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『分裂が和解に、終わりが始まりに』(使徒言行録2:1-11)

2016.05.17(07:45) 312

『分裂が和解に、終わりが始まりに』
(2016/5/15)
使徒言行録 2章 1~11節

教会の時のはじまり
 今日は、教会の誕生日、ペンテコステであります。使徒言行録には、旧約聖書を「イエス・キリスト以前」、福音書を「イエス・キリストの時」、そして、イエス以後の時を、「教会の時」として、描きました。そして、今日の箇所、イエスの復活に続く出来事、復活以後40日目に起こったとされるイエスの昇天(Act1:6-11)、そしてそれから10日後、復活からは50日目に起こった、聖霊が弟子たちに授けられたことが記されている箇所であります。使徒言行録は、福音書の一つ、ルカ福音書と同じ著者、同じ教会によって生み出されたものであり、おそらく紀元後90年頃に成立したものです。そして目的としては、自分たちの日常の教会の現実と、イエス・キリストと弟子たちの歩み、そして十字架と復活を繋げる役割を持たせた、といえるのではないか、と考えることが出来ます。そして、ペンテコステとは、イエスの時の終わり、教会の時の始まり、が凝縮した一点と言えるでしょう。
 ところで、教会は何をするところでしょうか。使徒言行録2章42節には、原始教会の姿が描かれております。(P.217)
「2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
現在でも続く教会において行われる業が記されています。使徒の教え(聖書に記されている神の教えに聞くこと)、相互の交わり(助け合うこと、交流すること)、パンを裂くこと(聖餐を守ること、食卓を共にすること)、祈ること(文字どおり、祈ること)。これらの事柄は、その意味内容には変化があると言わざるを得ませんが、イエスが弟子たちとともに歩んでいたときから始まっていた業であり、弟子たちに受け継がれ、そして教会に受け継がれたこととして言うことが出来ます。

ペンテコステの出来事
 今日の箇所、使徒言行録2章1節から4節をお読みします。(P.214)
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
 いつ、そのことが起こったのか?「五旬祭」とありますが、これはユダヤ教のお祭りである「過越祭」から50日目に祝われていた祭り(収穫祭)のことを指します。また、ペンテコステとは、50を指す言葉が語源ですが、聖霊降臨日(ペンテコステ)は、この50に基づいています。そして、どこでその出来事が起こったのか?あえて書かれてはいませんが、エルサレムであることが5節以下の記述から知ることが出来ます。エルサレムはユダヤ人にとっての精神的支柱であり、そこには多くのユダヤ人が滞在していたこということが9節以下に記されています。そして、どのようなことが起こったのか?4節をお読みします。
「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
 「ほかの国々の言葉」とありますが、直訳では、「異なる言葉で」となります。また、「話し出した」とありますが、どんな言葉で、どんな内容のことを話していたのでしょうか。8節には、そこで話されていた言葉のリストがあり、11節によれば、「神の偉大な業」が語られていたとあります。
 他の箇所との関連でその意味内容を探ってみたいと思います。実は、旧約聖書の中に、それまでは同じ言葉をしゃべっていた人々が、突然、違う言葉をそこに集っていた人々がしゃべり出した、という有名な出来事が一つあります。それは、創世記11章のバベルの塔の物語です。少し、お読みします。創世記11章6節から9節。(P.14)
「言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」
 内容としては、同じことが起こったと言えます。どちらもそこに集っていた人々が、突然、違う言葉を話し出した、そして何かが広がっていきました。バベルの塔においては、大きな混乱(バラル)が起こった。言葉が通じ合わなくなり、意志が通じ合わなくなった。しかしそれをきっかけにして、人々が全地に、様々な地域に広がっていったということ。言葉が通じなくなることが、不幸なこととして人々が分裂する原因として描かれています。しかし、使徒言行録においては、同じ事なのですが、それが幸いなこととして描かれている。神の業によって、福音(神のメッセージ)がユダヤ人のみならず、イエスや弟子たち、ユダヤ人たちが話していたアラム語だけではなく、様々な言葉で語られるようになり、様々な地域に広がっていくようになった、と。

分裂と和解
 また、この出来事の意義として、キリスト教が様々な言語で、伝えられること、語られることを認めた物語として読むことが出来ます。使徒言行録11章には、ペトロが天から大きな布が降りてくる、という幻を見るという記事があります。その布の中には、「地上の様々な獣、野獣、這うもの、空の鳥など」(Act11:1-7)が入っており、神はペトロに対して、それらを屠って食べなさいと命令します。このことによって、ユダヤ教の厳しい食物規定が破棄された、キリスト教において食物規定は存在しないことにされました。
 ペンテコステの出来事は、ユダヤ教がヘブライ語を聖なる言語としたのに対して、キリスト教はそうした言語、この言葉でなければならない、という考え方を否定したお話と言えます。キリスト教の歴史においては、カトリック教会にて、ラテン語の聖書のみが聖典とされたこと、聖書の朗読や聖書の物語が一握りの知識ある人々に支配されてきた歴史も批判されるべきかもしれません。また、教会の様々なあり方、信仰の有り様においても、多様なあり方を認める姿勢と捉えられないでしょうか。
 さらに様々な国家において、国民統一を目的として、国語教育、国語推進といったこと。文化の画一化が行われますが、そうしたことへの批判とも捉えられるでしょう。バベルの塔において、描かれていることは、神ならぬ人が神のようになることをめざし、人が人を支配することの愚かしさを描いたものという捉え方、理解があります。新バビロニア帝国において、様々な民族の人々、様々な言語を持つそれぞれの民族が王の力によって暴力的に支配されていた現実への批判ではないか、という考え方です。様々な民族、様々な言語を持つ人々の有り様や理想が、何かの力によって、権力によって、画一的なものに染められてしまうこと、それを聖書に記されている神は望んでおられないのだ、ということを表明しているのだ、という理解です。そしていつかそうした支配は滅びるのだ、という理解です。このようにバベルの塔の物語と合わせて読むことが赦されるのであれば、より深くペンテコステの物語を味わうことが出来るのではないでしょうか。

終わりが始まりに(教会のあり方)
 また、ペンテコステにおけるもう一つの意義を考えてみたいと思います。ペンテコステは、聖霊というものが、弟子たち、使徒たちに与えられた時とされていますが、同時に教会の誕生日、教会の始まりの時であった、という説明がされます。イエスが十字架上の死を遂げ、復活したから40日間は弟子たちと共におられた。が、天に昇ってしまった。イエスという存在が、この世から完全にいなくなってしまったわけです。
 しかし、その10日後、イエスの復活から50日目に聖霊というものが与えられ、新しい歩みが始まった。イエスがいなくなった代わりに、聖霊が与えられ、教会としての歩みがはじまったというわけです。最初に、教会の業として、使徒言行録2章42節にある記事をお読みしました。そこには教会の業として、「(使徒の)教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること」と記されていました。イエスが共にいるとき、「教え」を説いたのは、イエスでありました。しかし、それからはイエスの言葉や聖書の言葉を思い起こして、使徒たちがその作業を行うようになったのです。「相互の交わり」とありましたが、互いの助け合いを導いたのは、イエスでありました。しかし、これも使徒たちの業、それぞれの教会のリーダーなりメンバーの業になりました。パンを裂くこともイエスでは無く、使徒たちなどの業となったでしょう。そして、祈ること。イエス自身も祈ることもありました。そして、イエスは「主の祈り」といった祈りも勧めましたが、弟子たちと共に祈ったこともあり、一人で祈ることもありました。しかし、教会の時となってから、イエス自身が祈られる存在となった。また、神に対する祈りを媒介する存在とされたのです。(「イエスの御名を通して…」)

キリスト者・教会のあり方として
 教会の中におけることも外に置けることにも当てはまりますが、自らの信仰を大切にする、自らの思いや指針という行動が、自分とは違うあり方に対する不寛容、また攻撃につながるということがあります。「国民とは」「文化とは」「家族とは」「キリスト教とは」「教会とは」「信仰とは」「聖餐とは」…。
 日本基督教団における聖餐の問題、教師への処分も同じと思えます。自らの信仰やあり方の基盤を、他者を攻撃することによってしか、確認できない人が、自らとは異なる存在、新しい教会のあり方を攻撃するのではないでしょうか。また今日のペンテコステの記事にありましたように、多様な言語や多様な食生活や文化を認めるあり方が教会の原点にあるとしたら、それこそ非教会的な営みと考えることは出来ないでしょうか。
 教会の伝道のあり方とは、自分とは違う存在を受け入れる努力の継続ではないか、と感じることがありました。信仰のあり方や価値観が違うということは、時に言葉が違うぐらいの違いがあることはないでしょうか。一つの教会でもそうですし、一つの教派や教団でもまったく違うことがあります。しかし、そうした存在と互いの違いを受け入れ合うことこそ、教会の本質かもしれません。
 また9節には、様々な地名が記されていますが、ユダヤ地域を真ん中にした同心円上の地名、周囲の身近な地域のリストがしるされています。私たちも日常的に様々な人と出会います。そうした出会う人との和解、またそうした人々の平和を願うことこそ、信仰者としての有り様であり、それこそが宣教、伝道であると問いかけられているのかもしれません。

IMG_2302.jpg
○ 職場近くの七里の渡しで遭遇した鵜(?)の大群。
  ま、聖霊ではないですが(笑 
※ クリックすると拡大表示します。

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『共同体としての教会』使徒言行録4:32-37

2013.06.23(21:01) 214

『共同体としての教会』
(2013/6/23)
使徒言行録 4章 32~37節

最初の教会の良い物語
 今日、わたしたちに与えられた箇所は、使徒言行録4章です。教会の始まりについて記された箇所の一部である。使徒言行録には、旧約聖書が「イエス・キリスト以前」、そして福音書が「イエス・キリストの時」、とするならば、それ以後の時、「教会の時」という時間感覚に基づいて記されております。そして使徒言行録は、福音書の一つ、ルカ福音書と同じ著者、同じ教会によって生み出されたものであり、それぞれルカ福音書は、イエスの時、使徒言行録は、教会の時について記されたものとなります。
 では厳密にいって、「イエスの時」から「教会の時」に変わった分岐点というのは、どこでしょうか。使徒言行録の記述に基づいて言えば、イエスが私たちの間から失われた時、その代わりに使徒たちにペンテコステの出来事によって聖霊が与えられた時からという考え方が出来ます。使徒言行録の最初には、イエスが十字架上の死を遂げた後、復活し、その後40日間(使徒1:3)、弟子たちと共に時を過ごした後、天に昇ったことがまず1章において記されます。そして続く2章においては、聖霊が「炎のような舌」が、使徒たちや弟子たちに下り、多くの外国の言葉をしゃべりだし、そのことによって、イエスの福音、イエスが主なる神の子であるというメッセージがエルサレムからローマへ、またローマ帝国全土へ広がっていったということが示されます。
 その後、使徒言行録3章においては、第一の弟子、第一の使徒であったペトロが、前半の3章1節から10節においては、力強く、癒しの奇跡を行い、後半11節から26節においては、力強くイエスが神の子であること、主なる神が与えられた約束の救い主(キリスト)、ユダヤ教、ヘブライ語では「メシア」、油注がれた約束の神の子であることを示す説教を神殿で行います。その説教をもとにして、ペトロと使徒の一人のヨハネは逮捕され、取りしらべを受けることになりますが、その知恵と力によって釈放されています。
 こうした聖霊が与えられ、イエスの弟子としては、頼りなかったペトロや12弟子たちが、突然、力強くなって、最初の教会の歩みを導き出したことは、とてもすばらしいことではあります。
が、今日の箇所においても、使徒言行録の他の箇所においても、順調にその歩みが進み出した一方で、厳しい現実、望ましくないことも起こっていたことが、今日与えられました箇所から知ることができます。

理想的に進んだこと

 今日の箇所、4章32節から37節には、「持ち物を共有する」という小見出しがつけられています。4章32節をお読みします。
「4:32 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」
また、34節35節によれば、そのことによって、信者の中には「貧しい人がいなかった」こと、さらにその理由、原動力として「土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち」よっていたことが記されています。それらは使徒たちを中心に、使徒たちの指導によって勧められていたことが、今日の記述からうかがい知ることが出来ます。また使徒言行録2章24節には、このような箇所があります。(P.217)
「2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
また続く箇所、2章44節から47節には、今日の箇所と同じような形で、教会の活動、教会の人々が様々なものを共有していたという記述が収められています。
「2:43 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。2:44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、2:45 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。2:46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、2:47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」
 内容として、非常に似かよっています。私有物を献げ、それらを共有することによって、生活を営んでいたこと、そして熱心に神殿にいき、神を賛美していたこと、そしてそのことによって、「好意を寄せられ」て、多くの仲間を得ていったのでしょう。しかし、読み比べてみますと、今日の箇所4章とは若干の変化があることに気がつきます。それは、47節後半の言葉「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」という要素が、4章には見当たらないことです。日々、キリスト者として教会の群れ、使徒の群れに加わる者がいたのに、4章の教会の状況においてはそうした加わる者が見られなかった、ということです。

理想的に進まなかったこと
 おそらく、この違いは、2章の記述と4章の記述の間に、ペトロとヨハネが尋問を受けたという記事があることの違いから生まれてきていると思われます。おそらく徐々に、エルサレムにおける、イエスを主とするエルサレム教会の活動のあり方に対して、ユダヤ人の人々が疑いをもつようになったのでしょう。「わたしたちの信じている神さまの教えと同じだと思っていたが、どうやら違うかもしれないぞ」といった見方、周囲からの評価の変化がもたらしたのではないでしょうか。
 そして、そうしたエルサレムにおけるペトロたちエルサレム教会の評価が変わっていくことは最終的には迫害へとつながっていくわけです。このあと、5章6章7章と使徒言行録を読み進めていきますと、堂々とイエスを救い主である、という福音が延べ伝えられますが、同時にその内容があきらかにされればされるほど、ユダヤ人たちからの迫害状況はひどくなり、ついにはエルサレム教会の枝であったステファノの逮捕と最初の殉教という悲劇、石打刑による死につながっていきます。
 その後、エルサレム教会は、はっきりとユダヤ教の中における異端という烙印を押され、教会の活動としても、内向きな形になったでしょう。そして、そうしたあり方は、キリスト教の中における異邦人伝道の取り組みからにも変化をもたらしました。ユダヤ教と変わらない、というべきか、しかしそれではイエスの語った福音を否定することになるかも知れない、といったジレンマです。当然、エルサレム教会の中にも、他の地域に広がる教会においても、ユダヤ人への宣教を重んじるべきか、異邦人への宣教を重んじるべきか、またユダヤ教の教えである律法を教会の中で重んじるべきか、異邦人の立場を重んじて律法に関して距離を置くべきか、様々な議論が生まれたでしょう。そうした状況の中で、私たちが知っているパウロという人は、ユダヤ人が重んじている律法は、福音によって破棄されたとして異邦人伝道へと進みました。しかし同時に、パウロは考え方の違うエルサレム教会に対して、献金を送るということを自らの活動の大きな柱として捉え、様々な都市、教会で献金を呼びかけ、エルサレム教会へと届けるという活動も担いました。(Ⅰコリ16:1-12/ロマ15:22-29)
 また、エルサレム教会の中においても、理想的な状況とは言えなかったことをうかがい知ることができます。
 使徒言行録5章1節から11節には、アナニアとサフィラという夫婦が、自らの土地を売って、使徒たちのところに献金を持ってきたのですが、その代金の一部をごまかしてしまったことによって、神の怒りが下ったのか、その場で2人とも亡くなってしまった、という記事が収められております。ずいぶんと無慈悲な神さまですが、これらの事実ではないという解釈が広くなされています。この記述は、いわゆる教会における共有があまり上手くいっていなかった、ということから、脅しのために記されたものという理解が出来るでしょう。そして、さらにいうのであれば、「私有財産の放棄」や「財産の共有」は理念としては行われていたでしょうが、完全に成すことは出来なかった現実を現しているのです。しかし、そのことは否定的に考えることではなくてイエスの活動にも連なるあり方ではなかったか、と思うのです。

バルナバの歩み
 今日の箇所の後半、バルナバという人物が出てきます。このバルナバ、ご存じの方もおられるでしょうが、アンティオキア教会のリーダーであり、一時はパウロと共に伝道旅行にも出かけたことがある宣教者であります。彼は今日の記述にもありますように、もともとはキプロス生まれの外国語であるギリシャ語をしゃべるユダヤ人、ヘレニストでありました。その彼が自らの土地を売って、エルサレム教会のために献金した、というのです。非常に理想的なこととして、この箇所に収められております。しかし、ただ単に彼、バルナバの歩みから考えてみて、言えることは、持てる者がその信仰心によって、持てる者がその能力によって、出来ることをそれぞれの人の自由意志で行った、と言えないでしょうか。
 このバルナバの歩み、おそらく最初はエルサレムにおいて、使徒たちの出会うこと、もしかしたら、イエスの教えを聞いたことによって、キリスト者としての道を歩み出したのかも知れません。その人がキプロスにある自らの土地を売って、エルサレム教会の活動を担った。しかしずっとエルサレム教会にその後のいたわけではなく、アンティオキア教会に行き、指導者として働き、パウロの同労者となりました。そして更に使徒言行録15章36節からの記述によれば、パウロと別れてから、自らの故郷であるキプロスへ戻って、伝道したとようです。
 こうしたバルナバの歩み、いわゆる最初の教会の歩みが、理想的な「生活の共有」というものができたかできなかったかという尺度で計るものではない、それぞれの信仰、主なる神への誠実さ、そのイエスの活動の繋がりの中で生まれた群れ、教会への思いのたて方は自由だった、という記録として受け取ることは出来ないでしょうか。

イエスとの旅の続きを
 今日の記事は教会の始まりについて記されている箇所ですが、振り返ってみて、私たちの主であるイエス様は、教会について、どのように歩むべきだ、ということを発言したことはありませんでした。そして使徒言行録に記されている最初の教会における、持ち物や食料の共有、というあり方は、イエスと弟子たちが歩んだガリラヤからエルサレムへの旅にその礎を求めることが出来るのです。
 使徒言行録と同じ記者によって記されたルカ福音書8章1節から3節をお読みします。(P.117)
「8:1 すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。
8:2 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、
8:3 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」

 誰もが出来ることを持ち寄って、イエスの活動は勧められていた記録と言えます。そして、使徒言行録に記されている教会の始まりも同じで、誰もが出来ることを持ち寄って活動が勧められていたのです。教会の歩みは、イエスが天への帰っていく、という悲しい出来事ではじまりました。しかし同時に聖霊が与えられました。だからといって、誰もが同じ働きや同じ考えをもって進んでいたわけではありません。多くの人と人の間のぶつかり合いや失望、絶望がありました。そして、そうした1人1人の思いが、まったく想像もつかない形で、実を結んでいったのです。使徒であるペトロとパウロでさえ、またバルナバにおいても、考えの違いがありました。しかし、それぞれが主なる神から与えられたなすべき業を果たしていく中で、教会の礎が築かれていったと言えないでしょうか。
 私たちはとても弱い存在であります。弱い存在というものは、どうしても強さを求めるものであります。教会に対しても、またキリスト者という存在に対しても、強さを求めていることはないか、と思うことがあります。しかし、そのようなとき、イエスと使徒たちの旅に立ち帰るべきではないでしょうか?ガリラヤからエルサレムへの旅、同じユダヤ人の町とはいえ、まったく異なる価値観の待ちです。さらに異邦人的な価値観で言えば、エルサレムは辺境です。そして更に、その旅に連なるわたしたちを導き手である、主イエス・キリストは、王になると思っていたら、「十字架にかかる」という受難予告をします。さらにその旅は、ユダヤ人たちが歩んだ、エジプトからカナンの地への旅も重なるものです。
 今日の説教題は、「共同体としての教会」とつけました。教会とは、神殿でも無く、始まりのガリラヤでもなく、奴隷として苦しんだエジプトでもなく、カナンの地でもなく、「イエスが導いた旅の中」にあるのではないか、と思います。強さや安定を求めるのではなく、弱いときにこそ強い存在として、弱い立場にあるときこそ、よりイエスが近くにいるのだ、共にいるのだ、という心を信仰に基づいて、それぞれの力を持ち寄って教会としての働きを勧めていくでしょう。同じ教会に連なる信仰の友として、祈り合いながら、今週も、主の導きを求めて、共に歩んでいきたいと思います。

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『最初の証言者たち』使徒言行録13:26-31

2013.04.15(15:05) 200

『最初の証言者たち』
(2013/4/14)
使徒言行録 13章 26~31節

イエスから使徒たちの時代へ
 3月31日にイースターを祝い、4月に入って二週目の礼拝にわたしたちは集っております。今日与えられている聖書箇所は、使徒言行録ですが、新約聖書において、パウロや他の名前が冠せられた手紙を別にして、唯一イエス以後の使徒たちの歩みを記したものであり、同時に教会の始まりについて記された文書であります。使徒言行録には、旧約聖書が「イエス・キリスト以前」、そして福音書が「イエス・キリストの時」、とするならば、それ以後の時、「教会の時」そして、細かくいうのであれば、その始まりの時、始まりの歩みを記した文書であります。使徒言行録は、福音書の一つ、ルカ福音書と同じ著者、同じ教会によって生み出されたものです。おそらく紀元後90年頃に成立したと思われております。そして目的としては、自分たちの日常の教会の現実と、イエス・キリストと弟子たちの歩み、そして十字架と復活を繋げる役割を持たせた、といえるのではないか、と思います。
 ところで、教会は何をするところでしょうか。使徒言行録2章42節には、原始教会の姿が描かれております。(P.217)
「2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
 教会における活動として、ここに四つのことが記されています。
使徒の教え(聖書に記されている神の教えに聞くこと)、相互の交わり(助け合うこと、交流すること)、パンを裂くこと(聖餐を守ること、食卓を共にすること)、祈ること(文字どおり、祈ること)。これらの事柄が教会で行うことであり、今でもそれは変わらない、と言えます。
 そして、3章から28章までの箇所において、エルサレムからどのようにして、キリスト教が、イエスが神の子であり、救い主である、という教えがローマ帝国全土に広がっていったかについて記されています。イエスの一番弟子であったペトロ、そして一番最後の使徒であったパウロ、そしてその他の名も無きキリスト者によって、教会の歴史が始まったことが記されている文書であります。

宣教の二つの側面
 使徒言行録には、キリスト教がエルサレムから、またユダヤ人が住む地域としてのユダヤ地方またガリラヤ地方から、ローマ帝国全土に広がっていったことが記されています。その担い手としては、エルサレムにその活動の拠点を構えていたペトロを代表とする使徒たち、そしてもう一人、新約聖書にその筆による書簡、手紙が数多く収められているパウロが上げられます。
 さらにこの二人によって、キリスト教はユダヤ人に対しても、異邦人に対しても、広げられていったのですが、どちらかと言えば、ペトロはユダヤ人に対して、パウロは異邦人に対して、キリスト教を広めていったと言えるでしょう。そして、当たり前のことですが、ローマ帝国の中には、ユダヤ人とユダヤ人以外の人がおり、ペトロとパウロがキリスト教を宣べ伝えた人数や面積を比較して考えるのであれば、少数のユダヤ人に対するペトロと、それ以外の圧倒的多数の異邦人たちに対するパウロ、という構図が成り立ちます。
 今日の箇所、そのパウロが最初の宣教旅行の途上において、なされた説教として記されている箇所であります。今日の箇所は、使徒言行録13章の冒頭1節には、バルナバとサウロがアンティオキアから宣教旅行に送り出される箇所が納められております。1節から3節をお読みします。
「13:1 アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」 13:3 そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。」
 共にキリスト教宣教を担う同労者として、断食をして、祈ること。原始キリスト教会がユダヤ教の伝統を受け継いでいたことをしめる記述と言えます。そして「二人の上に手を置いて出発させた」というのは、現在の教会では、按手といわれる行為であります。が、教職制度として行われている、というよりも、共にあること、宣教の働きを委託すること、その旅の無事を守る行為として行われていると考えられるでしょう。


伝道旅行の一断面
 そのように送り出されたパウロとバルナバたちです。そして13章自体は、とても短い記述と言えますが、その行間には様々な変化や苦労が忍ばれる記述があります。一つ目ですが、13章の冒頭では、パウロの元々の指導者であったバルナバの名前が順番で言えば、最初になっていますが、13節においては、「パウロとその一行」となっており、代表者が変わっているように考えられます。バルナバという人はパウロの指導者ではあったのですが、異邦人の伝道という活動の中では、パウロの補助者という立場に廻っていたと考えられます。さらにバルナバは、使徒言行録16章において、パウロとは別に活動をするようになっています。おそらくパウロとバルナバでキリスト教宣教に関して意見の違いが生まれてきて、離れていったということでしょう。パウロの異邦人伝道に対する積極性に対して、バルナバはついて行けなかった、ということでしょう。
 また13章1節で「サウロ」と呼ばれていました13章9節において、「パウロとも呼ばれていたサウロ」と一度触れられた後、そのあとは一貫して、「パウロ」と記されています。「サウロ」という名は、最初の王である「サウル」と同じヘブライ語の名前であり、そのギリシャ語読みの名が「パウロ」です。あまり説明されていませんが、この箇所で、パウロと呼ばれるようになってから、バルナバではなく、パウロが前面に出るようになっている。そして、宣教する場も、ユダヤ人たちの居住する地域を離れて、異邦人の居住する場になったということ、このことは名前の変化と同時に起こった、バルナバとの関係の変化とも、偶然のことではなく、意識的に代えられているものと思えます。
 ですから、今日の箇所はある意味で、本格的な異邦人の土地に入って始めた行われた宣教活動であり、同時にパウロが主導する形で初めて行われた宣教活動といえる箇所なのです。

パウロの説教
 そのような流れの中で、パウロは、小アジアにあるピシディア州のアンティオキアという町に行きます。そして、そこのユダヤ教の会堂で行われた説教の後半に当たる部分が今日お読みしました箇所です。聖書の地図では、7番の地図、左上の方にありますアンティオキアで行われた説教であります。パウロは13章16節から25節まで、旧約聖書に記されているイスラエルの民の歴史を振り返ります。
具体的には、出エジプトからバプテスマのヨハネまで振り返った後、26節からイエス・キリストに関する記述が始まります。13章26節をお読みします。
「13:26 兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。」
 この記述から、パウロが語りかけている対象が見えてきます。「アブラハムの子孫」というのは、ユダヤ人の人々。そして「神を畏れる人たち」というのは、異邦人でありながら、ユダヤ教の教えに惹かれて、ユダヤ教の会堂に集っていた人々のことです。パウロはそうした人々に対して、主なる神の救いの道は、イエス・キリストによって示されたことを述べ伝えようとしていたのです。
 27節から30節においては、イエスが逮捕され、裁判にかけられ、十字架につけられたこと、その亡骸が十字架から降ろされて、墓に納められたことが記されています。そして特徴的なことは、それらの事柄の主体者として、「ユダヤ人たち」に行われた、と記されていることです。また、その罪の原因が誰にあるのかということをすべてにおいて曖昧な形に記しているという特徴があります。おそらく異邦人もいるその場において、異邦人に宣教していたパウロの状況にも反映しているのですが、主なる神の意志を知らなかった、という意味においては、ユダヤ人も異邦人も関係がない、ということを示したかった意図からの記述なのでしょう。
 そして、このような記述が続きます。13章30節31節。
「13:30 しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。
13:31 このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。」
 イエスを神の力によって復活したということ、このことを見たのは、使徒たちやその周囲にいた人々でした。第一コリント15章3節から8節の記述によりますと、具体的にこのように人数まで記されています。
「15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」


証言者として
 私がいつも使徒言行録においても、ペトロにしてもパウロの手紙や様々な書簡においても疑問に思っていることがあります。それは、ペトロにしてもパウロにしても、イエスという存在を説明するために、その歩みや教え、奇跡物語ではなく、イエスのいわゆる最後の一週間、その受難と死、そして復活に集中していることです。
 最近、その疑問が解けるかなあ、と思っています。そしてそのヒントとなったのが、今日の箇所13章31節の言葉です。「その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。」証人となっている、というのは、いわゆる「イエスが神の子である」ことを証明する人、という意味です。さきほど1コリント書15章の記述でも触れたように、その人たちは、復活したイエスに出会い、イエスが「死に打ち勝った」ことを見た、ということでしょう。
 しかし、ただそれだけではない、と思うのです。どんなことでも、そうだと思うのですが、たとえどのような立派な教えであったとしても、従うことに対しては、何か保障がなければうさんくさいものです。それはイエスの教えにしても、そうだったのではないでしょうか。しかし最初の使徒たちや名も無き教会の担い手たちは、復活したイエスに出会い、その確証を得たのということではないでしょうか。そして、言うなれば、彼らは、ただ確信を持って、イエスの復活の証言者として歩み出したと言うだけではなく、イエスと共なる歩みを歩み出した、と言えないでしょうか。

教会の歩み
 今日の最後の箇所13章36節から39節にはこのように記されております。
「13:36 ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。
13:37 しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。
13:38 だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、
13:39 信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」

 イエスをダビデと比較して、死に打ち勝ったイエスの永遠性を述べ、またモーセと
比較して、律法ではなく、イエスによって、主なる神に義とされる、と記されています。そして、具体的に「イエスによって義とされる」、ということ、使徒たちや初代の弟子たちはどのようにとらえていたでしょうか?おそらくイエスの教えに従うこと、そしてイエスの活動に連なることが、義に至る道と考えていたのではないでしょうか。
 ここで考えてみたいのは、わたしたちも同じだ、ということです。神に義とされるために、「イエスの道に従っていきたい」という思い。そんな単純な思いが神に義とされることであり、初代教会から今の時代の教会にまで共通する、イエスのメッセージと言えるのではないでしょうか。私たちの歩みは、初代の使徒たちに比べたら、本当に小さな歩みかも知れません。しかし、確かにイエスに近づくためだ、義とされるのだ、という確信を持って、それぞれに与えられている道を歩んでいきましょう。


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周縁自体


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『聖霊が共に働く』(使徒言行録2:1~11)

2012.05.30(06:47) 135

『聖霊が共に働く』
(2012/5/27)
使徒言行録 2章 1~11節

教会の広がり
 今日は、教会の誕生日、ペンテコステです。使徒言行録には、旧約聖書が「イエス・キリスト以前」、そして福音書が「イエス・キリストの時」、とするならば、それ以後の時、「教会の時」そして、細かくいうのであれば、その始まりの時、始まりの歩みを記した文書であります。使徒言行録は、福音書の一つ、ルカ福音書と同じ著者、同じ教会によって生み出されたものです。おそらく紀元後90年頃に成立したと思われております。そして目的としては、自分たちの日常の教会の現実と、イエス・キリストと弟子たちの歩み、そして十字架と復活を繋げる役割を持たせた、といえるのではないか、と思います。
 ところで、教会は何をするところでしょうか。使徒言行録2章42節には、原始教会の姿が描かれております。(P.217)
「2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
 教会における活動として、ここに四つのことが記されています。
使徒の教え(聖書に記されている神の教えに聞くこと)、相互の交わり(助け合うこと、交流すること)、パンを裂くこと(聖餐を守ること、食卓を共にすること)、祈ること(文字どおり、祈ること)。これらの事柄が教会で行うことであり、今でもそれは変わらない、と言えます。
 そして、3章から28章までの箇所において、エルサレムからどのようにして、キリスト教が、イエスが神の子であり、救い主である、という教えがローマ帝国全土に広がっていったかについて記されています。イエスの一番弟子であったペトロ、そして一番最後の使徒であったパウロ、そしてその他の名も無きキリスト者によって、教会の歴史が始まったことが記されている文書であります。

宣教の困難さ(外部的要因)

 しかし、原始キリスト教、原始教会は、キリスト教伝道、宣教は、教会に集っている人々の願い通り、思い通りに広がっていったわけではありませんでした。そこには乗り越えなければならない多くの困難な要因がありました。その一つとして良く知られているのは、エルサレムにおけるキリスト教会への迫害がありました。
 今、「迫害」という言葉を使いましたが、わたしたちが知っているローマ帝国による皇帝や市民による迫害ではありません。この時代においては、キリスト教はキリスト教として、しっかりとした教会組織や教義(教え)があるわけではありません。ですから、まだユダヤ教の分派として、捉えられていた時のことで、キリスト教会自身も、キリスト教という名前を付けられていない時代のことです。ある意味で言えば、子どもが誕生するときの母親の痛みのように、キリスト教がキリスト教たるべき、教会が教会として立っていくために必要な痛みであったかもしれません。
 使徒言行録によれば、初代の弟子たち、最初に生まれた教会であるエルサレム教会の人々は、神殿に行って祈ることを当たり前の事としていました。
そして、その教会にいる人々は誰もがユダヤ人でした。しかし、徐々にユダヤ人以外の人々、異邦人と呼ばれる外国人もイエスをキリスト(救い主)として信じる人々が教会に集うようになってきました。神の教え、神の救いが、広がることは良いことでしょう。しかし、問題はそんなに単純ではありませんでした。
 周囲の人々から、エルサレム教会に対する不審な目が向けられるようになっていきました。何故か?それはユダヤ人と異邦人が一緒に食事をすることに対して、律法違反だ、という謗り、指摘を受けることになったからです。別にユダヤ人と異邦人(外国人)が教会に集まって集会をすることは自由だったでしょう。しかし、一緒に食事をするとなると、それは律法違反に当たります。ですから、教会に不審な目が向けられるようになり、また教会の中においても、ユダヤ人と異邦人の間で、溝が出来てくる。またその流れの中で、教会にいる異邦人たちが迫害されるようになっていった。そして、ついにはステファノという異邦人のキリスト教徒が、ユダヤ人に捕まえられて、石打の刑によって殺されてしまいました。そのことによって、エルサレムにいた異邦人のキリスト教徒は、エルサレムを出て、他の町に行って、集会を行い、教会を建てるようになった。要するに伝道するようになった。最初から広げようと思っていたわけではなく、迫害の結果、教会が広がっていったということができるのです(使徒言行録7章)。

パウロとペトロ(内部的要因)

 また、そうした動きは、外部からの要因だけではなく、わたしたちが良く名を知っている使徒たちパウロやペトロにもあったと言えます。教会の中の民族的な違いが内部的にも様々なぶつかりをもたらすようになりました。パウロの出身教会であり長い時を過ごしたアンティオキアという都市にある教会。エルサレムから北に500km。異邦人ばかりの教会です。異邦人のキリスト教徒も、ユダヤ人のキリスト教徒もいます。そして、そこではエルサレム教会において、問題となったユダヤ人と異邦人の食事も行われていました。パウロはその教会で指導者として働いており、ペトロも滞在していました。そこである事件が起きました。これはガラテヤの信徒への手紙2章11節から14節で、パウロが昔の話として、記していることです。
 あるとき、エルサレム教会からある指導的な立場にある人々がやってきました。そしてアンティオキア教会の人々は一緒に食事を取っているときでした。すると、ペトロがその席から立ち去ってしまいました。そして、その他のユダヤ人たちもその食卓の席から立ち去っていきました。そしてパウロはそのことに怒りを覚えて、ペトロに食ってかかってこう言いました。(P.344)
「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」
 パウロとしては、そうとう感情を害して、頭に来ていたでしょう。パウロ自身、キリスト教とは、そうしたユダヤ人と異邦人の違いを乗り越えるものだ、という強い思いがありました。たとえ、それがユダヤ教の律法であったとしても、キリスト教の教え、たとえば聖餐式が洗礼によって、救われた人々が誰でも受けられるように、一緒に食卓を守ることは当たり前の事、民族や風習を超えて、隣人愛、許し合いなさい、という教えを基にして、とても教会において重要なことだと思っていたと思われます。
しかし、それが第一の使徒とも言えるペトロによって、その食卓の場が完全に破壊されてしまう。頭に来ないはずがありません。また、深い裏切りと感じたでしょう。
 エルサレム教会から来た人々。ユダヤ人と異邦人は一緒の食卓の席に付くなど、とても想像することも出来ない人々です。そして、どんな教会においても、そうあるべきだ、と考えていました。そして、もしも異邦人とユダヤ人が一緒に食事を取るようなことがあったとしたら、とても同じキリスト教と認められない、というぐらいの考え方であったのではないでしょうか。ペトロはそんな人の思いを知っていて、席を立ったのでしょう。ここでエルサレム教会の人々が感情を害したら、教会の繋がりが壊れてしまう、そんな思いがあったのではないでしょう。
 ペトロの考え方は、中庸な考え方、両者の真ん中の考え方と言えるでしょう。エルサレム教会において行われていること、ユダヤ人だけによる食事はそれとして受け入れる。そして、アンティオキア教会において、行われていたユダヤ人と異邦人が共にする食卓も受け入れていました。しかし、エルサレム教会の人々がアンティオキア教会にやってきたとき、ペトロはエルサレム教会の人々の考え方を知っていたので、つい食卓の席から身をひいてしまったのでしょう。
 パウロも怒るかも知れない、と思っていたでしょう。そしてエルサレム教会の人々も怒るかも知れない。どうするでしょうか?2人とも大好きな人たち、しかしどちらとも頑固で、しっかりした考え方を持っている。どちらかにつかなければ関係が壊れてしまう。すごい緊張感であったのではないでしょうか。そして最終的にペトロは席を立ってしまう。エルサレム教会の人々に対して、違和感を持ちながらも、仕方が無い、と感じた、とも。パウロだったら赦してくれるかも…、という思いがあったのか。どちらかでしょう。
 で、そのことを切っ掛けにして多くのユダヤ人たちが席を立ち、その場は大混乱に陥ったでしょう。第一の使徒であるペトロが席を立ったのですから。パウロはペトロの行動に対して、怒りをあらわにする。パウロが信頼していた仲間もペトロの行動に従ってしまう。パウロはおそらくこのことによって、アンティオキア教会における自らの立場を失ってしまい、同労者である人々とも考え方の違いを目の当たりにし、傷ついて、宣教の旅へと旅立ちました。

ペンテコステという出来事

 今日は、教会の誕生日、ペンテコステです。今日お読みしました記事には教会が、イエス・キリストが天に昇った後、聖霊が降臨することによってはじまった、と記されております。今日お読みしました箇所をもう一度お読みします。使徒言行録2章1~3節をお読みします。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」
 「激しい風」とは霊を感じさせます。ヘブライ語における「風」をさす言葉「ルーアッハ」は霊と共に「風」をさす言葉で霊が降りてきたようですが、これは神の力の働きがここに起こった印と読んでも良いでしょう。神の力が現れ、「炎のような舌」がここに降りてくるのです。

そして、4節をお読みします。
「2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
「ほかの国々の言葉で話しだした」。聖書の中には、この出来事とまったく同じ事柄でありながら、全く逆の評価を得ている出来事があります。「バベルの塔の物語」です。言葉が通じなくなって、同じ価値観、同じ目的を持つことが出来なくなってしまった、と言えるのではないでしょうか。スポーツがチームによって別れてしまうように、敵同士になるというよりは、目指すべき山が代わってしまった。そういうことが起こったのでしょう。が、使徒言行録において、まったく同じことが起こっているのに、まったく逆の動きをしています。6節から8節をお読みします。
「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」
 二つのことが言えると思います。バベルの塔においては、ただ言葉が通じなくなった、と記されている。しかし、ここでは、それぞれの人が「自分の故郷の言葉」を聞いた、となっている、積極的な意味になっていることです。そして、これらの地域は、エルサレムの周囲の地域であり、これからキリスト教が広がっていく地域と言えます。

聖霊による和解
 聖霊による導きを考えるとき、人の意志を超えて、働くということを意識することが重要でしょう。使徒言行録に記されている、教会の広がりの物語は、人の思いそのままに神の導きそのままに広がっていったとは言えないのです。使徒言行録の著者は、そうしたぶつかり合いをなるべく書かないようにしているのですが、多くの考えの違い、多くの人と人の間のぶつかり合いや失望、絶望がありました。そして、そうした1人1人の思いが、まったく想像もつかない形で、実を結んでいったのです。
 そして、そうした動きの基に聖霊の働きがあった、ということが出来るのではないでしょうか。使徒であるペトロとパウロでさえ、考えの違いがありました。また、パウロの伝道旅行は、ペトロとの争い、教会内における不一致がもたらした、と言えます。またパウロはこうした対立、意見の違いがありながら、経済的に困難な状況にあったエルサレムへ献金を届ける活動をすすめます。なぜなしえたのでしょうか?その根底に、まさに聖霊の導きがあったのではないでしょうか。他の様々な名も知れないキリスト教徒、宣教者の働きも同じで、人の意志では理解することが出来ない聖霊の働きによって、導かれたということはできないでしょうか。
 今日は、教会の誕生を祝う日であります。そして、その時、聖霊が私たちに下ったと聖書には記されています。聖霊とは主なる神が、旧約聖書に記された「遠くにあり、あがめられる神」とも異なり、そしてイエスという形を取られた「先を歩まれる神」とも違う、「わたしたちの間にあって」「共にある」神として現れました。
 そして、わたしたちが自分の意志に頑なになっているとき、聖霊は、その頑なさを打ち砕いて下さる神さまではないか。教会の始まりには、様々な意見の違いや軋轢がありました。そして今も様々な形で教会は課題を持っております。一つ一つの教会においても、個々の教団や教派においても、世界の教会においても、同じでしょう。しかし、そうした課題があるからこそ、わたしたちである、と言えます。
 また、そうしたわたしたちだからこそ、神の導き、聖霊が共にあることが必要ということはできないでしょうか。常にどのような状況においても、絶望することなく、聖霊による和解、導きを求めて歩んでいきたいものです。今日はペンテコステです。聖霊が与えられたことを思い起こしましょう。そして過去も現在も、また未来においても、わたしたちを導いてくださる主なる神の御力を信じ、これからも歩んでいきましょう。


周縁自体


使徒言行録
  1. 『分裂が和解に、終わりが始まりに』(使徒言行録2:1-11)(05/17)
  2. 『共同体としての教会』使徒言行録4:32-37(06/23)
  3. 『最初の証言者たち』使徒言行録13:26-31(04/15)
  4. 『聖霊が共に働く』(使徒言行録2:1~11)(05/30)