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為政者の思考

2015.11.21(22:10) 303

為政者は自らの選択によって、
自国民が犠牲となったということに
目を向けようとはしない。

そして、具体的に自国民(兵士)が傷つき、
亡くなるリスクが高い地上戦は、
自国民の批判に晒されやすく、
選択には大きなハードルがある。

科学技術が進んだ現代において、
為政者たちは、自国民が犠牲となりにくく、
批判を受けにくい空爆やミサイル、
またドローンによる攻撃を選択する。

しかし、国籍や民族性を問わない視点で見てみれば、
同じ人であり、同じ犠牲者は生まれるのだ。
そしてまた、その犠牲を基に「悲しみ」や「恨み」が生まれ、
国民の将来的な不安的さは増大することになる。

為政者はこう考えているのだろう。

自国民の犠牲者の数は、自分の選択の基盤にあり、
何もなさないことは自らへの批判に比例する。
そして爆撃に晒される犠牲者の数は
自らの正しさと支持に比例する、と。

だが、根本的として考えたいのは、
彼ら為政者の自己都合な選択によって、
恨みは増大し、戦争は拡大し、
人の生命が危険に晒され続けてしまうことだ。




(ひさびさに投稿)

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現代における戦争についての雑考(6)ー無差別爆撃(空襲)をどう捉えるか その2ー

2015.08.15(18:47) 302

現代における戦争についての雑考(6)
ー無差別爆撃(空襲)をどう捉えるか その2ー

 空襲には、国際法上や戦時協定みたいな形で様々な理解の仕方があると考えられています。また、日本の戦争責任を考えるとき、重慶爆撃は適法であった、東京大空襲、広島、長崎への原爆投下は違法であった、など様々な捉え方がされ、それがまた議論の火種となっています。また、日本においては、いわゆる軍人であった被災者には恩給が支給されるのに対して、一般の人では、空襲などで被災、傷病を負ったとしても、何も支給されていない、ということで国相手の裁判もあります。また当然のこととも言えますが、無差別爆撃(空襲)という戦法を用いたアメリカに対する批判もあり、その責任に対して謝罪などの行動を取るべきだ、という主張もあります。
 が、なぜアメリカが空襲という戦法に取るに至ったか、ということをあまり考えてこなかったのではないか、と思うのです。そして、そんなことを感じたのは、アメリカ軍が上陸し、過酷な地上戦が戦われた沖縄戦におけるアメリカ軍の多大な被害がそうさせたのではないか、と感じるからです。(そのうち、時間があれば調べてみたいのですが)

 沖縄戦における犠牲者の数を調べてみた。(Wikiより)
県外出身者死者・行方不明者 65,908人
沖縄県民死者・行方不明者 122,228人
(内民間人死者 94,000人)
アメリカ軍死者・行方不明者 14,006人
イギリス軍死者 82人
アメリカ軍戦傷者 72,012人

 アメリカ軍にとっては、沖縄戦は第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)における最大級の犠牲者を生み出した戦いであったと言われる。また、日本側も、本土決戦(ヤマト)の準備のための時間稼ぎのための捨て石と考えられたため、兵士にも一般人にも多くの被害が出た。そして、その後、本土への空襲が始まるのだが、日本中にもたらした空襲には、沖縄戦における日本軍の戦い方が影響をもたらしたと感じている。
 たとえ一般人に対する空襲が違法であり、人道上許されない行為だとしても、沖縄戦のように、兵士が一般の人々に紛れて戦闘を行うような状況が続けば、当然、一般人も戦闘員であるとして、空襲という戦法を行使する意見を後押しするのではないだろうか。たしかに、沖縄戦は、本土に対する攻撃を遅らせる効果があったかもしれない。しかしアメリカ軍の戦法として、空襲という戦法を選択させてしまった。多大な犠牲を生み出したとしても、早く終わらせるためであった、という理由によって原爆投下と同じように正当化されるであろう。
 また東京大空襲によって10万人への被害が出ても、多くの都市における空襲によって多くの被害者が出ているのに、降伏して戦争を終わらせる選択を取らなかった戦時中の日本政府の選択と相まって、多大な犠牲者を生み出す要素となったと言えないだろうか。

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現代における戦争についての雑考(5) ー無差別爆撃(空襲)をどう捉えるか その1ー

2015.08.15(10:40) 301

現代における戦争についての雑考(5) 

ー無差別爆撃(空襲)をどう捉えるか その1ー

 戦後の日本において、戦争の記憶を語るという場合、空襲といった被害に関して語らされる場合が圧倒的に多い。戦後70年が経ち、終戦当時20歳であった人も90歳になっている時の隔たりの中において、戦争を語る場合、10代の頃の戦争の記憶といえば、戦場の記憶、前線の記憶ではなく、一般人として子どもとして攻撃された記憶が多くなるのは自然の事と言える。たしかに空襲の記憶は痛ましく、先日、名古屋の空襲の現実を描いた漫画を読む機会があったが、そこに描かれている現実も胸に突き刺さるものであった。

あとかたの街(Amazon)

 しかし、空襲という戦術、戦法を対する批判はあまり聴かないのでは無かろうか。現代においては、当然、批判されることとして認識されている。しかし、アジア太平洋戦争中の空襲については、「戦争は悪い」「戦争は悲劇」といった大きな言葉によって、その背景にある問題性を覆い隠してしまっているように感じる。例えば、世界最初の戦争における一般人に対する無差別爆撃はどこでいつ行われたものであろうか。誰もがあまり知らないだろうが、その事柄事態については、ある絵画、ゲルニカという絵画によって良く知られているが、1937年スペインのゲルニカにおいて行われたゲルニカ爆撃である。そして、第二次大戦中、日本軍も中国の重慶に対して、1938年から1943年に渡って継続的に無差別爆撃を行われた。

(続く)

gnc101.jpg

(詳しくは以下のリンク参照)


空襲ーWikipediaー

ゲルニカ爆撃ーWikipediaー

重慶爆撃ーWikipediaー



追伸:戦後70年を迎えた終戦記念日。昨夕の70年談話、わずかな期待をしていたが、やっぱり失望モノの代物でしたが、やっぱりそれが今のソーリの限界なのだろう、と思いましたが、同時に長々と記された談話は単なる言葉ではなく、歴史観を含んでいる点は気を付けない、といけないだろう。

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現代における戦争についての雑考(4) ー近代化と総力戦ー

2015.08.13(10:10) 300

現代における戦争についての雑考(4) 

ー近代化と総力戦ー

 近代化によって戦争はそれまでとは大きく変化した、と言えるのではなかろうか。例えば、情報社会の進展は国民国家の基盤となった、と言えるであろう。新聞は、人の繋がりの基準が民族や地域であったものを、国単位に移行させた、と言えないだろうか。第一次世界大戦は主にヨーロッパ大陸を戦場にして争われた戦争であった。国境線を接する国家と国家同士が戦争するというとき、それまでに培ってきた互いの文化や言語、民族に対する反感が増大する。それは人個人としての利益が、国家としての利益と同一化し、敵とされた国家の持つ文化や言語、そこに所属する個人にまで憎しみの対象となる。
 また、そうした個人の感情をより突き動かすようになったのは、戦争における戦略の変化と言えるであろう。第一次世界大戦では、主な戦場がヨーロッパであったため、前線と一般市民の生活の場がとても近いところにあった、という特徴があると思える。手紙で具体的な戦場の状況が兵士たちの家庭に容易に伝わった、ということがあった。そして、その逆に戦争の激化は、生活物資の困窮をもたらした。こうした現象も鉄道や自動車などの運送技術の発展がもたらしたと言えるであろう。
 政府としては、そうした物資の困窮の責任主体として、市民から攻撃されることを避けるため、マスコミ(新聞)が利用した。戦争に勝てば、生活が楽になる、兵士(夫や父)が帰ってくる、そのために耐えよう。前線の兵士たちと共に戦おう、というスローガンである。そして、そうした状況を国家の「総力戦」という状況を生み出していった。日本におけるアジア太平洋戦争末期、「欲しがりません。勝つまでは」「銃後の守り」「一億総玉砕」といったスローガンに繋がる萌芽がここに生まれた、と言えるのではなかろうか。

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  名古屋駅東口の空

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現代における戦争についての雑考(3) ー 戦争ではなく、虐殺では?ー

2015.08.04(22:18) 299

現代における戦争についての雑考(3) 
ー 戦争ではなく、虐殺では?ー

 クリスマス休戦について、興味を持ったのは、双方の兵士たちが個人意志によって、クリスマスということで戦闘を休止し、交流した、ということ。そして、それを軍隊の命令によって禁止した、ということである。第一次世界大戦は1914年に始まった。現在より100年前の話であるが、いわゆる近代化が大きく進んだ時代でもあった。
 兵器の大幅な発達によって、個人単位の戦闘が基本であり、個人の能力によって左右された戦争は、圧倒的に兵器や戦略に左右される戦争に変化したであろう。拳銃の発展、戦車の登場、大砲、毒ガス、航空機による戦闘など。それまでの戦争とは大きく変化した残酷な戦争の姿が登場したのでは無かろうか。西部戦線において、絶えず続く緊張感の中において、ドイツ軍の兵士たちもイギリス軍の兵士たちも精神的に疲弊しきっていただろう。
 また、それはただ単に戦闘が激しかった、というだけではなく、近代に現れた兵器の発展によって、戦争は人と人との「戦闘」ではなく、互いの「虐殺」という事態が現れた、と言えないだろうか。そうした状況の中で、「戦闘」に対する何とも言えない虚無感に襲われていたのではないか、と感じる。自らの家族や国を守るため、という思いに基づいて、闘いへと向かっていったであろうが、それを潰しても余りある現実に誰もが押しつぶされていった。そんなところに起こった奇跡がクリスマス休戦であったのだろう。

1508bang.jpg
 ※ 記事内容とは、まったく関係ありません

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  1. 為政者の思考(11/21)
  2. 現代における戦争についての雑考(6)ー無差別爆撃(空襲)をどう捉えるか その2ー(08/15)
  3. 現代における戦争についての雑考(5) ー無差別爆撃(空襲)をどう捉えるか その1ー(08/15)
  4. 現代における戦争についての雑考(4) ー近代化と総力戦ー(08/13)
  5. 現代における戦争についての雑考(3) ー 戦争ではなく、虐殺では?ー(08/04)
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