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絶望から希望へ:河田昌東さんの講演

2011.09.24(17:51) 100

9月19日から21日は、卒業した神学校、農村伝道神学校の同窓会の研修会ならび総会でした。

その中で、チェルノブイリ救援・中部で活動されている
河田昌東さんの講演がありました。

「絶望から希望へ ~ナロジチ菜の花プロジェクト~」と題された講演で、
現在の福島県の状況、何をなすべきか、どこまで出来るのか、
そして食品における内部被曝について、
内部被曝によってもたらされる病、
土壌汚染によって食品がどのぐらい汚染するのか、
汚染しやすい作物やしにくい作物、
またその栽培方法など…が語られた。

(一息ついて)

そして、チェルノブイリ原発事故被災地において、
実際に進んでいる除染作業や放射性物質とどのように共存するのか、
土壌汚染されたナタネによって採取した油や
メタンガスによるエネルギー開発などを語られた。

本当に盛りだくさんの内容であったが、
講演と質疑応答を合わせた2時間半の時間はあっという間でした。

河田さんは、講演の冒頭、
「自分たちはチェルノブイリの被災地にずっと関わってきたが、
そんなわたしたちの想定を超えて、福島の汚染は想像以上であった」
という趣旨のことを語られたが、その言葉の重さに
潰されそうな気持ちになったが、
そうした状況の中においても、
具体的に、知恵を持って生活、活動していくこと、
その大切さと方向性を示されたように感じた。

まさに講演の題名のとおり
「絶望から希望へ」の道を示された時となった。

ビデオを撮ってきたので、何らかの形で分かち合いたいと思っています。

DSC_0248.gif
講演が行われた農伝の礼拝堂です。


また、河田さんの活動を記された著作が発売されたので、紹介しておきます。

チェルノブイリの菜の花畑から~放射能汚染下の地域復興~チェルノブイリの菜の花畑から~放射能汚染下の地域復興~
(2011/09/22)
河田 昌東、藤井 絢子 他

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核問題について-六ヶ所村に行ったとき/小泉金吾さん-

2011.04.09(14:38) 84

10年ほど前、神学生(牧師になる勉強中)だったころ、
六ヶ所村に行ったことがある。

そのときは、まだ再処理工場が動き出す前(現在も試運転中だが)であった。
そして、PRセンターに行き、そして再処理工場内を見学した。
オートバイで走っていったが、地平線の向こうに見えた、
森のように乱立していたクレーンが不気味に感じたことをよく覚えている。

そして、長く核燃サイクルの反対運動に関わっておられる
八戸北伝道所の岩田雅一先生と共に、
反対運動に従事してきた小泉金吾さん宅を訪ねた。
そこでのやりとりは、とても強烈であった。

小泉さん「どこから来た?」
わたし「東京です」
小泉さん「なんだと!どの面下げてやってきたのだ!」

いきなり初対面で東京から来たということだけで罵倒され、
そこから延々30分ぐらいは、罵倒されながら、
再処理工場のこと、むつ大規模開発のこと、自らの歩みを話された。

(岩田先生は隣で笑いながら聴いていた。
おそらく東京から来た人間は誰もが罵倒されたのだろう)

そして、その罵倒には、電力会社や行政に対する言葉にならない怒り、
やり場のない感情が込められていたのだと想う。
そして、都会に住み、その恩恵を甘受していながら、
何も知らない青二才への優しい言葉であったと思う。

今になって当時の小泉さんの家が立っていた風景を思い出してみると、
その怒りと悲しみの深さを感じることがある。
小泉さんの敷地以外は、まるっきりの荒野となっており、
道を挟んで神社が建っていたが、それ以外には、全く何もないのだ。

再処理工場から遠く離れていた土地であったが、全く何もない荒野。
大規模開発、再処理工場のために農村共同体が壊された姿であった。

当時は気がつかなかったが、小泉さんの歩みから考えてみると、
多大な苦労をして入植したことに思いが至る。
水を引き、田畑を耕し、生活の基盤を築いていった。
そして、その時には夢や希望を共有した仲間たちもいただろう。
しかし、突然、再処理工場と大規模開発がやってきて、
誰彼とも仲間は去っていき、周囲は荒野と化していき、
小泉さんの家と土地のみがそこに残っていたのだ。

小泉さんは昨年8月に亡くなった。
今は息子さんがその意志を継いでいる。
(調べていて、今はじめて知ったが…)

小泉さんの歩みから感じるのは、小泉さん自身の
心の強さと意志の明確さであった。
そして、原子力・核の危険性も当然だが、
核開発、国家の計画として進められた開発という名の多数の傲慢な意志が
少数者である村を破壊すること、人の間を破壊するということであった。

小泉さんが福島原子力発電所の事故を知ったら、なんと言ったであろうか。
怒りではなく、悲しみであっただろう。


書評『聞き書き 小泉金吾 われ一粒の籾なれど』
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200710041534194


息子さんのインタビュー
http://teledyski.lastinn.info/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E9%87%91%E5%90%BE/


<六ヶ所村を訪問して>竹迫之
http://homepage3.nifty.com/Maki-Organ/photo-diary-99rokkasyo2.htm
勝手にリンクを張らせてもらいました(すみません)

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斉藤和義はロックです。

2011.04.07(17:18) 81

この映像がYoutubeにアップされていたのだが、
突然削除された。

ネット上では、総務省が出した要請が関係しているのでは、
言っているが、どうなんだろう。
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban08_01000023.html

どう思われます?



この映像も消えてしまうのかな。

周縁自体


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核問題について-立ち位置が問われる

2011.04.07(09:33) 80

3月11日に東日本大震災が起こって、さらに福島原子力発電所の事故。
いろいろなことが頭を巡ってブログ更新サボってました。めんご。

~~~~~~

この間、いろいろなことを考えていたが、Twitterなどではつぶやいていたが、
散文レベルでしか、なかなかまとめられなかった。
それは原子力発電所の問題が大きいから、と感じていたが、
なんだかんだ否定的な言説を拒否される空気が怖かったからだろうと思う。

また先日、日本基督教団神奈川教区にある核問題小委員会の会議で
抗議文を提出することになったのだが、そこでも意識されたのは、
集約すれば、誰と何を共有するのか、ということであった。

反原発なのか、脱原発なのか、
事故に対して「警告を聴かなかったから」と批判者になるか、
「生活が破壊された」と被害者になるのか、
「原発を容認してきた」加害者になるのか、
「他にエネルギーがあるのか」と現実主義者になるのか、
誰もがそうした感情を少しずつ持っているはずだ。
しかし、言葉を綴るときには、どこか決めなければならない。

これを言ったら、他のことは言ってはならない空気。
核の問題に関して「立ち位置を決めなければならない」。
そうしたある種の空気、強迫観念が、日本を覆っているのではないだろうか。

別にその「立ち位置」がころころ変わっても良いのだろうと思うが、
不思議と原子力政策に関する言葉は、それが問われてくる。

様々なブログにしても呟きにしても、そんな空気を
疑ってみても良いんじゃないか、と感じている。


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核問題
  1. 絶望から希望へ:河田昌東さんの講演(09/24)
  2. 核問題について-六ヶ所村に行ったとき/小泉金吾さん-(04/09)
  3. 斉藤和義はロックです。(04/07)
  4. 核問題について-立ち位置が問われる(04/07)