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『罪の重さと愛の大きさ』(ルカによる福音書 7:36~50)

2017.06.18(20:22) 350

『罪の重さと愛の大きさ』
(2017/6/18)
ルカによる福音書 7章 36~50節

罪とは何か —ユダヤ人にとって—
 こんな想像をしてみてください。キリスト教の神さま、またはイエスの愛の大きさを示すとして、どの「逸話」や「たとえ」を紹介するでしょうか。旧約聖書、新約聖書には、数多くのお話は数多くあります。しかし、イエス様や神さまの愛の大きさを表すのに、ふさわしいお話とふさわしくない話があるでしょう。例えば、アブラハムに対して、イサクを捧げなさい、という話。愛の深さというよりも、神の愛の厳しさをしめすものと言えるでしょう。他の創世記の物語においても、関係の強さを強調する事はあっても、愛の大きさという感じはしないのではないでしょうか。
 また、出エジプトの一連の物語においては、神の力の大きさということができるでしょう。またダビデの物語にしても、預言者たちの物語にしても、そのように言えるでしょう。ただ、神がイスラエルの民に対して、ユダヤ人たちに対して、愛を注ぐ理由として、その力の強さではなく、イスラエル民族、ユダヤ人たちの弱さ、民族としての小ささに根拠を置くところに、神の愛の大きさがあるということはできるかもしれません。

罪とは何か —ユダヤ人にとって—
 また、新約聖書におけるイエスにおいても、その弱さや小ささを愛の根拠とするところはつながっている、同じである、と言えます。ただ、旧約聖書においては、ユダヤ人全体が弱き存在として、愛の対象でありましたが、それが変わっています。新約聖書、イエスが登場する福音書における弱さとは、ユダヤ人として不完全な存在、ユダヤ人の中において「罪人」と呼ばれるような存在、となりました。そしてイエスという神は、ユダヤ人として不完全な存在、罪人と呼ばれるような人に働きかけ、訪ね求める存在、神となりました。福音書によって、そのとらえ方や強調点は、微妙に異なっていますが、多くの場合、イエスが示した神の愛は、律法において、ユダヤ人として不完全な存在に愛を注ぐという革命が起こった、または逆転的に描いていると言えます。
 有名な例えを二つ、取り上げて、そのことを考えてみようと思います。一つは、マタイによる福音書20章1節から16節。ぶどう園の農夫のたとえです。あの喩えにおいて、注目すべき点は、朝から働いていた人たち、1番長く働いていた人たちが、自分たちにも、短い時間しか働いていない人にも、同じ賃金を支払った主人に対して、文句を言い、それに対する、主人の回答に強調点があります。マタイ福音書20章13節から15節。(P.38)
「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』」(マタイ20:13-15)
 そして、もう一つ、ルカによる福音書の放蕩息子のたとえです。あの喩えにおいても、重要なのは、最後の部分です。大きな愛によって財産を食いつぶしてしまった弟の帰宅を、歓待した父に対し、不平を述べた兄に対する父の言葉です。ルカ福音書15章25節から32節。(P.139)
「15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
 これら二つの喩え、とても有名です。そして、共通しているのは、神の罪深い存在に対する愛と、その愛に対して妬む存在です。
そして、もう一つ律法という尺度、ユダヤ人という尺度であります。ぶどう園の労働者のたとえにおける労働時間の違いは、ユダヤ人としての正統性や罪の大きさに関わります。放蕩息子に於ける兄と弟の関係もそうです。「罪深い」存在が正しいとされる人と同じような扱いをされたらどうでしょうか。「正しい」と思っている側は当然、怒りを感じるでしょう。私もそうです。しかし、神さまは「罪深い」存在であろうと「正しい」存在であろうと、同等に愛してくださる、また、むしろ罪深い存在こそ強く愛してくださる、というところに神の愛の大きさがあるというのです。
 しかし、これらの喩えを、異邦人が聞いたら、どう感じるでしょうか。確かに、神さまの愛の大きさを受け取ることはできるかもしれません。しかし、その逆転、罪人こそより大きく愛する、ということは伝わらなかったのではないでしょうか。そして同時に、イエスがなぜユダヤ人の中において、より罪が深いと考えられている人に向かったのか、は伝わらなかったのではないか、と私は想像しています。

罪とは何か —異邦人にとって—
 今日の箇所は、マルコ福音書に並行箇所がありますので、比較のためにお読みしたいと思います。マルコ福音書14章3節から9節。(P.90)
「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」」
 ルカとマルコの違いを確認します。マルコにおいては、イエスの油注ぎは頭への注ぎであり、ルカは足であります。面白いことに、対話者はシモンという同じ名前です。また、マルコにおいては、イエスの受難、イエスの死の準備として、油注ぎが行われるのに対し、今日の箇所、ルカにおいては、この「罪深い女」の赦しについて、興味が注がれています。ルカによる福音書7章39節から43節をお読みします。
「7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。
7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。
7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
7:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」
7:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。」
 罪の赦しに説明するのに、具体的な貨幣を用いて説明しています。1デナリオンは、1日の賃金とされていますが、50日分の賃金の借金と500日分の賃金を帳消し、チャラにしてもらったとしたなら、どっちがより赦されたのか、愛が大きいのか、という話です。どちらかと言えば、より借金が大きい方です。そしてこれは同時により罪が深いか、という話なのです。そして、このような説明をルカ福音書では、よくされているのです。

ルカ福音書においての神の愛
 ルカ福音書は、異邦人に対して、福音を宣べ伝えることに力点が置かれている、と言われます。その場合、問題となるのは、律法をしらない人に対して、神の愛の大きさ、その特徴をどのようにのべ伝えるのか、ということであったと思います。先ほど、二つのたとえを取り上げました。ぶどう園の農夫のたとえにしても、放蕩息子のたとえにしても、律法を生活の基盤としていたユダヤ人であるとか、律法を知らない異邦人であるとかという違いを超えて、伝わりやすい特徴を持っていたでしょう。しかし、律法を知らない異邦人に、イエスが宣べ伝えた神、キリスト教の神さまの愛の大きさを伝えるのには、どうしたら良いのか?そういった視点から、具体的な数字、貨幣を用いて説明しようという試みが生まれたのではないか、と想像することができます。
 ルカにしか登場しない喩えとして、「不正な管理人のたとえ」(ルカ16:1-13)があります。これはルカ福音書にしかない物語なのですが、油や小麦を人に貸しているような人は、それを帳消しや減らしてやりなさい、という喩えがあります。この背景には、誰もが神に対して、罪、負い目を持っていて、それを赦して欲しい、と思っているのだから、同じようにしなさいという喩えです。人を赦すという倫理を具体的に神を手本にして実行しなさいという点で非常に分かりやすい指針といえます。
 また、そのようなルカの意識、わかりやすく神の愛を説明しようとする意識は、良きサマリア人の喩えもそうしたものといえます(ルカ10:25-37)。自分の立場を超えて、愛を実現しようとする姿勢、民族を超えた形の愛を実現しようという姿勢は、理想的な愛を表現することに繋がるでしょう。また、徴税人ザーカイの喩えも同じことが言えます。(ルカ19:1-10)徴税人として働いており、その職業的立場から周囲の人々から避けられていたザーカイ。しかし、イエスと出会う事によって、自らの財産を貧しい人に施し、不正に手にしたものを4倍にして返すと宣言します。これらのあり方も、ユダヤ人という立場にとらわれない聞き手を選ばない神の愛を示すお話と言えるのではないでしょうか。

福音の広がりと神の愛
 キリスト教は、聖書と伝統に基づいて、形づけられています。キリスト教のこと、教会のことは、聖書のすべて書いてあるか、と言えば、そうでもなく、伝統というか、人と人の繋がりによって教会は形づけられている、と言えます。そして、イエスの言葉と行動によって、示された福音も、様々な形を帯びて、また器で伝えられている、と言えます。
 そして、それらはなるべくならば、それぞれの民族性や状況、立場において、理想的な形になれば、より言い訳です。たとえば、関西の教会の方で、聖餐式を和風でやろうという話がありました。いろいろ考えたそうです。そして、結局、おにぎりと焼き魚で聖餐式をしたということを聞いた事があります。日本人という文脈のなかにおいては、確かに、パンよりはおにぎりでしょう。しかし、ぶどう酒(ワイン)を焼き魚というのは、どうでしょうか。5つのパンと2匹の魚で5000人の人が満腹したという共食の奇跡に基づいているのでしょうが、好みが分かれるかもしれません。
 また、マルコ福音書が考えている読者とルカ福音書が考えている読者では、いわゆる農民と都市生活者の比率も異なっていて、よりルカは都市生活者が多かったでしょう。都市生活者の徴税人と農民にとっての徴税人、そして貨幣のとらえ方もずいぶん違って板でしょう。イエス時代の農民の中には、貨幣などまったく触れずに生活していたような人もいただろう、と想像できるからです。
 いろいろな違いを挙げてきました。では、私たち自身にとって、伝わる福音の喩えとは、どのような逸話が心にしみるでしょうか。また自分の隣人、神の福音を知らない隣人に伝わるでしょうか。より大きな罪の重さが赦される物語、より大きな神の愛を感じる物語は、どのようなものか、想像すること、お話を考えること、自分の過去の経験から掘り起こしていくこと、そのような作業の一つ一つも、主なる神の福音をより深く自分の胸に刻む大事な時かもしれません。

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『イエスの軛(くびき)を背負って』(マタイ福音書11:25〜30)

2017.06.13(20:23) 349

『イエスの軛を背負って』
(2017/6/11 名古屋堀川伝道所)
マタイによる福音書 11章 25~30節

身近な存在である神
 今日の箇所、マタイによる福音書11章25節26節をお読みします。
「11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。11:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。」
 イエスは、「天地の主である父よ」と呼びかけています。イエスの祈りについて、斬新であり、また敵対者たちの怒りを買い、律法違反とも言えるであろうことは、この「父よ」という呼びかけでした。十戒には「あなたの神(かみ)、主(しゅ)の名(な)をみだりに唱(とな)えてはならない。」という戒めが記されておりますが、とても「父よ」といったような親しみを込めた表現は誰も用いませんでした。すると、こうした祈りとしての「父よ」という呼びかけも反対者たちにとっては、「自分は神の子である」という律法違反の主張とうつったでしょう。そしてそのことはイエスが逮捕され、裁判にかけられている場における、告発者たちがイエスに対して「神の子である」と言っていた、という主張にもつながります(マタイ26:63/マルコ14:61/ルカ22:70/ヨハネ19:7)。
 また、もう一つ、明らかにされていることは、イエスが語った神が、神殿にいる祭司や律法学者や王たちに、自らの存在を示したのではなく、25節の後半にあるように「知恵ある者や賢い者」ではなく「幼子のような者」に示し、それこそが「神の御心」だ、という点です。福音書に親しんできた人々にとっては、当たり前のことと言えますが、これも敵対者たちとなる律法学者や祭司たち、王族にとっては気に入らない主張でありましょう。そして、私たちもこのイエスの言葉、「幼子のような者」こそ、主なる神は招いている、という導きを完全に受け入れることが出来ているか、といえば、とても難しいことと言わざるを得ないのでは無いでしょうか。続く27節における「すべてのことは、父からわたしに任せられて」いる、という言葉にしても、後半の言葉にしても、同じような意味合いから、とらえることが可能でしょう。イエスことが主なる神を知る唯一の道しるべである、ということ、そして主なる神もイエスを通じてのみ、私たちにその意志を示して下さる、ということです。

律法の軛からイエスの軛へ
 さらに11章29-30節をお読みします。
「(29節)わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。…(30節)わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
 「軛」とは、牛や馬の首につけて、鋤や鍬を引っ張らせて、田畑を耕すためのものです。ですから、軽いわけはありません。また、当時の律法中心のユダヤ社会には、「律法の軛」という言葉がありました。「軛」というのは、重いかもしれないけれども、それを付けていれば、間違えることはない、道を外れて進むことはない、「道しるべ」という意味を含んでおります。また『律法の垣根』という言葉もありました。これもただ単に言葉通りの「律法を守る」というのではなく、「この枠の中に生きていれば、律法に違反しない」という範囲のことを指し、決定的な間違いを犯さないための「生活の知恵」とも言えます。
 また今日の箇所でイエスが語る「わたしの軛」とは何か、「負いやすい軛」とは何か。軛とは普通、一頭の牛・家畜で付けるものではなく、二頭並べて、つけるものであります。そして、その間に鋤や鍬などを取り付けて、なるべくならば、まっすぐに土を起こして耕したり、ウネを切っていく、道具であります。イエスは「わたしの軛」とおっしゃっています。基本的には、主なる神の道を外れないように、自分たちの動きを制御してくれるためのものと捉えることが自然である、と思います。また、キリスト教的に言えば、「イエスが一緒の軛で、ともに歩んで下さっている、」という言い方もできるでしょう。

疲れた者、重荷を負う者は
 28節をお読みします。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」ここで言われている疲れや重荷というのは、当然、日常の生活の中における「疲れや重荷」を指すのでしょうが、同時に「律法」や日常生活における重荷を指すものと思われます。マタイ福音書23章1節から4節をお読みします。
「23:1 それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。
23:2 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
23:3 だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
23:4 彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。」

 ファリサイ派の人々や律法学者を批判する言葉であります。キリスト教の神のあり方として、共にある神、インマヌエルの神、という表現がなされることがありますが、共に「軛」を首に付けて、荷を背負う、ということにも繋がるでしょう。しかし、律法学者やファリサイ派の人々は、そのようなことはしなかった。上から目線というのでしょうか、そうした位置に立って、いろいろと口を出してくる、しかし、それだけで手を貸す事もしなかった。そんな有り様をこの言葉は示しています。

聖書と農業、人類と農業
 イエスは、喩えにおいて、農業に関する言葉を多く使っています。種まきをする農民と種、ぶどう園の労働者たち、など。農業とはどういったものでしょうか。現代においては、農業というのは、自然を大切にすること、エコ的なものとして捉えられがちです。しかし、本質的に言えば、自然に対する人間の直接的な介入であり、自然の破壊の一つとも言えます。そして、農業は人類における文明の発展において、重要な役割を果たしています。
 農業は、大まかに言って、紀元前10000年ぐらいに生まれたという様に考えられています。それ以前の人類は、動物を狩る狩猟や、自然にできている果実や穀物を取る採取という方法で食料を得ています。しかし、様々な形で、他の植物を排除し、土を耕し、種をまき、収穫するという形の農業が生まれてきます。その後、紀元前5000年ぐらいには、簡単な道具としての農機具が生まれてきました。
 農機具の発展には、金属の精製、精錬技術も関わってきます。イザヤ書、2章4節の言葉。「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」
「打ち直して」とあるので、金属の話であることを知る事ができます。そして、治水技術、水の管理ができるようになり、いわゆる文明が世界の各地に生まれるようになりました。そして農業の発展とは、収穫物を保管し管理するという作業を生みます。
創世記に記されているヤコブの息子ヨセフは、エジプトにおいて、エジプトの王であるファラオの夢を説いたことによって、エジプトの宰相、大臣のような立場を得て、干ばつによってもたらされた7年間の飢饉を乗り越えたとされています。そして、少し話はずるかもしれませんが、このような収穫物を保管する管理するということは、人類の安定した食糧自給を約束し、人口を大きく増やす要因となりましたが、同時に、そうした収穫物を奪い合う事、農地を奪い合う、戦争を生み出す原因ともなっていきました。戦争をするようになって、武器が必要になる、守るための城壁が必要になる、と。様々な技術が必要になる。そのようにして人間の文明は発展してきた、と言えます。

農業とイスラエルの民
 イスラエルの民族は、アブラハムの時代、町や都市、そして土地も持たない、半遊牧民族として、その歴史を刻んできました。土地を持たない事から、民族が亡くなった場合には、埋葬する土地の売買が大きな問題となるほどでした。しかし、エジプトに下り、奴隷として時期を過ごしてから、現在のパレスチナの地に帰ってきた時には、主なる神を頂点とした奴隷制度や王といった存在を持たない、平等主義的な民族のあり方を常に模索していたと言えます。
 しかし、周囲の強国(エジプト・アッシリア・バビロニアなど)に対抗するために、王という存在を作りました。また、民族的なアイデンティティ(ユダヤ教的生活習慣)を守るために、律法への厳しい服従や、民族的な血脈へのこだわりの強化などといった動きをその歴史の中で紡いできました。そして、イエスの時代は、そうしたあり方が、頂点に立っていた時代であったと言えます。そうした状況の中において、多くのユダヤ人たち、特に社会的な立場、地位、豊かさも持たない名も無き者たちは、生きづらい状況を生き、多くの重荷をその肩に、担ぎにくい軛を背負わされて、生きていたのではないでしょうか。

イエスの軛
 今日の箇所、マタイ福音書11章29節30節をお読みします。「11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
 軛とは、家畜の動きを制御するものです。また同時に、こういうことも言えないでしょうか。人がその人として得るべきもの、与えられているものを得るための地図のようなもの、と。
 現代を生きる私たちはどうでしょうか。世界中の多くの人々が、恵まれない立場にいると考えています。日本でも、いわゆる税金の負担は少ない方と言われますが、いわゆる教育や福祉については、個人が負担しなければならない側面がどんどん大きくなっています。そうすると豊かな者はより与えられ、貧しい者はより失う形となっていく。しかし、あくまでそうした動きは、いつわりの「平等」や「公正」、「競争」また「自己責任」といったスローガンによって、進められていく。
 たしかに現代は、「豊か」で「便利」な世の中と言えます。しかし、それらの恩恵を受けることに、はっきりとした差があり、その狭間で多くの人と人との間が引き裂かれている状況、1人の人であっても引き裂かれている状況と言えないでしょうか。そして、誰もが「豊かさ」を求めて歩む中において、自分も「豊か」になりたい、という願いを持つ状況の中で、そうした差を批判をしなくなっていく。そして批判しやすい自分よりも「貧しい者」「持たざる者」に対する批判、「まじめにしていない」「努力が足りない」などの言葉が多くなり、また自らもそうした枠組みの中で評価するようになり、満足できなくなり、毎日が憂鬱になる。
 しかし、それにしっかりとした目安があるとすれば、誰もが自らの置かれている状況に納得して、それぞれの気持ちも安定して、住みやすい世の中になるのではないか。そのためには、誰もが得るものに満足することが大切ではないでしょうか。「イエスの軛」を、そのような目安として、地図として、考えることはできないでしょうか。他人に不当に荷を乗せられるのでもなく、勝手に収穫を減らされるのではなく、誰もが日常の生活に必要な糧を与えられる道具として、道しるべとして、イエスの軛はそれぞれの人に与えられているのではないでしょうか。

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『神を生かすも殺すも』(ルカによる福音書 7:18~35)

2017.05.28(21:01) 348

『神を生かすも殺すも』
(2017/5/28)
ルカによる福音書 7章 18~35節

イエスとヨハネ
 今日の箇所、バプテスマのヨハネとイエスさまが比較された形で記されています。バプテスマのヨハネは、イエスに洗礼を授けた預言者でありますが、すでに捕らえられており、牢屋に繋げられた状況の中に置かれています。7章18節19節をお読みします。
「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
 「来るべき方」とは、キリスト(ヘブライ語で言うところのメシア)、救い主のことを指しております。苦しみの中にあったユダヤの人々、イスラエルが求めていた神から与えられる救い主とは、自分たちをローマ帝国の支配から解放してくれる救い主でした。いうなれば旧約聖書中にある「サウル・ダビデ・ソロモン」のような王のような存在であったでしょう。神から与えられる「救い主・キリスト・メシア」とは強くあって、ユダヤの王となってローマ帝国の支配から解放してくれる救い主でした。
 そして、イザヤの生まれ変わりとしてメシアの前触れ、「道を準備する」として、バプテスマのヨハネは、キリスト教からは理解され、そのように福音書にも記されました。彼は、マタイ福音書3章の記述によれば「らくだの毛皮」を着て、「革の帯」を着けて、いなごや野蜜を食べ物としていました。そして、そこにたくさんの人が来て、ヨハネより清めの洗礼を受けていました。そして多くの人々が、もう一度、神に立ち帰ることができる、ということを水による清めを行っていました。
 そして、イエスの周囲に集まってきていた人々も、同様であったといえます。イエスであれば、自分たちを苦しみから解放してくれるかもしれない。ユダヤ人たちを支配していたローマ帝国を倒してくれるかも知れない。また、自分たちのことをバカにしている祭司や律法学者たちのことも変えてくれるかも知れない。神殿も本当に人たちのことを大切にしてくれる神さまの神殿にしてくれるかも知れない、という思い。

ヨハネとイエスの違い
 おそらく史実的・歴史的に、イエスは、ある時期ヨハネの弟子として活動していた、と考えられます。そして、ヨハネを離れて、イエスは神の子としての歩み、「神の国」の到来を告げる活動を初めることになりました。そして、別々の活動、イエスはイエスの弟子たちとの歩みをすすめ、ヨハネはヨハネの活動を進めるようになりますが、バプテスマのヨハネは捕らえられてしまう。今日の箇所は、そんなヨハネが捕らえられた状況を描いています。そして、目的としては、イエスとヨハネの違いを分かりやすい形で説明するために描かれた箇所と考えることが出来ます。
 ヨハネの弟子たちは、イエスがどのような存在であるか、疑問をもっています。7章20節から23節においては、イエスが行った活動、癒しや教えや弟子たちへの招きについて、肯定的に捉えられる箇所、救い主として、メシアとして、ふさわしい事柄について触れます。そして、24節からは、イエスが何者であるか、を明らかにしようとする言説に入っていきます。24節の「風にそよぐ葦か」なのか、と違う。葦とは人間のことですが、その時々の風潮に流されてしまうような人間、ただの人ではない、ということを示しています。そして、「しなやかな服を着た人」か、と問います。「王宮にいる」とは、王族一般・地位の高い者を指しますが、同時に、そうしたこの世の権力に移ろいやすい人々も含めているでしょう。そして具体的には、ヘロデ大王の子、ガリラヤの領主だった、ヘロデ・アンティパスのことを指している、と考えられます。そうでもない、「では、何者なのか?」

イエスとヨハネの共通点
 バプテスマのヨハネは、預言者として、断食をして、荒野に住んで禁欲的な生活を営み、洗礼活動を行いました。日本風で言えば、「修行僧」として、または「世捨て人」として、あらゆる「欲」を立つことによって、神に近づこうとした、救いに至ろうとした、人でした。イエスが生きた当時のユダヤ人の間では、都市的は、ヘレニズム的なもの、また非ユダヤ教的なものであるという批判がありました。そうした人々の中には、エルサレムにある神殿でさえも人の欲やローマの支配の影響があるといった風潮もありました。そうした流れの中において本来は汚れた場である荒野に対して、聖性を見る人々がいました。そうした人々の一部が現代ではエッセネ派と呼ばれ、彼らは荒野にて共同生活を営んでいました。バプテスマのヨハネもそのエッセネ派のメンバーであったのではないか、と考えられています。
 そして、イエスの方はどうだったか。イエスは、ヨハネのように荒野に住むことも、断食することはありませんでした。イエスは、多くの町々を訪ね歩き、それぞれの場において、多くの人と共に食卓につき、(おそらく)お酒も交えて、触れあっていました。いわゆる一般の生活をしていた、また更に進んで日常を楽しんでいた、と言えます。そんなヨハネとイエスへの言葉として、7章31節32節は捉えることが出来ます。
「7:31 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。
7:32 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』」

 これらの描写は、子どもがよくする「ごっこ遊び」のことをさしています。笛を吹いて、結婚式の宴のマネごとをすること、「結婚式ごっこ」をして遊ぼうと思ったのに、一緒に遊んでくれなかった。イエスは、宴会ばかりしていた、というよりも、たくさんの人との触れ合いの場として、おそらく不特定多数の人と共に食事をとっていたのでしょう。
 葬式の歌を歌って、泣き真似をする「葬式ごっこ」遊ぼうと思ったのに、無視されてしまった。バプテスマのヨハネは、禁欲的な生活をしていました。断食をし、規則正しい生活や質素を重んじる清貧とも言える生活環境だったでしょう。まったく逆のことであるのに、等しく、「悪霊に取り憑かれている」と非難される。それを「罪人や徴税人の仲間だ」と非難される(18-19節)。そういった言葉をイエスも実際に耳にしたことでしょう。そして、そういった自らやヨハネに対する非難の言葉を弟子たちに向かってユーモア・皮肉を込めて語ったのではないでしょうか。
 ヨハネが語った厳しい禁欲的な悔い改めの道、非都市的な生活も一つの神への道です。そしてイエスが語り行動した解放の言葉、違いを超えた自由な交わりの道も神の道なのです。これら二つはまったく逆のことです。しかし、それらのどちらにも参加しようとしない、傍観者として批評する人ばかりではないか、という意味が込められています。つまり、神さまの考え方、神さまを大事にするあり方がどのような形で来たとしても、受け入れない人たちばかりではないか。それで良いのですか?ということをこの譬えからイエスさまは伝えようとしているのです。

神は死んだ
 今日の説教題、ある意味、不信仰かもしれませんが、「神を生かすも殺すも」としました。19世紀のドイツにおいて、ニーチェという人がいます。ニヒリズム、超人思想ということを提唱し、彼が著作に記した「神は死んだ」という言葉は時代を示す言葉としてよく知られるようになっています。いわゆるこの言葉、『ツァラトゥストラかくかたりき』(は、こう語った)』という著作の中にある言葉でした。そして、いわゆるニヒリズム(虚無主義)を代表する言葉として、知られています。そして、日本において、ニヒリズムと言えば、神の存在を否定する説として、なんとなく理解されている、と思います。しかし、ニヒリズムを辞典で引いてみますと、このように記されています。
「ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語の nihil (無) に由来する。」(Wiki-Pedia)
 日本語でも「神も仏もない」という言葉があります。この言葉というのは、良いこともしても報われないし、悪いこともしても裁かれることはない。人であれば、誰も陥る悩み、ジレンマ、と言えます。そして、この問いは、とても神義論的な問い(神は正しいのか、という問い)でもあります。そして、「神も仏もない」状態、「神が死んだ」状態とは、悪が悪のまま、正義が報われない世界ということ、そうして状態が、ニヒリズム(虚無主義)という説明です。
 19世紀において、科学が発展する中において、キリスト教がヨーロッパ世界において、社会的影響を落としていく中で、ニーチェは先の言葉を語りました。彼自身、非常に強いキリスト教批判を持っていましたが、そうした批判も様々な社会的な不正義に対する怒りから言うことが出来ます。「神は死んだ」と。キリスト教が持っていた権威、教会が持っていた力、多くの人々の倫理的な行動の根拠となっていた力が失われていく状況を見て、「神は死んだ」と述べたのです。ですから、単純にこの世には、「神も仏も無い」と言ったわけではなく、社会の変化を説明した言葉と言えます。そして、この言葉、実は続きがあります。続きも含めて読んでみます。
「神は死んだ。今や我々は欲する。超人生きよと。」
 後半にある「超人生きよと」という言葉。この言葉は、ある意味で、その後のドイツ、世界のあり方の預言となります。ドイツは、19世紀末期から20世紀初頭の低迷、第一次世界体制の敗戦といった歴史を歩みました。そうした歩みの中において、宗教や民主主義に対する不満が強まり、「超人」の力を求めていきました。それは全体主義、ヒトラーに率いられたナチズムへと繋がっていきます。そして第二次世界大戦、ユダヤ人の大虐殺へと繋がっていきます。また、現在の世界においても、そうした雰囲気が世界中で強くなっているといえます。多くの人々の不満や不安が宗教や国家主義といった形をとって、人を裁いていく有り様は、過去の歴史を繰り返しているようであり、将来に対して大きな不安を感じます。そして、どのようなあり方が良いのか、すべての人が考えるべき課題であると言えます。

神が共にいる
 ニーチェの「神が死んだ」という言葉は、一つの時代の変化を象徴しています。神という存在、そしてキリスト教が人類史、ヨーロッパ史において、影響力を落ちていく中に起こったことです。そして、そうした状況の中で、人間が持つ倫理、理性への期待が大きくなっていきました。そうした土壌の中から、生まれてきたのが、超人思想でありました。そして現代に続く、いわゆる民主主義国家の形、世界の国々のあり方の地盤が出来ました。が、その後の超人思想は、ナチズムという全体主義を生み出し、世界史に刻まれる大きな過ちに繋がっていきました。そして第二次世界大戦とその終戦、現代に続く世界秩序が形づけられました。
 そして、現在もその流れの中に生きていると言えるのですが、どうでしょうか。終戦から70年を超えて、あらたな危機がやってきたと思う人々は世界中にいるのではないでしょうか。そうした危機にあるとき、ある人は自分だけ自分たちだけは生き残ろうとか、考える人もいるでしょう。または、このままじゃいけないと思いながらも、どうしたら良いのか解らない、と考える人たちもいるでしょう。では、イエスやヨハネのような存在が、今、この世に現れたとして、そのような活動に自分は参加するだろうか、共に歩もうと考えるだろうか、という課題を今日の箇所から読み取るべきではないか、と思うのです。
 今日の説教題、「神を生かすのも殺すのも」としました。ある人々にとって、ヨハネの業は、葬式ごっこと思われるような行動、そしてイエスの業は、結婚式ごっこと思われるような行動でした。しかし、そこに神の業を見る人もいました。私たちは、どうでしょうか。神が共にいる、ということは、どこか遠くの神に近づくということではなく、私たちの日常の隙間に、そこらかしこにある神の支配を生きることと言えないでしょうか。不安の多い時代であります。誰もが何か大きな力にすがろうとしている時代、大きな力をつけようとしている時代、誰かとの違いを際立たせようとする時代、と言えます。しかし、そうしたあり方は、過去の過ちを繰り返すことにはならないでしょうか。神により頼むこととは、何気ない日常を神に信頼をおいて、生きていくことではないでしょうか。私たちは特別なことに救いや安心を求めてしまいます。
 そうではなく、目には見えず、耳に聞くことも出来ないかもしれませんが、なんともない日常の中において、また常に神さまが共にいるということを信じて歩むこと、神が共にいるということを信じて、祈ること、行動していくこと、あらゆる隣人と共に生きていくこと、そうしたことが平和への第一歩であり、小さいながらもイエスが語った「平和を実現する者」として生きることではないでしょうか。


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『キリストによる分裂と和解』 (ガラテヤの信徒への手紙 3:26~29)

2017.05.21(15:25) 347

『キリストによる分裂と和解』
(2017/5/21)
ガラテヤの信徒への手紙 3章26~29節

アンティオキア事件
パウロはこの手紙を、パウロがいなくなってから、ガラテヤの教会にやってきた人々、おそらくはユダヤ地方からやってきたユダヤ教的なキリスト教を伝道する者たちへの反論として記しました。パウロは、律法から自由な形のキリスト教を宣べ伝えました。しかしパウロが去った後のガラテヤの教会に、キリスト教を信じるには、律法を守ること、モーセを通して与えられた律法、わたしたちが持っている聖書の旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を守ることが不可欠なのだ、と考える人々が来て、徐々に、そうした考え方、価値観が拡がっていたのです。
 パウロは、今日の箇所ガラテヤ書3章28節でこのように記しております。
「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」
 パウロにとって、信仰を持って洗礼を受け教会の一員となることは、ここに記されているように、人種や社会的立場や性差も超えて、イエス・キリストによって結ばれて一つになる、ということでありました。ですから、ユダヤ教的な価値観によって、キリスト教会の中で、人と人が人種によって分けられてしまう、ということが許せませんでした。そして、パウロのこのような思いは、第一の使徒として知られているペトロとの衝突にも、つながりました。
 そのことを如実にしめすエピソードがありますので、その箇所をお読みしたい、と思います。ガラテヤの信徒への手紙2章11節から14節です。(P.344)
「2:11 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」」
 この出来事は、パウロの使徒としての活動最初期、49年頃、パウロが宣教旅行という形の伝道を始める以前、アンティオキアの教会で起こったことでした。概要としてはこのような流れです。ケファ(アラム語における『岩』)と記されているのは、第一の使徒ペトロであります。そして、ペトロはエルサレムの教会からパウロがリーダーとなっていたアンティオキア教会にやってきて、異邦人たちと一緒に食事をしていました。ユダヤ人の律法に従えば、それは赦されることではありませんでした。しかし、ペトロは言うなれば、中間派というのでしょうか、「郷に入っては郷に従え」で、アンティオキア教会では異邦人と共に食事を取っていたのでしょう。しかし、ある客人がやってくることによって、困った事態が起こってしまいます。
 2章12節に「ヤコブのもとからある人々が来るまでは」とありますが、ここに出てくるヤコブとは、イエスさまの弟で、ユダヤ人ばかりの教会であったエルサレム教会の当時のリーダーとなっていた人でした。ペトロさんとしては、エルサレム教会からやってきたユダヤ人たちに恐れを持っていました。エルサレムといえば、ユダヤ人ばかりの町ですから、教会の中といえども、異邦人と食事するといった律法違反を、教会がやっているという話が拡がってしまうと自分たちが迫害されてしまうかも知れない。そんな状況がエルサレムにはありました。だから非常に食事の取り方、ユダヤ人と異邦人が一緒に食事を取ることなど、考えられない、という立場であったと想像することができます。
 そのようなエルサレム教会の人々が、アンティオキア教会にやってきて、運の悪いことに食事の時間にぶつかったのでしょう。そして、ペトロはその食事の席を立ってしまった。おそらくエルサレム教会の人々の怒り、またヤコブの怒りを買うことを恐れての行為でしょう。しかし、それは予想外に大きな影響をもたらすことになります。

ペトロとパウロ、それぞれの思い
 ペトロはなんと言っても、イエスさまの一番弟子、第一の使徒です。ペトロとしては、ちょっとした気持ちだったかも知れません。しかし、このことはアンティオキア教会におけるパウロの立場を著しく悪くすることになりました。バルナバという人が出てきますが、パウロの一番の理解者でありましたが、このことをきっかけにして、仲たがいをするようになります。また、パウロは、このアンティオキア教会を離れて、伝道するようになりますが、おそらくここで第一の使徒であるペトロとパウロの考えが違うということが明らかになり、信用されなくなってしまった、という事情があったのではないか、と考えられるのです。
 また、パウロとしては、どうでしたでしょうか。パウロにとって、キリスト教会において、人種や様々な立場を超えて、共に守る食事は、単なる食事ではなく、教会に集う人の一致の徴として大切にしていたと思われます。そして、たとえ律法的には、避けなければならないユダヤ人であっても、キリスト教においては、守られるものである、という立場であったでしょう。そして、そうした解放性こそがキリスト教である、と考えていたでしょう。
 またパウロとしては、もう一つの意識があったと考えられます。パウロはアンティオキア教会とかコリント教会とか、エルサレム教会といった一つ一つの教会だけではなく、そうした各地域に立つ教会の枠を超えて教会がキリストの身体として一致すること、一緒になることを目指していました。そんな思いがあったからこそ、パウロは様々な地域の教会において、食事の問題では敵対しているエルサレム教会に対して、献金を集めていました。そして、その献金を集めてエルサレム教会に届けようとして、エルサレムに向かいます。そしてユダヤ人でありながらも、異邦人の伝統を守る者として誤解され、逮捕されてしまい、ローマに護送されて処刑されてしまいます。おそらくパウロ自身、エルサレムへ行くことはかなりの危険性を伴うことは分かっていたはずです。しかし、そうした危険を冒してでも、献金を届けて、教会の一致を示したかったのでしょう。

ペトロとパウロ、それぞれの理想
 もう一方のペトロはどのような思いであったでしょうか。ペトロは、場所によって、教会における食事のあり方は自由で良い、と考えていたのではないか、と考えられます。エルサレム教会においては、ほとんどがユダヤ人の教会のあり方、そしてローマとユダヤ人との対立、緊張が高まる中において、律法違反となる異邦人との食事は、教会自体を滅ぼしてしまう可能性もある行為でした。そうしてみますと、こんなことが言えるのでは無いでしょうか。ペトロは、基本的には、キリスト教において、ユダヤ人と異邦人の違いは無い、と考えていたと思います。しかし、それがエルサレム教会の状況を考えた時、教会の理想的な姿だとして、ユダヤ人と異邦人が一緒に食事を取ることを良しとするだろうか、おそらくしなかったのでは無いでしょうか。
 しかし、他の教会においては、理想的なことだから、してください、といった立場だったのでは無いでしょうか。しかし、そのアンティオキア教会にエルサレム教会の人々がやってきてしまった。こう言われたかもしれません。「エルサレム教会でのやり方と違うじゃないか?!そんなことがエルサレムのユダヤ人たちにばれたら、エルサレム教会はつぶされてしまう」と。
 パウロはどのような思いであったでしょうか。パウロは、ガラテヤの教会の人々に向けて、アンティオキア教会で起こってしまったペトロとの衝突を例に、人種や社会的立場や性別の違いにも寄らない信仰にあり方、キリスト者としてのあり方を示そうとしています。そんな中、もう一つの信仰における課題、キリスト者としての課題についてのべようとしています。今日の箇所の最後となるガラテヤの信徒への手紙3章29節をお読みします。
「3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」
 「アブラハムの子孫」そして「約束の相続人」というのは、ユダヤ教なキリスト教、律法的なキリスト教を重んじる人々が用いていた言葉であります。
パウロは、自分とは違う立場の人の言葉をあえて用いて、自分の考えを述べたのであります。旧約聖書に記されている、イスラエルの民と主なる神の歴史、イスラエルの民の側の父祖としてアブラハムがいます。アブラハムは主なる神に身を捨てて従ったからこそ祝福を受けることができた。だから、キリスト教徒であろうとも、アブラハムと同じように、神の意志に従うべき、律法に従うべきである。そして、従えないのであれば、「アブラハムの子孫」でも「約束の相続人」でもない、という主張なのです。

あなたはパウロですか?ペトロですか?
 パウロの立場を言葉化すれば、絶対平等主義的キリスト者(使徒)、ということが言えます。そしてペトロの立場を言葉化すれば、現実平等主義的キリスト者(使徒)と言うことが出来るでしょう。また、この問題はペトロとパウロの間だけの問題ではなく(使徒言行録15章に基づいて)、広く初代教会の課題であったようです。キリスト教徒であるユダヤ人と異邦人が一緒に食事を取ることは認められるかどうか、どのような場所で、食事規定は、どのような肉であったら、洗礼を受けたかどうか、など。議論にも事欠かなかったと思われます。
 どうでしょうか?一緒に食事を取ることを優先するでしょうか?それとも、民族性や文化を優先するでしょうか?また、そのことによって、自分たちの教会ではない、ある教会が危険にさらされる可能性があったとしたら、どのような選択をするでしょうか?おそらく多くの人が、どこかの教会の危機に繋がるような行為であったら、するべきではない、と考えるのでは無いでしょうか。しかし、そのような情報が無かったらどうでしょうか?パウロもおそらくそうだったのではないか、と考えられます。
 また、ペトロは基本的にユダヤ人キリスト者の伝道者(使徒)としての働き、パウロは異邦人キリスト者の伝道者(使徒)として働きを担っていました。それぞれの立場、考え方に基づいた発想もするのも当然のことであったでしょう。

キリストによる分裂と和解
 今日の箇所、ガラテヤの信徒への手紙3章26節から28節を、もう一度、お読みします。
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」
 この言葉の背景には、これまでに触れたようなパウロの経験と思いが込められています。パウロとペトロの対立は、パウロが自らの思いとして、この言葉を実現させようとして起こったことでした。そして、これは現代にも通じることでは無いか、と思うのです。私たちは様々な違い、民族性や文化、性別、その他の差別の問題に出会うとき、その違いから時に、ぶつかり合いや意見の違いから分裂が起こったりします。しかし、それは悪いことでは無いのではないか、と思うのです。なぜなら、パウロやペトロも行っていたからです。
 私たちは、それぞれ限界をもっており、自分とは違う立場の人のことを理解することは、その人以上にはどんなに努力をしたとしても、絶対にできません。そのような時、みずからの不完全さを認めることによってこそ、新しい可能性や新しい和解の道が開けるのでは無いでしょうか。そして、そこにこそ、キリスト教のすばらしさがあるのではないでしょうか。様々なことに、生きて、呼吸をして、思い悩み、時に争ったり、ケンカをしたり、分裂したり、しながら。自分の弱さをたずさえて、イエス・キリストが示して下さった福音を、イエスの後を追いかけようとする思いや葛藤。その葛藤こそが、キリスト教であり、教会の真実のあり方ではないでしょうか。私たちは一致することにこそ、教会やキリスト教の理想があると思いがちです。しかし、そうではなく、パウロやペトロの争いにあるような葛藤の積み重ねこそがキリスト教では無いか、と感じています。


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『キリスト教的過去・現在・未来』(マルコ福音書9:2−13)

2017.05.14(19:13) 346

『キリスト教的過去・現在・未来』
(2017/5/14)
マルコによる福音書 9章 2~13節

イエスは何者か
 福音書は、イエス自身が、何者であるのか、どのような存在であるのか、を記している文書であります。イエスは、キリスト(救い主)であり、メシアであり、神の子であり、ダビデの子であります。これらの言葉は、「イエスは○○である」という形で、なされます。しかし、これらの言葉は、イエスに基づく場合もありますが、人の言葉を通じて、弟子たちは一般の人を通じての言葉であります。信仰の告白、疑問に対する答え、宣言などの形になりますが、それらはすべて人の言葉であります。ですから、間違っている場合もある、確認が取れないわけです。それにくらべて、今日の箇所の言葉は、神によって、そのことが述べられている。その点において、特別な箇所ということができます。
 マルコ福音書9章7節をお読みします。
「9:7 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」」
 そして実は、神がこの言葉を語ったのは、マルコ福音書において、二度目になります。そして一度目は、イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受ける場面であります。マルコ福音書1章9節から11節。(P.61)
「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。」
 二度目に神の声が天から現れた今日の箇所、モーセとエリヤという預言者が現れ、イエスが天に浮いた、というのですから、とても神秘的な場面ということができます。そして、こうした場面のことを「神顕現」の場面と言います。直接的に神がこの世に働きかけた、姿を現した場面のことを指します。そして今日は、なぜ、モーセとエリヤなのか、ということ、また説教題にも込めました、キリスト教における時間の捉え方を考えてみたい、と思います。

ユダヤ教の立場から
 今日の箇所でイエスと共に、二人の預言者が現れました。一人はモーセ、一人はエリヤであります。「何故、この二人なのか?」という問いがあります。また私の最大の疑問は、ペトロや他の弟子たち、モーセとエリヤのことをなぜ一目見て、分かったのだろうなあ、という疑問です。写真もない時代、さらに絵画(肖像画)などもない時代、ユダヤ教においては、絵を描くことさえも禁じられていた時代、一目見て、「モーセだ、エリヤだ」とはいかないはずなのです。しかし、モーセとエリヤを見たというのは、それ以外には考えられなかった弟子たちの思いがあったということが出来るのではないでしょうか。
 例えば、マタイ福音書などでは、ダビデから始まる系図から福音書は始まりますから、「イエスはメシアであったダビデの血を引く者」で「イエスもメシアである」という面が強調されていると思われます。ですから、ダビデでも良いではないのか、またもう一人はアブラハムでも良いのでは、と思うのですがその2人ではありません。なぜか?こんなことが言えると思います。ダビデは預言者や神の子ではなく、王という立場です。王という立場のは、あくまで人の側の立場にたつ存在で神の側には立っていない、ということではなかろうか、と思います。その上で、なぜ、モーセとエリヤだったのか、私としての答えとして言うなれば、この二人を選んでいるのは、ユダヤ教的な聖書(旧約聖書)の捉え方と言えます。そして、今もなお、ユダヤ教徒の人々にとっては、「メシア」と言う存在は現れていませんし、終末も来ていないという捉え方で、メシアを待ち続けている、終末(神の裁き)を待ち続けている状態と言えます。
 キリスト教的な立場でいえば、新約聖書と旧約聖書があり、新約聖書はイエスによって示された新しい契約を著すもの、旧約聖書は古い契約を著すものとして捉えられています。しかし、ユダヤ教にとっては、旧約聖書(聖書)しかないわけですから、「古い」と呼ぶことはありません。また、そうしたユダヤ教的な立場から考えてみますと、キリスト教の側が、一方的に「古い」と呼ぶことは、とても失礼な話ではないか、という発言が聖書学者などの間では見られ、それぞれユダヤ教聖書、ギリシア語聖書と呼ぶべきである、という意見もあります。
 またユダヤ教の聖書への視点から考えてみたい、と思います。現代でもユダヤ教では、ヘブライ語聖書のことを、「タナハ」と呼びます。これは、三つの頭文字をとった呼び方であります。「タ」というのは、「トーラー」(律法)で、モーセ五書〔創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記〕、を指します。そして2番目の「ナ」は、「ネイビーム」(預言)〔ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記〕、そして、3番目の「ハ」は、「ケトゥビーム」(諸書)〔それ以外〕であります。そして、価値としては、それぞれ1番目、2番目、3番目の順序、モーセ五書、預言、諸書の順序で重んじられています。モーセ五書に一番の価値があり、それらの補助する役割として、他の文書がある、という捉え方です。
 またこうも表現できます。モーセ五書が、絶対のもの、神の言葉であり、預言書は歴史であり、注解、神の言葉の実践編といった捉え方で、この順番が入れ替わることはないのです。キリスト教ではどうでしょうか?ユダヤ教聖書(旧約聖書)のみの話ですが、おそらく多くの人が、旧約聖書というものは、歴史の順序に従って、時系列によって、まとめられている、と捉えていると思われます。そして、ユダヤ教のヘブライ語聖書とキリスト教の旧約聖書では順序が微妙に違います。

啓示宗教という宗教の時間軸
 また、キリスト教やユダヤ教のみならず、イスラム教の視点からこの課題を考えてみたいと思います。イスラム(教)ですとどうなるか、ということにも触れてみます。イスラムにおいて、ユダヤ教聖書は、第二正典とも言える文書であり、モーセもエリヤ、そしてイエスも預言者としての地位を与えられています。イスラムにとって、聖書に登場する特別な存在と言えば、アブラハムになります。なぜならイスラムの人々にとって、アブラハムは自らの神の信仰の始祖であります。さらにアブラハムの子、イシュマエルを自らの民族の始まりとしていることも影響しているでしょう。
 そして、イスラムにおいて、信仰を告白する言葉というのは、キリスト教のように長くなく、議論も生まれないのではないか、と思うほどシンプル、単純で二つのことを宣言するだけです。一つは、「アッラーフ(神)の他に神はなし。」。もう一つは、「ムハンマドはアッラーフの使徒である。」であります。
 この宣言の説明に現されていることはこのようなことです。前半の神の部分は、ユダヤ教、キリスト教が共有している唯一の神への信仰の宣言です。そして後半、ムハンマドのみが、使徒(神の使い)ということではなく、最後の預言者、使徒ということを指している、ということでした。キリスト教やユダヤ教に対して言うなれば、同じ神さまを信じているけど、捉え方が違うのよ、アブラハム、モーセ、エリヤ、イエスもいるけれど、ムハンマドが最後で最高の預言者だからね、という考え方なのです。

アジア的宗教との比較
 そして、説教題にもしました「時間軸」のことで考えてみたいと思います。そのことを考える上で、キリスト教、ユダヤ教、イスラム(教)とは異なる宗教、アジア的な宗教、仏教やアジア的な家族観と比較するとその特徴が見えてきます。どうでしょうか?キリスト教などの西洋的な宗教と仏教などアジアの宗教の時間の捉え方を、ざっくりと比較する時、キリスト教などの西洋宗教の直線的、始まりがあって終わりがある、という時間の捉え方。そして仏教などは、円環的な捉え方、輪廻転生などの捉え方をしている、という違いがあるというような言葉を聞いたことはないでしょうか。そして、それは私も当たっていると思います。しかし、厳密に考えてみますと、少し違いがあるなあ、ということも思います。
 仏教やアジアの時間の捉え方は、命にしても、モノにしても、はかないもの、永遠のものなど無く、変わり続けるモノ、そして繰り返していくモノ、という価値観があると言えます。そして、正確に言うと、円環ではあるのですが、繰り返しているようで少しずつ変化している、円環ではなく、いわば螺旋のような時間観と言えるのではないか、と思います。話が少し離れますが、こうした考え方が自然などへの万能観へと繋がると思うのですが、人間のエゴイズム、あまりに自分勝手に開発や技術をワガママに利用してきた結果の行き着く先が、原子力発電所の事故、放射能汚染があると思うのですが、それも円環的に無くなるもの、リセット出来るもの、というように繋がっているのではないか、と思います。

自分はどんな時を生きているのか
 そして一方、西洋的な時間観は直線という話ですが、たしかにその通りかもしれませんが、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も啓示宗教である、という点から考えてみますと、少し違った見方が出来ると思います。たしかに直線なのかもしれませんが、もしかしたら、言わば、「点」と行っても良い時間の捉え方があるのでは無いでしょうか。
 啓示宗教というのは、極端に言えば、神と自分自身の関係のみのものです。神から受けたものに対して、自分がどのように答えていくのか、それの連続であり、その繋がりが「直線」になっていく、という捉え方ができるのではないでしょうか。また、自分が生きる時間において、どのように振る舞うのかが課題なので、自分以前とか以後とかも関係ない、そういう意味で、始まりと終わりがある「直線」といえるのではないか、と思います。

時間について
 時間ということで考えてみたいのは「時計」のことです。時計は11世紀頃には、生まれていたのと言われますが、爆発的に多くの人が時計を持つようになったのは、鉄道が発達してからだ、と言われています。今でも電車の運転手や車掌さんは懐中時計を持って、お仕事をしていますが、あれは時計と鉄道の歴史的関係の名残と言えるでしょう。
 それ以前は、朝昼晩ぐらいの時間感覚で良かったのが、鉄道が生活の中に浸透する中で、時計が発展してきた。そして日本人というのはずいぶん鉄道の時間にこだわるのも民族性かと思います。しかし、数字の時間ばかりに目が言って、世代のこと、後の世代に対する視点というのは、政治の世界にしても、一般の人々にしても、あまりに無関心ではないか、と感じることがあります。
 そして、もっとも時間軸として、単位が大きいのが、家族の関係ではないか、と思うのです。韓国人の友人に韓国人の名前の付け方を聞いた時、子どもが生まれたら既に、名前が決まっているという話を聞いたことがあります。生まれた両親や祖父母の名前から取るので自動的に決まる、というのです。そして同じようなことが台湾の先住民の友人からも聞いたことがあります。こうしたあり方、一つの時計とも言えるのでは、と。そういった単位で時間が流れている、と輪廻転生、螺旋の時間軸というのもしっくり来るなあ、と。そしてそうした円環の一部なんだ、という意識にも繋がっていく。また、そうした捉え方が命や自然にも繋がっていく、と。

自分とは何者なのか
 聖書の話に戻ります。エリヤとイエスではいくつか似ている点があります。一つは、「時の権力者から命を狙われていること」です。エリヤが活動した時代、間違った政治を行っていた王に対して、預言者は「あなた達の言葉と行動は間違っている」「神の意志はこうだ」と声を上げているわけです。しかし、力は王の方が当然強い、そして預言者たちの多くは無力であり、命を狙われたりする状況におかれたりもします。そして、そのようなエリヤの再来を望むということは、ユダヤ人社会において、いつの時代においても、変化を望む人々の信仰、希望となっていきました。
 今日の箇所、マルコ福音書9章11節には、イエスに対して、ある質問がなされています。
「9:11 そして、イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。」
 これも、ただ単に預言の実現を待っているのではなく、期待している、イエスの時代において、ローマ帝国に支配されている状況を変えて欲しい、ヘロデ大王などユダヤ人でありながらもローマの支配を善しとしてユダヤ人の伝統を大切にしようとしない、支配層を変えて欲しい、と言った思いが込められていると考えられるのです。
 ユダヤ人たちは、何世代にもわたって、メシアの到来を期待していました。ここで大切なのは、何百年にも渡ってです。そうした思いは、直線かもしれませんが、人と人の繋がりで考えてみますと、螺旋的な時間軸とも言えるのではないでしょうか。歴史の中で似たような間違いや平和が繰り返されてきた、喜びの時代や哀しみの時代をくぐってきたでしょう。直線かもしれませんが、螺旋とも表現できるのではないでしょうか。

イエス・神との関係に基づいて
 キリスト教にとって、イエス・キリストは絶対の存在です。またキリスト者、信仰者にとっては、そのキリストや神に対して、どのように答えるのか、ということが常に問われている、その点の連続が直線、そして螺旋へと繋がっていると言えます。モーセにしても、エリヤにしても、そうした点であり、直線であったと言えます。エジプトで奴隷状態にあったユダヤ人たちを導きだし、十戒を中心とした律法を託されたモーセ、そして、神の思いから離れてしまったユダヤ民族、王を正しい道へと導こうとし、命を狙われながらも、神の言葉を預かる預言者としての道を歩んだエリヤ。イエスを中心として、2人の人が現れたとき、それ以外の人は思い浮かばなかったのでしょう。
 また、私たち一人一人の一つの「点」であり、「直線」であるといえます。そうした点や直線が集まって螺旋となっていきます。小さな点であり、短い直線かもしれませんが、イエスの導きに従い、主なる神に喜ばれる時間を重ねていきたいと思っています。


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 教会での昼食と神戸森林植物園でのフォト

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  4. 『キリストによる分裂と和解』 (ガラテヤの信徒への手紙 3:26~29) (05/21)
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