刑にかけられる前の晩、12弟子とイエスは、ある宿で過越の食事をし、その食卓は結果的にイエスと弟子たちの最後の晩餐となりました。これは木曜日の夜か金曜日の夜にあたりますが、その食事の後、イエスと弟子たちはゲッセマネの園へ移動します。イエスは、1人祈っていますが、弟子たちは眠りこけてしまいます。そうした状況の中で、イスカリオテのユダに伴われてきた兵士や群衆によってイエスは逮捕され、弟子たちは1人残らず、逃げてしまいます。
 この間、ペトロはイエスに対して決して裏切ることはない、と誓います。しかし、イエスが予告したとおり、そのニワトリが朝になって二度鳴く前に、三度もイエスのことを知らない、とのべてしまいます。そして、他の弟子たちもイエスの逮捕の場面でその場から逃げて行ってしまいました。その後、イエスはユダヤ人の裁判、そしてローマ帝国の裁判にかけられ、十字架刑で処刑されてしまいます。そして、イエスの処刑の理由というか罪状は、ユダヤ人にとっては「神の子」と言いふらしたということで、神を冒涜した罪ということになりでしょうか。そしてローマ帝国にとっては、国家反乱罪といったことになると思います。
 当然、イエスがそのような罪で十字架刑にかかったとなると弟子たちも捕まってしまう可能性があった。ですから、福音書によりますと、弟子たちはエルサレムの町を離れたり、どこかに隠れたり、また生まれ故郷であったガリラヤへと帰って行っていたのではないか、と想像できます。そんな弟子たちの目の前に復活したイエスが現れたのです。

赦しとしての復活
 ルカ福音書24章13節から35節には、このような記述があります。ある弟子たちは、自分の故郷へ帰る途中でした。その途中の道でイエスに出会ったのに、その人がイエスだとは気づかなかった。しかし、ある宿に入って、食事の席において、その人がパンを裂いたときにイエスだと気がついた、とあります。(ルカ24:13-35)
 マタイ福音書28章8節から10節によれば、このような記述があります。そして、今日お読みしまし墓へ行った女性たちの前にも現れ、「おはよう」と挨拶をしたイエス。女性たちは驚きひれ伏してその足にしがみついた、とあります
 また、ヨハネ福音書20章19節から29節によれば、このような記述があります。弟子たちがどこかの家に隠れていたところ、鍵もキチッとかけられていた部屋の中に突然現れた。また、その場にたまたまいなかったトマスという弟子たちは、その人をあのイエスだとは信じられずに、釘によって十字架に貼り付けにされた時の手の傷、槍に刺されたわき腹の傷に障らなければ信じない、とものべています。
 そして、ガリラヤ湖に帰って行った後に、イエスが現れたという記事もあります。ヨハネ21章によれば、網を打って漁をしていた弟子たちは、岸を歩いていたイエスに気がついて、喜びのあまりに湖に飛び込んで近寄った、という記事。
これまで触れてきた記事における弟子たち、感情の動きはあまり記されてはいません。しかし、どちらかといえば喜んでいるように捉えることが出来ます。しかし、恐れた、という記事もあります。それは復活伝承とも言えないかも知れませんが、マルコ福音書6章45節から52節には、舟を出して漁をしていた弟子たちでしたが、そこへ湖の上を歩くイエスが現れ「幽霊だ」と恐れたという記事があります。

不可解な終わり方
 今日の箇所マルコによる福音書16章1〜8節は、マルコ福音書の最後の箇所であります。しかし、そのあまりに唐突な終わり方なので、後代の人々が2つの末尾を追加しています。これには、本来は違和感のない末尾があるはずなのに、失われてしまった、という考え方があったから書き加えられたのです。しかし、最近では、もともとこの終わり方だったのではないか、ということで読まれることが多くなってきました。ということは、あえてこのような違和感のある終わり方でマルコ福音書の著者は筆、ペンをおいたのではないか、そこにはどのような狙い、理由があったのでしょうか。
 いろいろな想像をすることが出来ます。復活したイエスに出会った弟子たち。それぞれにイエスとの再会を思い起こしたでしょう。ペトロさんはこうだったかもしれない。「わたしはエルサレムで出会い、こんな声を掛けてくれた、こんな顔をしていた、こんな服を着ていた。わたしには赦しの言葉を述べてくれた」。アンデレさんは、こうだったかもしれない。「わたしはガリラヤで出会った。やさしく声をかけてくれた」他にも、いろいろな記憶があったでしょう。そして、もう一つ大きな問題がありました。今日の最後の箇所、マルコ福音書16章8節にはこのように記されています。
「16:8 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」
 女性たちは、「震え上がり、正気を失っていた」とあります。何故でしょうか?それは、言葉に出来ないほどの恐怖を覚えたからではないでしょうか。先ほど、触れましたように、弟子たちはイエスを見捨てて逃げて行きました。よく裏切り者の代名詞としてイスカリオテのユダがいます。しかし、考えてみれば、ペトロやアンデレ、ヤコブやヨハネ、すべての弟子たち12人、そしてお墓に来た女性の弟子たちもイエスを見捨てて逃げてしまったわけです。この女性たちだけではなく、十二弟子たち、その他の男の弟子たちも同じだったのではないでしょうか。

復活に記すということ
 改めて考えてみたいとおもいます。なぜ、この福音書を記した人は、中途半端に「恐ろしかったからである」という一文のよって自分の救い主である主イエス・キリストの物語を締めくくったのでしょうか。それは人間にはイエスさまの復活を書きあらわすことが出来ない、という思いに立ったのではないでしょうか。これだけの著作です。何日もかかって書いたものと思います。机にペンとインクと紙をおいて、書き進めていったでしょう。夜になったら休んで、机に向かう。ご飯を食べて休んで、机に向かう。そんな作業を何日も続けたのかもしれません。筆を進めながらも、机を離れていながらも、イエスの話について聞いたことを整理しながら、書き進めたのではないか、と想像しています。
 そして、とうとう最後の場面、イエスの復活の場面にやってきました。キリスト教において最も重要な場面です。そして、また様々な人たちから復活したイエスとの出会いを聞いては、記そうとしていたかもしれません。しかし、いよいよと思い、書き始めようと思いました。しかし、書けなかった。何度も書こうと思った。何か記そうとしても、イエスの復活というできごとを書き記したとしても、自らの思いとはずれるばかりだった。そして、あんな結末になってしまった。また、もしかしたら、病気になってしまったとか、個人的な理由によって、書き進めることが出来なくなってしまったかもしれません。それは復活という出来事は、あまりに大きすぎたから起こったこととも言えるかもしれません。

あの旅路を再び
 弟子たちにとって、イエスの復活とは、イエスさまが神の子である証明という意味よりも、弟子たちにとって復活とは、イエスによるとてつもない深い赦しの体験であったという意味の方が大きかったのではないでしょうか。最後に、16章7節をもう一度、お読みします。
「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」」
 「ガリラヤへ行かれる」そして「そこでお目にかかれる」とあります。この言葉に従い、弟子たちはガリラヤへ戻ったのかどうか、わかりません。歴史的に言えば、使徒たちはエルサレムにおいて、最初の教会としての歩みを始めております。ということは、この言葉は、ただ単に地域としてのガリラヤに戻るという意味として受け取らなかったということでしょう。
 ガリラヤへ行く、というイエスの言葉、イエスと弟子たちがガリラヤからエルサレムへの歩み、旅路を、次は弟子たちの一人一人が導き手として歩みなさい、ということではないでしょうか。イエスと弟子たちの歩み、様々な人々との出会い、癒やし、食卓、奇跡があり、弟子たちにしても、周囲にいた人々にしても、主なる神への信仰を深めたこともあったでしょうが、神への信頼を失うような辛いこともあったでしょう。
 様々なことがあっても、1つの共同体として、歩むこと、歩み続けること、「ガリラヤへ行ったイエスの背中は、そのような歩みを弟子たちに促したのではないでしょうか。そして、そうした弟子たちの歩み一つ一つが現在にも続く教会へと繋がっているのではないでしょうか。今日は、イースターです。イエスの復活は、イエスと弟子たちの再会であり、教会の歩みの始まりでありました。そのことを胸に、また新しい一週間、また新しい歩みを、新しい旅路を歩み出したい、と思います。

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『イエスが呪ったいちじくの木』(マルコ福音書11:12〜14/20〜25)

2019.03.04(21:24) 387

『イエスが呪ったいちじくの木』
(2019/3/3)
マルコ福音書11:12~14/20〜25

木と家系図
 木の絵を描いたことがあるでしょうか。わたしの高校時代の美術の先生はちょっと変わった方と言いますか、美術の先生なんですが、本当の芸術家でした。そんな先生の課題で木を描く、という課題がありました。何も教えもせずに、です。今から考えてみますと、その先生は何も教えずにいろいろなことをやらせてみて、生徒の書いた作品を見てからアドバイスをするというパターンをやっていました。他にも、円を描いて、それを64等分して、その点と点をすべて結ぶという課題などもありました。しかし今から考えてみますと、芸術家ですから、そんな高校生に絵などの講釈をたれるよりも、実際に色々と描かせること、というのをコンセプトとしてやっていたのかもなあ、と感じております。
 そんな木の絵を描く、という課題の時、最初に書き上げて、その先生に持って行きますと、ちらっと見て、一言言います。「葉っぱが足りない。やり直し」自分としては一生懸命、葉っぱを描いたつもりでしたが、「足りない」と言われて、もう一度描き始めました。そして、もう一度もっていきました。すると「また足りない」と言われます。そんなかんだの何度目か、で「これ以上、葉っぱを描くスペースがありません」と言いました。すると先生は「葉っぱの向こうにある葉っぱがこの絵には描いてない」と言ったんです。「そんな葉っぱの向こうにある葉っぱ」が見えるはず無いだろ、と思ってその場は適当に絵を仕上げて終わりましたが、その言葉は不思議でした。それに何故、木の絵などを描かせたのだろう、と思いましたが、いろいろと面白い教師で、人気がありました。
 マタイによる福音書の冒頭には、アブラハムからイエスに至る家系図が記されています。家系図は「木」のように描かれるものですが、興味がある部分しか書かれないわけです。アブラハムからダビデ、そしてダビデからヨセフ、そしてイエスに繋がる「一本の線のみ」が書かれてだけです。しかし、枝は書かれないわけです。が、興味深いこと、4名の女性が書かれていて、あまり望ましくないような義理の親子間での近親相姦やダビデの部下殺し、異教徒、異民族などの話に関係する人々です。あえて、見にくい人の姿を描いて、どれだけ立派な家系であったか、を知るそうとしたのではなく、どれだけ人は理想的ではなかったか、そして神はそんな罪深い人、家系であっても守ろうとした、ということを現したかったのでないか、と感じています。

ヨナのお話
 長々と木と家系図の話をしてしまいましたが、結論から言いますと、今日登場します「いちじくの木」は何かの比喩であると考えられるからです。そしてこの比喩は「人の共同体」を指しているからであります。それは「民族」や「イエスの共同体」そして「教会(キリスト教共同体)」を指すと考えられるからです。そして、今日の聖書箇所も飛んでいる二箇所を選ばせて頂きましたが、その間にある箇所は『宮清め』と言われている箇所であります。そして「木」と「人々」そんな中で思い出されるのは、旧約聖書のヨナのお話です。
 ヨナ書は、一人の預言者の物語ですが、おとぎ話として旧約聖書に収められている物語です(P.1445)。全体で4章という短い物語なので、全部を読んでみても良いのですが、短縮のために、まとめますと
『ヨナは預言者として召命を受けます。そしてその指令は「ニネベ」という町にいって、「神の裁き・意志を伝えよ」と命じられますが、ニネベに行くのがイヤで、ニネベへの途中の港で反対側の船に乗ります。しかし神の意志によって、船は嵐に遭い、その原因がヨナが神の意志に逆らったことが原因であることが解って、船から放り出されたら、魚に飲み込まれて、ニネベの近くの海岸に放り出されて、ニネベで「このままでは滅びる」という神の意志を伝える、といきなりニネベの人々は悔い改めて今までの生活を捨てて断食をし、神に赦された』というお話です。
 そして、4章にある「木」が出てきますので、その箇所を読んでみたいと思います。
『4:1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。4:2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。4:3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」4:4 主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」4:5 そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。 4:6 すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。4:7 ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。 4:8 日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」4:9 神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」4:10 すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。 4:11 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」』
 このお話は、裁きに対する人間の思いを的確に表現していると思います。例えば、『良いこと』をしたら救われて『悪いこと』をしたら滅ぼされる、としたら、何が『愛なのか解りません』だからと言って、『良いことをしてる人も悪いことをしている人も』すべての人が救われるとしたら、何が『神の意志』なのでしょうか。ヨナはニネベの人たちが滅ぼされれば良い、と思ったわけです。悪いことをしていたならそうでしょう。じゃあ、神に従っても従わなくても一緒じゃないか、という話になるわけです。だからヨナは神に怒ったわけです。そんなヨナに自分の意志を知らせようと神は「とうごまの木」を生えさせ、そしてすぐに枯らしてしまった。そしてヨナは怒っているわけです。が、神は「わたしも一緒だ」ということをニネベの人たちを大切にしてきたのだから、と。ヨナに対して、お前は怒っているけれども、滅ぼすことはとても悔やまれることだ、と言っているわけです。

救いと裁き
 しかし、旧約聖書そして新約聖書全体を通して、そうした滅びと救いの問題を考えてみますと、どちらもあるわけです。悪いことをしたら滅びる、また神の意志によって滅ぼされる民族がいる、神に従わなかったから滅びてしまった人々の話などがあります。今日のお話は、やはり間に挟まれた物語から考えますと、この「イチジクの木」の話は、神がエルサレムをたしかに滅ぼされるのだ、ということを示しているのでしょう。そのことから、マルコ福音書は、エルサレムがローマ帝国に滅ぼされた後に書かれている、と考えられています。
 そしてもう一つの要素ですが、22節~23節をお読みします。
『11:22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。11:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。」
 神の裁きの話ではないのか、という形ですが、ここには人の意志の問題が出て参ります。神に従うことは人の意志決定の問題です。この言葉の断片と、「いちじくの木を呪う」というエピソード、もともとはまったく違ったかたちで伝えられたものです。(マタイ17:20)
 この言葉をここに配置したのは、マルコでありましょう。マルコは「イチジクの木への呪い」を教訓として受け取ったのです。神への信仰を持たなければ滅びてしまう、と受け取ったのでしょう。イエスがイチジクの木を枯らしたように自分たちの教会も神への信仰をきちっとした形で持たなければ滅びてしまう、と思ってこのように配置したのでしょう。

イエスは正しかったのか
 しかし、どうでしょうか。イエスがこのようにイチジクの木を呪って枯らすようなことをするか、という問題があります。だいたいこの季節は春で、イチジクは6月と9月になるらしいので、イエスはとても無理があることを言っている、またイエスが空腹だったから、という理由で季節外れに実をつけていなかったら、枯らされたら木の立場としては、たまらないのではないでしょうか。
 現代におけるキリスト教においても、「良いことをしたら救われ」「悪いことをしたら滅びる」という構図から抜け出せないでいるなあ、と思います。しかし、こういうことを言いますと同じキリスト教でも立場の違う人は「救われる人と救われない人」がいるからこそ、キリスト教である、という人もおります。しかし、どうでしょうか。わたしはやっぱり、キリスト教の神さまというのは全ての人を救う、のではないでしょうか。
 最初に、高校時代における「木のスケッチのエピソード」を紹介しましたが、今になって思うことですが「葉っぱの向こうにある葉っぱ」を描け、という話ですが、たしかに絵を描くという作業は、前にあるモノから描いたら上手くいかなくて、遠くにあるモノ、後ろにあるモノから描くべきなんですよね。それを最初に教えてくれれば、と思うのですが、それを描くことで覚えろ、ってことだったと受け取っています。
 そんなことまで考えてみますと、人間の集団を木にたとえてみますと、その集団だからと言ってすべてが良いとも悪いとも言えないでしょう。また一面的に見えるものが良かったとしても、それだけでは判断できない、こういった考え方を相対主義とか懐疑論とも言ったりしますが、この逆の形は正統主義ではないかな、と思うのです。こういった形が正しい、間違いない、という価値観です。
 聖書には「正しい者が救われ、誤った者は救われない」というメッセージと「誰もが救われる」というメッセージが併存しております。そんな中で今日お読みした箇所は、イエスにおいては、珍しい「呪い」を語った箇所であります。また、他の人々が「呪われよ」「滅びろ」と言われた時、どのように私たちが感じるのでしょうか。ヨナのように、怒りを感じるだろうか否か。神のように、やっぱり助けたいと考えるだろうか。また、ヨブのように自らが辛いことにあったり裁きにあったりして、友人たちに「お前は前任だと言われているけど、絶対に悪いことをしたにちがいない」と言われたら、反論するだろうか否か。この喩えは、そうした人の有り様を問うているのでは無いでしょうか。

十字架への道の途上で
 最後に致します。今日の箇所の冒頭、「11:12 翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。」と記されています。その後、イエスは神殿で商人たちを追い出す「宮清め」と言われる事件を起こします。そのことをきっかけにして、イエスは逮捕されます。イエスは基本的に、従いきれない人でも受け入れていたのでしょう。
しかし,このときは、そうした気持ち、思いでもいられないほど、追い詰められていたのではないでしょうか。
 そして、イエスにとっては決定的な分岐点となる時であったでしょう。そうした時に、イエスの期待に応えることが出来るだろうか、キリスト者として、自分はできるかどうか、そんなことも問われているかもしれません。そして、そういった意味で言えば、弟子たちは誰も従いきれなかったわけです。いちじくの木は枯れてしまっていました。そして、その後イエスは、信仰についての話をしています。ぱっと読むと、信仰の力を持っているイエスが木を枯らすことが出来た、というように受け取りがちです。しかし、違うんですよね。信仰によって、イエスの期待、イエスの同労者になることができる可能性を誰もが持っている、という言葉ではないでしょうか。もうすぐ受難週です。従いきれない私たちであっても、受け入れて下さる主イエスの歩みに思いを寄せて、過ごしたいと思います。

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『風立ちぬ、いざ生きめやも』(マルコ福音書6:45〜50)

2018.10.25(09:33) 381

『風立ちぬ、いざ生きめやも』
マルコ福音書6:45〜50

なぜイエスは通り過ぎたのか
 マルコによる福音書6章45節から50節において、イエスさまに促されてか、弟子たちはイエスさまを残して、ガリラヤ湖という湖に船を出しました。ガリラヤ湖はパレスチナ地域の北部にある湖で周囲50Kmほどの湖です。その周りにはイエスの出身地であるナザレや弟子たちが育った町がありました。弟子たちは、その湖に船を出したのですが、そのまま夜になりました。その時不思議なことが起こりました。今日の箇所、マルコによる福音書6章48節から49節をお読みします。
「6:48-49 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。」
 読んでみて、当たり前のことですが、不思議なことがあります。それはイエスが湖の上、水の上を歩いた、ということです。そして、もう一つ不思議な出来事があります。それは、イエスがその弟子たちの「そばを通り過ぎようとされた」ということです。弟子たちが湖の上で「漕ぎ悩んで」います。イエスさまには12人の弟子たちがおり、弟子たちの中には魚を捕る漁師が4人もいたはずです。船を操作することに関しては、誰にも負けるはずがない仕事です。しかし、その彼らが、船で漕ぎ悩んでいた。よっぽどの状態であったと言えるでしょう。で、イエスさまが「湖の上を歩いて」弟子たちの所へやってきた、弟子たちは「幽霊だ」といって驚いています。そりゃあ、驚くでしょう。しかし同時に、イエスさまはその奇跡的な力で自分たちを助けてくれる、と思ったでしょう。が、イエスさまは通り過ぎて、行ってしまったというのです。なぜでしょうか?とても不思議なことと言えるのではないでしょうか。また、イエスはどこに行こうと思っていたのでしょうか。

復活伝承として
 またもう一つ不思議なことがあります。それは、弟子たちが「幽霊だ」と叫んで、イエスを恐れている点です。変な言い方ですが、イエスが死んでいない、とすれば、またイエスが生きていた、とすれば非常に不可解な言動です。ギリシャ語のニュアンスから「幻だ」という解釈もありますが、もう一つの解釈を紹介したい、と思います。それは、この物語、逸話自体、イエスの十字架刑の後に起こったイエスの復活の記事、復活伝承ではないか、という解釈であります。
 福音書の物語は、様々な口伝伝承が組み合わされて出来た物語であります。そして、そうした口伝伝承はバラバラでしたから、順序もなかった。そして本来、この物語が、もしも、福音書の十字架刑の後の伝承が今の形になって、ここに収められていると考えてみると、弟子たちが「幽霊だ」という叫び、そしてイエスが弟子たちの舟を通り過ぎようとした、という不可思議な点も納得がいくのです。
 マルコによる福音書の最後の箇所、16章7節にはこのような言葉が記されております。
「16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」」(P.97)
 「先にガリラヤへの行かれる」という言葉にしたがってガリラヤへ行った弟子たちとイエスの出会いの記事、として、この出来事、逸話を捉えることはできないでしょうか。

風立ちぬ−堀辰雄の場合−
 今日の説教題、「風立ちぬ、いざ生きめやも」としました。昭和初期に活躍した堀辰雄の小説、「風立ちぬ」から、引用しました。堀辰雄には、結核を患った恋人がいました。結核とは今の時代ではなくなる人はいません。しかし、昭和初期においては、治療することが難しい病でした。その恋人と、サナトリウムという空気の綺麗な山の中にある病院と過ごした日々を描いた作品です。
 その最初にこの詩が、記されていました。「風立ちぬ、いざ生きめやも」。もともとはフランス語の詩を訳した言葉です。わかりにくい言葉で、誤訳では無いか、という話もあります。が、おそらく堀辰雄さんとしては、「風が吹いた。さあ、生きようではないか」とか「風がふく。生きることに挑戦しなければならない」といった意味を込めたのではないか、と思われます。もともと、現実生活の中で、堀自らも肺を病んでおり、恋人と同じサナトリウム(病院)へ入院して、回復を願っていました。しかし、恋人は亡くなってしまい、自らは生き残った。そこから生きる、という歩みを、再び歩み出そうとするとき、自らの体験を小説に徴ながら、辛い日々ではあったけれども、今一度振り返るためにこの小説を記したのではないか。また、改めて「風立ちぬ、生きめやも」、「風が吹いた、生きていこうじゃないか!」と自らを奮い立たせて、新たな歩みを始めようとしたのではないか、と感じております。

風立ちぬ−堀越二郎の場合−
 また、「風立ちぬ」という題名、つい5年前、スタジオジブリの宮崎駿さん監督のアニメーション映画作品として描かれました。その作品の中での主人公は、堀辰雄さんともう一人、堀越二郎さんという人の人生が組み合わせられた形で描かれていました。堀越二郎さんという人は、旧日本軍の戦闘機だったゼロ戦の設計者でした。ちなみに、ゼロ戦は、愛知県の名古屋市の港区で設計されました。
 そしてゼロ戦の設計者を描くということで、戦争を賛美するのか、ということで、アジア諸国から批判がありました。そんなこともあって、私は、ジブリ映画が大好きだったこともあり、機械モノが好きだったこともあり、いろいろ調べてみました。すると、ゼロ戦について、堀越二郎さんがどのように考えていたのかがわかるようになってきました。
 ゼロ戦、正式には、零式艦上戦闘機と言います。零というのは、数字のゼロのことで、完成した年を示しています。1940年に使われ出したことから1940年のゼロを取って、「零式…」、ゼロ戦となったわけです。1940年の開発当時は、圧倒的な性能を誇っていました。日中戦争においては、その航続距離の高さから重慶の爆撃にも参加し、また運動能力の高さから、ほとんど打ち落とされなかったそうです。しかし、1945年の敗戦に至るまで、アメリカ軍の戦争機は、どんどん性能を上げていくのに、くらべてちょっとした改造を加えていくだけで、あまり発展せず、戦争末期には、時代遅れの機体であったと言うことができます。また開戦当初は、ベテランパイロットがたくさんいましたので、当然、ゼロ戦も強かった。しかし戦争が進んでいく中で、アメリカ軍や他の国の戦闘機の性能がどんどん上がっていく中で、ベテランパイロットが命を落としていく。またゼロ戦も敵国から研究されてしまう。そして防御が弱いという特徴が明らかにされる。戦闘機は燃料タンクとパイロットが弱点で、普通は分厚い鉄板で守られるわけです。しかしゼロ戦は、そうした防御を減らすことで、機体を軽くして、性能を上げていたから、それをすると弱くなってしまう。
 そして、どんどん外国に性能は抜かされていき、ベテランパイロットも少なくなっていく。経験の浅いパイロットしかいなくなってしまう。そして航空機、戦闘機同士の空中戦で、旧日本軍は勝てなくなってきた。そんな状況の中で、いわゆる特攻攻撃、特攻隊という発想が出て来る。ベテランパイロットたちが減っている状況です。ですから、特攻隊の隊員という人は、だいたい若い人たち、更にパイロットとしての経験も少ない人たち。訓練期間も普通は、1年ぐらいだったのが、戦争末期には半年になり、初陣(初めての戦闘)が、特効という場合もある。
 そんな状況を、堀越二郎さんは、とても苦しい思いをもってみていたそうです。ゼロ戦の改造はするけれども、海軍も余裕が無くなってきているという状況。自らが設計した機体で多くの若者が命を落としていく状況に対して、とても悔しい思い、苦しい思いをもっていたそうです。しかし、戦時中ですから、そうしたことを発言することは、即、非国民として糾弾される可能性もあり、できなかった、と。

誰もが状況を抱えている
 アニメーション映画の題材となった堀辰雄さんと堀越二郎さんの歩みについて触れさせて頂きました。ゼロ戦の設計者である、堀越二郎さんをモデルに映画を作ることについて、批判もあることは予想もできたでしょう。しかし宮崎駿さんは題材にすることにしました。そこで何を描きたかったのか。私はこんな想像をしています。
 映画の宣伝用のキャッチコピーは、「生きねば」とされています。また現在、『君たちはどう生きるか』の映画化に着手されています。おそらく、宮崎駿さんとしては、今という変化の大きな時代の中において、様々な状況の中で生きなければならない人という存在に対して、映画の観客に対して、「生きる」とはどういうことか、あらためて考えて欲しい。自分の意志で生きるということはどういうことか、ということを考えて欲しいと思っているのではないか、と思うのです。私たち、生きる場所ぐらいは選ぶことはできます。しかし、生きる時代や状況を選ぶことは、現実的に言えば、なかなか難しいと言わざるを得ません。(戦争、夢、時代、病気、恋人を失うということ)

教会の歩みとして
 今日のテキストのお話に戻ります。イエスさまが十字架刑にかかり復活した後、弟子たちがどのような歩みを果たしたのか、細かな歴史的な事実として知ることは出来ません。しかしエルサレムにおいて教会としての歩みが始まったことは使徒言行録から知ることができます。今日のこの箇所が、イエスの十字架刑とエルサレムにおける活動の間にあったとしたら、どんな話だっただろうか、と想像して、この箇所を味わってみたいと思います。
 イエスの十字架刑の後、墓にイエスを納めた弟子たちは、イエスに「ガリラヤで会える」という言葉を頼りにして、ペトロを中心として、ガリラヤ湖湖畔の町、ベトサイダに帰ってきました。しかし、イエスに会うことはできません。時間は経っていきます。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟はもともと漁師さらに網元だったので、家には舟もあったので、漁に出るようになりました。弟子たちは、イエスさまのことが心残りといえば、心残りでした。この世の救い主だと思っていたのに、なぜイエスさまは逮捕されて、十字架刑で死ななければならなかったのか?自分たちが信じたイエスさまは何者だったのだろうか。
 でも更に、不思議なことは、イエスさまの遺体を納めたはずの墓は空だった、遺体はどこに行ったのだろう。さらにあの墓には見たことも若者がいて、マグダラのマリアと何人かが出会った。そしてその若者が言った言葉。「『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」あの言葉の意味は、どういう意味だろう。なにか起こるのだろう。そんな思いを持ちながら、舟に乗って、漁をしていた。ある日一晩中、漁をしていたけれども、何も取れない。明け方になってきた。しかし強い風が吹いて、港へは、なかなか戻ることが出来ない。どうしよう。帰ることが出来ない。と、思っていると、水の上のはずなのに、誰かが近づいている。誰が?いや、何故?…なんと、イエスさまが、歩いて近づいてくる。こちらへやってくる。誰かが叫び声を上げた。死んだはずなのに、なぜ?幽霊か?いったい何が起こったのだ?どうしたんだ?そして、どこへ歩もうとされているのだ…。

なぜイエスは弟子たちの前を通り過ぎたのか
 舟は教会のシンボル、象徴であります。弟子たちはガリラヤへ帰ってから、いわゆる一般的な漁師の生活に戻ろうとしていたのでしょう。しかし、嵐に遭い、動けなくなっているところへ、十字架刑で亡くなったはずにイエスが現れ、自分たちの所でもなく、自分たちが進もうとしている所でもなく、通り過ぎて遠ざかっていこうとしています。
 イエスは、どこに向かって歩もうとしていたのでしょうか。それは、弟子たちが歩むべき道であったのではないでしょうか。嵐の中での出来事、弟子たちにとって、「風」であり、イエスの歩みは、新しい道を「生きるのだ」という呼びかけ、メッセージだったのではないでしょうか。
 新しい状況の中で、自分たちが歩もうとする道に思い悩むこともあるでしょう。そんな時、イエスさまは私たちの前に新しい道を示してくださるのではないでしょうか。弟子たちにとって、イエスの復活とはそんな意味もあったのではないでしょうか。


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『身を献げた主に従う』(マルコ福音書10:35〜45)

2018.08.27(19:38) 379

『身を献げた主に従う』
(2018/8/26)
マルコ福音書10章35~45節

エルサレムの道とは
 わたしたちの信仰というのは、常に「このままで良い」と、今のままではダメで、「変わらなければならない」。そんな二つの意志のどちらか、または、その狭間にあるのではないか、と感じます。そして今日の箇所における弟子たちには、そういった二つの内の一つ、「自分は変化していくのだ。立派になるのだ」という思いと、「評価されたい」という欲望が表れている箇所と言えるのではないでしょうか。
 イエスと弟子たちは、エルサレムへと向かっていました。イエスは、どのような意識であったのか。様々な捉え方がなされます。マルコ福音書の文脈によれば、あくまで受難への道でありました。ヨハネ的には、神の計画に従った道、「犠牲の小羊」となるための道と言えるでしょう。しかし弟子たちは、不安がありながらも、自分たちは、特別な何かをする、また特別な存在になる、と考えていたのではないでしょうか。
 また、お互いに、イエスと弟子たちはお互いに対して、どのように考えていたでしょうか。イエスの側からはどうでしょう。いろいろな可能性があると思います。第一の可能性は「怒り」です。イエスはこの箇所の直前、三度目の受難予告、「自らが祭司長や律法学者に捕まり、十字架にかけられ、死ぬ」ことを宣言します。しかし、誰もそのことを本気には聞いていないのではいないのです。イエスさま自身が「自分は死ぬ」と言っているのに、「栄光にあずかるときには自分を右、また自分を左に」という言葉を弟子たちが述べている。まるっきりイエスさまが王様になるかメシア(救い主)として君臨することしか考えていない。まるっきりイエスさまの言葉を信じていないわけです。普通は怒るか、もしくは溜息でも付くのではないでしょうか。

受難の捉え方について〜ペトロとユダを例にして〜
 また、「苦しみ」「孤独」の中にあったと理解もあります。こんな想像をしてみたことはないでしょうか。弟子たちが、イエスが十字架への道を歩むことの意味を知っていたとしたら。
 受難という事柄の悲劇性を増すためには、弟子たちがイエスの意志、真意、また神の意志、真意を理解していなければいないほど、その悲劇性が高まります。そして更に言えば、イエスが復活しなければ、その悲劇性が高まるわけです。マルコ福音書が、もともと復活の記事がなかったかもしれない、ということの根拠には、そうしたことも関係しているわけです。悲劇性が一番強い場合というのは、その人の死が無意味なものである、という状況ではないでしょうか。戦後73年目の夏ですが、戦争の犠牲になった人々の死に関係して、「犠牲の故に、今の平和がある」とは、よく言われることですが、その死と平和が関係ない、としたら悲惨な死と言わざるをえません。また、「犠牲の故の平和」と声高に語ることによって戦争の責任者の責任に目を向けさせようとしない意図もあると言えるでしょう。
 また、悲劇性に関わることに要素として、赦しの要素も関係してきます。弟子たちを裏切ってしまったイエス。まずペトロなどは分かりやすい形での赦された人であります。最後の晩餐の場面において、「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」(マルコ14:31)。このような言葉を述べ、さらに命をかけるとまで言ったペトロ。また、文字通りの裏切り者と言えるユダ。イエスを銀貨三十枚(マタイによれば)で売り飛ばしたとされています。しかし、ユダの福音書という2世紀に生み出された偽典があります。10年ほど前(2006年)に発行され、話題になったのですが、キリスト教の異端とされるグノーシス主義(知恵主義)の一つであります。
 ユダの福音書によれば、ユダのみがイエスの真意を聞いていた功労者である、という話であって、ペトロを代表とする使徒たちは、無理解であり、ユダこそが本当の使徒だったという主張なのですね。要するに、本家争いをしているようなものなのですね。我こそが、一番イエスの真意を理解していたのだ、ということを主張しています。話の本筋から離れますが、グノーシス主義にしても、偽典にしても、時代時代における本流の流れに対する批判と自らの正統性を主張するために記されている場合が多いです(カイン派、セト派など)。
 また誰が一番の使徒、弟子であるのか、という課題は、新約聖書に収められている福音書の中でもあると言えます。マタイでしたら、ペトロ。マルコでしたら、女性の弟子たち。ルカでしたら、パウロ(使徒言行録も含めて)。ヨハネは、愛する弟子、などです。

ゼベダイの子ヤコブとヨハネの願い
 今日の聖書の箇所で、ヤコブとヨハネがイエスに願っています。10章37節。
「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」
 そしてイエスは、答えます。10章38節。
「10:38 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」」
 二人は、「できます」と答え、イエスは重ねて言います。10章39節40節。
「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」
 解釈学的には、この言葉、弟子たち、使徒たちがいずれ受けるであろう、被るであろう、受難について預言している、という捉え方が出来ます。ペトロにしろ、ヤコブにしろ、キリスト教宣教の故に処刑された、とされています。また、キリスト教共同体、教会の中において、誰がリーダーになるか、ということもイエスが決めることではなく、神の業、計画によるということを、述べようとしている、と言えます。
 また、この弟子たちの無理解、ズレ具合は、このような要求をするヤコブとゼベタイのみならず、二人を責める弟子たちも、内容的には同じレベルではないでしょうか。41節に、「ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。」とあります。要するに、「汚いぞ!自分たちばっかり先生におべっかを使いやがって」と争いを始めます。さらに最後の晩餐の場面でも同じようなやり取りがなされているのです。マルコ福音書14章31節。
「14:31 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。」

権威主義的信仰への批判として
 誰もが最初があると思うのですが、福音書を読んでいて、イエスが十字架にかかってしまうことについて、驚いた人はいるでしょうか?おそらく、おられないと思うのです。また、実際に弟子たちがどうだったか、という気持ちを本当の意味で体験すること、追認することは不可能と言えるでしょう。そういった意味で、マルコ福音書があれほどに悲劇性を高めようとしているのは、そうした意図があるのではないか、とさえ思います。
 おそらく、マルコ福音書を記した人は、読み手が、イエスの十字架刑とはこのような流れであった、弟子たちはこのようなことをしていた、弟子たちは、復活の主、イエスとこのような再会を果たした、ということを、ある程度、知っている人たちが読むのだ、といいうことを考えながら記していたはずです。このことは、考えてみれば、当たり前のことで、キリスト者、教会のメンバーしか読まないからです。そして、歴史的な事実、真実を伝えようという意志もあったけれども、やはり弟子たちの情けなさ、を伝えようとした意志は強かったでしょう。それは使徒や、イエスと直接に触れ合った弟子たちが、権威ある存在として捉えられるようなあり方への批判と言えると思います。
 そして、これは、もしかして想像でしかありませんが、どんどん世代が進むと共に、イエスとの関係が薄まってしまう、ということを危惧していたのではないか、と私は考えています。直接の弟子たちを批判しなければ、イエスと関係が薄くなればなるほど、世代が進めば進むほど、関係が薄くなっていく。しかし、直接の弟子たちもイエスの前ではなさけなかった。無理解であった。そうしたところの使徒たちを立てることによって、結果的に、直接にイエスも知らない弟子たち、キリスト者も使徒たち、イエスと直接出会った弟子も同じだよ、「そのままで良い」んだよ、ということが伝わっていくことになったのではないでしょうか。

価値を転換すること
 名古屋で、在日大韓キリスト教会や他の教会の人と一緒に、毎年、「平和を祈る祭典」として平和集会を行っています。今年は、在日の「趙博(ちょ ばき)」さんという方をお迎えして、歌と講演を伺いました。その中の一曲に、『息子よ、そのままでいい』という曲があります。この曲は、2年前に起きた相模原のやまゆり園の障がい者19名が犠牲になった事件を受けて、自閉症の17歳の息子さんを持つ報道関係の方がSNSに掲載して、拡散した記事です。そして、このような紹介をされています。

「わたしたち夫婦が授かった長男は、脳の機能障害“自閉症”を生まれながらに持っている。この男の刃は、私たち家族に向けられているー。テレビで容疑者の笑顔を見るたびに、心の中をやすりで削られているような気分に苛まれた。怒りや憤りをぶちまけても、容疑者はおそらく笑うだけだ。違う次元の言葉を綴りたかった。フェイスブックに投稿したのは事件から3日後。容疑者が『障害者は死んだ方が良い』と供述する事件の起きた日本から、障害者の父が書いた“詩”は世界に拡散されていった」

 平和集会の講演の中で、この曲に対して、パギやんは同意と同時に、障害者の家族から、やめてくれ、歌わないでくれ、という批判があったということを伺いました。「そんな単純に受け入れられない」「責められているように思う」など。たしかに、私もそういう反応があるだろうな、と思いました。しかし、あくまで元々は、一人の障がいを持つ息子の父親の詩をどうこうするというのは、おかしな話ではないでしょうか。障がいについての捉え方は自由、その時々に様々な思いを持つものです。良いも悪いもないと思うのですが、どうでしょうか。
 障がいという痛み、重荷をどのように捉えるか、神に与えられた道として、運命として捉えられるだろうか。「そのままで良い」と言えるだろうか。障がいに限らず、病い、負い、未熟さ、苦手なこと…。このように自分を良いとできない、という思いは、信仰において、自分は不完全である、という思いと重なるように思います。
 イエスは言っています。10章43節から45節。
「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
 どのような形であっても、高く評価されたい、という思いを私たちはどうしても持ってしまうのでは無いでしょうか。そして、私たちは、このイエスの言葉をどのように捉えれば良いのでしょうか。

身を献げるということー復活信仰ー
 今日の説教題は、「身を献げた主に従う」としました。この箇所において、福音書の著者は、弟子たちの無理解、イエスと弟子たちのあまりのズレの大きさ、イエスの孤独を読み手に伝えようとしています。私たち読み手がこのお話を手放しで笑えるか、ということが一つの課題として提供されているのです。イエスの十字架への道を知らずに、福音書を読んだとしたら、どのように感じるでしょうか。弟子たちのように、イエスはメシアである、ユダヤ人の王となるのだ、玉座に座る存在となるのだ、と考えていたのだったら、逮捕から十字架刑という流れは、驚くどころか、受け入れられないのではないでしょうか。
 また、わたしたち自身もイエスさまの思いを理解せずに、右に座らせてくれ、左に座らせてくれ、と叫んでいるのではないでしょうか。この弟子たちの姿は、わたしたちの姿かも知れない。最初には、信仰とは、「このままで良い」と「変わらなければならない」のどちらか、または間にあるという話をしました。本当にその通りだと思います。しかし、大事なのは、どのような存在であろうとも、イエスは、そのままで良い、と受け入れてくれている、ということではないかな、と思います。新しい一週間も主イエスが共にいることを信じて歩んでいきたい、と思います。

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『イエスのパン種』(マルコ福音書8:14〜21)

2018.07.01(14:45) 373

『イエスのパン種』
(2018/7/1)
マルコによる福音書 8章 14~21節

舟としての教会
 今日の箇所の舞台である船は、キリスト教の伝統において「教会」や一つの「集団」、また、この「世界全体」を指します。
一つの教会において、また一つの集団において、また世界において、パンが一つであったとき、どのようなことを考えるでしょうか。世界中に、パンが一つしかない、ということはあり得ないことです。ですが、世界が置かれている状況を当てはめて考えることが出来るでしょう。限られた食料や資源、また世界で進んでいる環境破壊、限られた自然として捉えることが出来ます。そうした限られているものをどのように考えていくのか、ということです。一つの集団において、国や民族でも良いでしょう。また教会において、一つのパンを分け合おうとなったら、どうするでしょうか?様々な方法によって解決しようとするのでは無いでしょうか。
 この箇所においては、パンは一つ、12弟子とイエスというメンバーであれば、13等分にするという方法もあるでしょう。また5000人の共食の記事のように増やすことも考えるかもしれません。しかし、この箇所において、イエスは間髪入れずに、ある警告を発しています。8章15節の言葉「「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」」と。こうした構造から、イエスがパンを増やす力を持っている奇跡行為者である、キリストである、ということが言いたいわけではなく、警告を伝えたい箇所であることをわかります。

ファリサイ派とイエス
ファリサイ派の人々、イエスの敵対者として何度も登場します。しかし実態はどうかといえば、いろいろな議論があります。イエスの活動にしても、ファリサイ派の活動にしても、ユダヤ教の革新運動という共通する性格を持っていました。そして神殿を中心としたユダヤ教の時代を終えて、律法を中心としていたファリサイ派の人々がユダヤ教の歴史の中心となり、ラビと呼ばれる律法の教師という存在が重んじられるユダヤ教(ラビ・ユダヤ教)となっていきます。どちらも神殿を中心としたユダヤ教からすれば、革新運動だったわけで、原始キリスト教とファリサイ派は似たような位置にありました。また律法を生活実態、人々の実態に合わせた形で変えていこうという立場も似ていると言えば似ており、ライバルのような関係であったと言われています。そのような背景から、違いを際立たせるため、ライバルを貶めるため、近親憎悪的に福音書においてファリサイ派はひどく描かれているのではないか、といった指摘をする意見もあります。
 また、ファリサイ派をさす「ファリサイ」とは、「分離主義」という意味です。「他の者と隔絶した存在」「自分たちさえ聖なる者」とも言えます。そして、さらに進んで、自分たちのみが「主なる神さま」に助けられれば、それで良い。とてもひどい言い方をするとこういう考え方であります。が、厳密に言いますと、少し違いまして、ファリサイ派の人々は自分たちだけが「救われれば良い」と考えていたわけではなく、自分たちのような存在が、「主なる神」の教えを完全に守ることによって、この世の中全体が救われるだろう、そしてそのときには、自分たち以外の人々も救われるだろうから、ファリサイ派の教え、自分たちという存在を重んじなさい、という考え方でした。

ヘロデ派の人々
 そして、そのファリサイ派と共にヘロデと出てきますが、これはヘロデ大王や息子であったアンティパス個人ではなく、「ヘロデ派」、イエスが生まれた頃から活動期までユダヤ王家を形成していたヘロデ王家の人々、それにつながる人々を指しています。一般に世界史の世界においては、イエスが生まれた頃のヘロデをヘロデ大王と呼びます。そしてイエスがメシア、キリストとして活動していた時期、その息子ヘロデ・アンティパスが、ちょうどガリラヤ地方の領主として活動していました。マルコ福音書6章14節には、ヘロデがバプテスマのヨハネの首をはねたという記事がありますが、これは息子の方のヘロデであり、イエス自身の言葉として、ルカ福音書7章24~25節にはこのような言葉があります。[P.116]
「7:24 ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。 7:25 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。」
 「華やかな衣を着て、贅沢に暮らす人」として記されておりますが、ヘロデ・アンティパスであります。ヘロデ派と呼ばれる人々は、ヘロデ家を頭として、ユダヤ人でありながらも、ローマ帝国により強く従うことによって、またユダヤ教のある種の厳格的な部分を捨て去ることによって、王としての立場、また支配層という立場を与えられて君臨していました。父であるヘロデ大王にしても、子であるヘロデ・アンティパスにしても、ユダヤ人たちが大切にしていた神の教えの中心である神殿や律法などについて、あくまでユダヤ人たちを支配するための道具としてしか見ていなかったように考えられます。そういった意味では、ただ単に神ならぬ権威に頼っていた人々というよりも、自らの利益のため、自らの立場をまもるために、この世の権力に妥協的に物事を進めようとしていた人であり人々であったということが出来ます。

パン種に頼る者
 イエスは、「ファリサイ派の人々」や「ヘロデ派の人々」の「パン種」に気をつけろ、と言っています。そして、ここで一つとても興味深いことがあります。それは、「パン種」を警戒せよと指摘する一方、一貫して、弟子たちへの持っているパンについては、「パン」で統一されていることです。8章17節から19節前半をお読みします。
「8:17 イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。8:18 目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」」
 「パン」と「パン種」が比較する中で浮かび上がってくることは、「パン」は一つのパンでしかありませんが、「パン種」は増えること、膨らむということです。律法において、パン種(酵母)は嫌われている存在です。神ならぬ力、自然ではない力で膨らむという捉え方からであり、神の捧げるパンは、種なしパンでなければならない、また特別なお祭りのときも、種なしパンを食べるように、と進められていました。(Ex12:15)
 そのような背景から、どのような意味が「パン種」には込められているのでしょうか。それは、おそらく「イデオロギー」「宗教心」と言った、人と人の間で繋がっていく、ある種の考え方や心の持ちようを指しているのでは無いか、と捉えることができます。ファリサイ派にしても、ヘロデ派にしても、また宗教団体や政治団体にしても、人と人との繋がりは、その集団の活動での活躍や役割、立場によって評価されます。そして、役に立たないと見れば、すぐに棄てられてしまう。そうした構造を持っていたのでしょう。人々のつながりは、パン種が膨らむように、広く繋がっていくかもしれません。しかし一方、そうした勢いを失ったり、パン種から離れてしまったりすると、パン種も小さくなるしか無く、人々も棄てられてしまったり、離れていくかしかない。とても不安定なものと言えます。

パンに頼る者
 そして、パンに頼るべきだ、というイエスの主張は、このように捉えられるのではないか、と思うのです。それは、まず一対一の人と人の関係を基盤にして生きていくこと、個々人を大切にすること、キリスト教信仰は、そうした思いを基盤にしている、ということをイエスは伝えたかったのでは無いでしょうか。今日の箇所最後にイエスは、このようにおっしゃっています。8章19節から21節。
「8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。8:20 「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、8:21 イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。」
 この言葉は、マルコ福音書6章30節において行われた5000人が満腹したといわれるパンと魚を増やした奇跡、またマルコ福音書8章1節において行われた4000人が満腹したといわれる奇跡を背景にして理解することができます。あの奇跡は、多くの人々がイエスの言葉を求めて集まったときに起こりました。そして、ただ単に人が多かったから、パンと魚が増えたというお話ではありませんでした。ただ単に、5000人の人々にパンが増えて与えられたという話ではなく、50人や100人のグループに分けられた中で、5つとパンと2匹の魚によって、不思議なことにみんなが満腹したというお話でした。これは私なりの解釈ですが、5000人というグループではなく、50人とか100人、また更に、小さな人のグループになったとき、隣に座る文字通り隣人を助けようという思い、分け合おうという思いが広がって、みんなが満腹した話と理解することが出来るのです。

イエスの思い
 また、パンを配った後に5000人のときは、12つのカゴ、4000人のときは、7つのカゴが残ったとあります。とても象徴的な数ですが、ユダヤ人キリスト者の代表である十二弟子の数、異邦人キリスト者の代表者として7人を暗示する言葉であり、後の教会の広がりを示そうとしているのでしょう。最後の箇所、21節。イエスさまに「まだ悟らないのか?」と弟子たちは問われています。これは同時に聖書の読み手一人一人に向かって投げかけられた問いでもあります。キリスト教の教えの中で、教会の中でも大切なものは何でしょうか。今日の「パン種」と「パン」の比較から捉えられることは、集団や組織としてのあり方よりも、一人一人の人に向き合うことこそ、キリスト教の道であるということではないでしょうか。
 わたしたちは、ときに人に渡すべきパンを持たないものかもしれません。そして、時に弱さから「パン種」に頼りがちな心も持っています。しかし、イエスの言葉を胸に、一つのパンを持つ者として、隣人と一つのパンを分け合う意識を持つ者として、新しい一週間も、歩んでいきましょう。


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周縁自体


マルコ
  1. 『あの旅路を再び』(マルコ福音書16:1〜8)(04/28)
  2. 『イエスが呪ったいちじくの木』(マルコ福音書11:12〜14/20〜25)(03/04)
  3. 『風立ちぬ、いざ生きめやも』(マルコ福音書6:45〜50)(10/25)
  4. 『身を献げた主に従う』(マルコ福音書10:35〜45)(08/27)
  5. 『イエスのパン種』(マルコ福音書8:14〜21)(07/01)
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