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日本基督教団終了~

2010.10.28(20:26) 64

火曜日から3日間の日程で行われていた
教団総会が終わって、昨日、帰宅しました。

記録としての内容は、このブログ(ようこそ川崎教会へ)で読めます。
(注:総会に関する記事の掲載は、10月31日一杯まで)

今回の教団総会は、当初の予想通り、というよりも予想以上にひどかった。

1日目の冒頭、教師の解職に関しての議案も
教憲教規に違反しているという理由で、上程もされず否決。
しかし、3日目では、実質的改憲の内容なのに、
副議長の都合の良いように、議案が分割され、上程されて、可決。

聖餐の執行方法により当該牧師は免職の戒規を受けていますが、
教区としても議員として認めているのに、受け入れない。
それに関する異議は聞かない、ということでしょう。
その一連の手続きに関しても、多くの疑義が提示されているのに、です。
また教団として多大な人権侵害を犯してしまいました。
教団にとって聖餐と教憲教規は、人一人の存在(命)よりも大事なようです。
 (暴言かも知れませんが、すみません…)

さらに選挙も全数連記。
説明しますと、400名の議員から
27名の常議員(教団内における国会議員のような存在)を
選ぶのに、400名が27名の候補を記すというやり方です。
ようするに、51%の人が同じ名簿に記された
27名を記せば、51%の人の意向に従った、
27名の代表者会議が出来上がるということです。
49%の人の意志は無視できます。

もうむちゃくちゃ。
法も民主主義も倫理観さえありません。
本当に何も出来なかったことを口惜しく思います。

まあ、しかしこんな異常事態も
裏の政治状況を考えてみると、容易く理解出来ます。
一方が対話をしようとしても、他方が切り捨てようとしていれば、
そんな対話は成り立ちません。

そのうち、全部書きたいですね。

本当に教会の会議というのには、とても恥ずかしい教団総会でした。

教団総会が終わったのではなく、
これまでの日本基督教団が終わったのでしょう。

合同教会ではなく、教派教会へ。
各個教会に仕える教団ではなく、各個教会を従わせる教団へ。

新しい日本基督教団のこれからの2年間に
主なる神の導きと憐れみがあることを祈ります。


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本当に独り言(来週は教団総会)

2010.10.19(09:22) 61

 来週は、小田原教会が所属する日本基督教団というキリスト教組織の総会。本当にマニアな一部の人しか興味がない話題ですが、独り言なので、ご勘弁を。

 とりあえず、荒れるであろう。いろいろな声が聞こえる。「教憲教規を守れ」「会議制を守れ」「議論をしよう」「建設的意見を求める」「奇跡を願うしかない」「これで分裂」「勝つ」「負ける」…。昨日も地区の牧師会で、教団総会の話になり、閉口してしまった。どう想像してみても、希望的な結論が出てこないと思うからだ。そして、この想像は、あくまで「想像(シミュレーション)」であり、「創造(クリエーション)」ではないところが私の弱さ…。突然、イエスが会議場に現れて「平和を」と言ったら、会議が収まるだろうか。おそらく、そんなことはないだろう。
 有意義な結論が初めから期待できないとすれば、莫大な費用を使ってまで、開催する意義があるだろうか、とも思う。しかし、今の状況でそれをしてしまえば、一方の意見を採用することになり、対話が成立しない状況とは一方の暴力的な行為を追認することとなる。
 今、日本基督教団に問われていることは、聖餐の問題などではない。教会とは何か?ということである。教会とは何か?一つ一つの教会もそうであろうが、違う存在同士を受け入れ合うことから始まるのではないだろうか。日本基督教団の最高議決機関において、何が行われるかは、日常的な各個教会のあり方に、すぐには影響しないであろう。だが、10年後20年後の教会を考えたとき、その影響は計り知れない。今、何が必要なのか?何をすべきなのか?を考えたい。また行動できるものならしてみたい、と思う。




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荒野の声(4703号)/電車ネタ

2010.08.05(07:37) 38

 日本キリスト教団には、『教団新報』という広報があるが、新聞にはよくある「天○人○」のようなコラム欄「荒野の声」がある。今号(4703号)は、電車ネタ。大きな荷物を持った、ご年配の方がおられるのに、譲らない若者たち。優先席で、携帯のメール、ゲーム、会話中…そして、締めとして「電車の中では電車のルールを守らなくては、切符があっても電車に乗る資格はない」…。どうでも良いだろうが、わたしの知っている某牧師は、連れ合いが妊娠中「どなたか席を替わってくれませんか?」と満員の電車内で発言し、3名の方々の重い腰を上げさせた。そして、連れ合いは乗客の好奇の視線を一身に受け、その一つへと座らせていただきました。(その節はお世話になりました)
たしかにルールは守らなければならない。しかし現実社会の中での問題は、そうした言葉を躊躇させる「人間関係の希薄さ」にあるのではなかろうか。そういうところを見つめなければ、単なる個人の愚痴にしかならない。キリスト教会、日本キリスト教団の広報としてはどうなの?というのが素直な感想。そして強く感じるのは、わざわざこんな文章を載せる必要があるのだろうか、ということ。7月31日号と言えば、多くの教会では「平和聖日」が意識される時期。新報の主筆としてどうなんだろ。(誰も読んでいないか、あきらめているのかクレームもつかないだろう)
今を表しているのか、だいたいのネタで言いたいことは「ルールを守れ」ということ。教団では未受洗者への配餐を認める「オープン聖餐」を巡って、ある教師が退任勧告、免職処分という処分を受け、その扱いを巡って紛糾している。一方からはルールという言葉、一方からは、教会はなんたるか?という言葉。その枠付け自体、どうなの?と感じる。教会に来る人の大多数は教会員で、それ以外の人は、いるかいないか、というのが多くの教会の現状であろう。考え方はいろいろあるが、そんな議論をしている時間があるのだろうか。もっと大切なことがあると思う。
(※ 日本基督教団の公式サイトが存在しますが、更新が遅いので、原文は掲載されていません)

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