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『放浪宣教の手引き』(ルカ福音書9:1〜6)

2018.05.14(20:00) 369

『放浪宣教の手引き』
(2018/5/13)
ルカによる福音書 9章 1~6節

弟子の派遣について
イエスは弟子たちを宣教に派遣するにあたって、まず弟子たちにある力を授けています。9章1節。
「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。」
 どのような力か、分かりません。しかし、そうした力によって弟子たちは、自らの存在の確かさ、神の使者としての正統性を示したのでしょう。そして、9章2節にあるように、そうした確かな存在である者が語る神の国を受け入れること、そして病人の癒やし手として認めさせるという信頼を得ていったのでしょう。ここで興味深いのは、「病人の癒やし」が「神の国を宣べ伝えること(神の国宣教)」と同等に目的として記されていることです。それだけ癒やしを重んじていたと言うこととも言えますが、癒やされることには信頼関係が重要であるということが示されていると言えます。
 そして、3節になりますと、旅に関しての注意事項とも言える内容になります。9章3節。
「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」
 聖書に文句を付けてはいけないかもしれませんが、わかりにくい表現と言えます。
「何も持っていってはならない」とありますが、さらに杖や袋やパンもダメ、下着も「二枚」はダメ、という表現。これには、もともと何らかの考え方があって、それを否定するために回りくどい言い方になっていると想像することが出来るでしょう。
(遠足のバナナ、300円に消費税が入るのか…)

内容の比較
上から見ていきます。
今日の箇所のルカが、一番右側で、9章1節。力、権能の授与について。内容についてあまり違いはありません。しかし、マルコのみ、「二人ずつ組にして」とあります。で、マタイとルカにはない。なぜか?いろいろ理由を考えるんですねえ。マタイとルカは、一人だったのか、とか、人数にこだわりがなかったのか。さらに他の要素から想像してみます。パウロの例をあげてみます。バルナバと最初、旅をしていました。他にも旅の時は、二人だったように思います。パウロの手紙によれば、ペトロは妻と旅をしていたようです。また、エマオ途上の二人の弟子たち。このように考えてみますと、二人で旅をすること、宣教旅行をするというのは、ある意味常識になっていたのではないか。だから、マタイとルカは記さなかったと想像することが出来ます。
 そして、9章3節に当たる部分。持ち物です。まず、杖についての記述に違いがあります。
「杖を一本」これは旅のお供の杖という意味と動物などに襲われたときに身を守るための意味を持っています。ルカでは持っていってはいけないことになっています。これはマタイも同様です。しかし、マルコだけ、杖だけは許可されている。お金も許可されていません。
 またマタイとマルコを比較したとき、履き物についての扱いが違います。マタイでは、「履き物も持っていってはならない」もののリストに記されています。しかし、マルコでは、「履き物は履くように」とわざわざしるされています。これには、当時の教会の中において、意見の違いがあった現れと想像することが出来ます。そして、ルカにおける9章4節の要素、5節の要素については、大きな違いはありません。
 これらの違いをまとめてみますと、だいたい二つの可能性について想像をすることができます。一つ目、より厳しいマタイ福音書の記事の方が元々の形であって、マルコ福音書の方は、ある程度の経験を踏む中で書き換えられた、という想像です。「杖を持たずに」動物や強盗に襲われたり、「履き物を履かず」に足を痛めたり、「二枚ではなく一枚の下着で」苦労する中で、緩やかに変わったという考え方。そして、もう一つは、これらの手引きは理念である、という考え方から、マルコの方が古くて、後から出来たマタイやルカは理念として(実際にこのようにはしない)、厳しくなったというとらえ方ができるでしょう。

パウロやディダケーより
 こうした原始教会のキリスト教宣教の経験に基づいた記事は、パウロの手紙の中にも見いだされます。パウロの苦労の吐露の記事ですが、第2コリント11章26節27節です。(P.338)
「11:26 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、 11:27 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」
 また様々な放浪する伝道者がいる中でちょっとこの人はどうなんだろう?ということもあったことも見られます。『十二使徒の教訓(ディダケー)』という紀元後90~150年頃に書かれたキリスト教文書の一部です。紹介します。お配りしましたプリントの裏面に印刷してあります。十二使徒の教訓11章3~4節。
「使徒と預言者とについては、福音書の教義に則って、次のように行いなさい
あなたがたのところに来る使徒はすべて、主のようにうけ入れなさい。
しかし彼は一日しか(あなたがたのところに)とどまるべきではない。
必要ならば、もう一日(とどまることができる)。もし三日とどまるなら、
その人は偽預言者である。使徒(たるもの)は、出発に際して、
(次の)宿泊まで(に必要な)パン以外は何も受けとるべきではない。
もし金銭を要求するなら、その人は偽預言者である。」
 この時代の背景を読み取ることが出来ると思います。町から町へと放浪し、キリスト教宣教者としていろいろな家を訪ね歩いた人が数多くいたのでしょう。しかし、一日たち三日たっても出て行かない、何もしない。ずっと滞在してご飯ばかり食べて何もしていない、さらにパン以外にチーズやぶどう酒まで要求してくる。そして挙げ句の果てには「お金をくれ」とまで行ってくる。「なんだこいつは~」と言ったところでしょう。そうしたことからこの文書は生まれたのでしょう。それにしても耳が痛い、というか、かなり突き刺さる、言葉でもあります。
 この十二使徒の教訓では一日が基本となっておりますが、ルカではある程度の期間、特定の町に滞在することを前提として、「一つの家にとどまりなさい」となっています。これも時代背景の違いでありましょう。ルカの記事が前提としているのは、まだここの町の教会が教会として小さい規模の時を指しているのだと思われます。そうしたところではそれぞれの宣教者がある程度じっくりと腰を据えて、宣教を行っていたのでしょう。そして『十二使徒の教訓』の方では、個々の教会がかなりの規模になっており、宣教者を何人も受け入れることが出来た、だからこそ、放浪宣教者として暮らしても十分に食べていくことが出来たのでしょう。だから、それに頼る人々が出てきて、問題となったのでしょう。

宣教とは?牧師とは?
 最後に聖書のテキストから離れて、宣教者とはどのような存在であるか?ということを、二つの歌から考えてみたいと思います。これらは学校という場所におけるイメージの歌で、違うと思う方もおられるかもしれませんが、やはり「教会」というだけあり、離れられない思いますので、紹介します。一つは、「めだかの学校」という歌です。
めだかの学校(昭和25年)
「めだかの学校は 川のなか / そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん / みんなで おゆうぎ しているよ
めだかの学校の めだかたち / だれが生徒か 先生か
だれが生徒か 先生か / みんなで げんきに あそんでる」

そして、もう一つは、「すずめの学校」という歌です。
すずめの学校(大正10年)
「チイチイパッパ チイパッパ / 雀(すずめ)の学校の 先生は
むちを振(ふ)り振り チイパッパ / 生徒の雀は 輪(わ)になって
お口をそろえて チイパッパ / まだまだいけない チイパッパ
も一度(いちど)一緒(いっしょ)に チイパッパ / チイチイパッパ チイパッパ」

 何が大きく違うでしょうか?先生の姿であります。「すずめの学校」の先生は、ムチを振るうような先生で、誰から見ても先生だとわかる存在でした。しかし「めだかの学校」の先生は、「だれが生徒か先生か」と歌われていますように、見分けが、つかないのです。ちなみに『すずめの学校』は1921年(大正10年)、『メダカの学校』は1950年(昭和25年)に出来た曲であり、それぞれの戦前の教育と教師像、戦後が目指していた教育像と教師像が、それぞれの歌の歌詞に現れている、と言えるでしょう。

宣教者と信徒の距離感
 また、一般的な教会における教師像というのは、昔ながらの古き良きアメリカにおける長老派やメソジスト派の教会における牧師像に近いかな、と感じています。また、仏教における小乗仏教と大乗仏教におけるお坊さんの立場の違いのように、牧師をあがめることによって、自分も神の国に入れる、というように考える信徒の方もおられるでしょう。
 いろいろ紹介してきましたが、最後に致します。初期の教会においては、イエスのようにカリスマ性をもった存在として、宣教者が捉えられていたでしょう。しかし徐々に、教会が増えていく中において、現代の教会において求められる宣教者の姿が異なるように、時代が変わる中で求められる宣教者の姿も変わっていったでしょう。今という時代の中で、また地域性や教会としての立ち位置によっても変わっていくものです。そのような中で、柔軟であるべきでしょう。そのような中においても、やっぱり聖書に基づいて、人々の希望に基づいて、形づけられている者であろうと感じています。

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        愛知牧場                     瀬戸にて


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『神のみに信頼を寄せて』(マルコ福音書10:23〜31)

2018.04.22(21:04) 368

『神のみに信頼を寄せて』
(2018/4/22)
マルコ福音書 10:23~31

誰が救われるか
 今日の箇所は、「財産についての勧告」として、読むことが出来ます。が、23節のイエスの言葉「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」この言葉をそのまま受け取りますと、この直前の箇所、「財産をもつ青年」がイエスの前から悲しみながら、去っていったように、誰でも少しばかりの蓄えはあるものであり、私達も悲しむべき存在でしかないのかもしれません。しかし、ここで考えてみたいのは、この箇所の読み方は随分と極端な読まれ方が多い、ということです。いくつかの注解書を開いてみますと、大まかに二つの要素が語られることが多いと感じます。一つは、文字通り「財産を持っていると神の国に入ることは出来ない」「財産は悪」という要素、そして、もう一つ「なによりもイエスに従うことが重要」という捉え方です。
 そして教会の歴史において、この箇所は様々な議論を呼び起こしてきた箇所であります。例えば、教会の中には、長い時間をかけて、このような議論が真面目に行われていました。「イエスがまとっていた衣服は、イエスの財産にあたるのかどうか?」と。

中世の教会において —ブラザー・サン・シスター・ムーンより—
 二つの映画をあげて、財産に関するキリスト教会の歴史を紹介したいと思います。一つめは、『ブラザー・サン・シスター・ムーン』、聖フランチェスコを題材にした映画です。12世紀のイタリアで活躍した人で、修道士になり、現在も続くカトリックの「フランシスコ修道会」を作った人であります。フランチェスコは、裕福な商人の跡取りでした。しかし彼は、何もかも捨てて、修道士になりました。一切を捨てて、托鉢をして、廃墟となった教会を建て直すことに専心した人であります。映画の中には、彼が文字通り何もかも捨てて裸で町を出て行くシーンがあります。何も持たず「貧しさ」に生きる、というのが彼の修道士としての生活でした。おそらくフランチェスコは、イエスの言葉に触れており、今日のような箇所に基づいて、こうした決断をしたのではないか、と思われます。
 フランチェスコは自らの持ち物をすべて捨てて教会を建てるために、人々を訪ね歩いて托鉢をしておりました。教会を建てるためであれば、財産を持っていたのであれば、その財産を使って教会を建てれば良いのではないか、と思います。しかし、フランチェスコは「すべてを捨てて」、修道士となり、教会を建てるため、托鉢(お恵み)、今日風に言えば、献金を集めて、教会を建てました。ここには、彼なりの教会への意識、財産への意識があったと感じます。というのは、同じ財産、お金であったとしても、そこには思いが込められている。財産、お金に関して、ただお金があれば良いというわけではない、と考えていたのでしょう。また、カトリック教会における修道会というのは、今でこそ、当たり前のように様々な修道会が存在しますが、当時は、ややこしい立場の存在でした。
 修道会とは、基本的には修道院において、集団生活を行い、祈りや労働などに専門的に従事する集団でした。しかし、フランシスコ会などの修道会は、違いました。カトリック教会の中でも独自の考え方を持って教会を建てようとしていました。そして主流派の教会と、大きく違ったのは、財産に対する考え方です。そうした考え方の違いというのは、主流派のカトリック教会への批判を内包していると言えます。姿勢の違いは同時に考え方の違いであり、内部の異分子という立場が修道会という存在であったと言えるのではないか、と思います。

中世の教会において —薔薇の名前から—
 また、『薔薇の名前』という映画があります。ウンベルト・エーコというイタリアの作家が1980年に発表した小説が原作であり、主人公は、ショーン・コネリーです。13世紀のイタリアとある修道院において、修道士たちが犠牲になる殺人事件を題材にした映画です。
 この映画の中において、フランシスコ会の修道士とカトリック教会のお偉い人たちが、さきほど紹介しました議論をしている場面、「イエスがまとっていた衣服は、イエスの財産にあたるのかどうか?」が描かれています。フランシスコ会は、清貧(清く貧しく)と、言うなれば信仰の二つを柱としています。また、この映画にはショーン・コネリー演じる主人公に、敵対する血も涙もない異端審問官がベルナール・ギーという人が登場します。この人物、かなり残酷な人として描かれておりますが、歴史的に記録も残っている人で、どのように魔女を有罪にしていくか、というマニュアルを記した人として知られています。
 このベルナール・ギーが所属するドミニコ会です。フランシスコ会と敵対していますから、清貧(清く貧しく)なんて価値観なんてもっていないと思っていたら、実は、このドミニコ会も、清貧(清く貧しく)を柱にしています。が、もう一つの柱が違いました。フランシスコ会のもう一つの柱が、「信仰(信頼)」であるのに対して、ドミニコ会は、「神学」を柱としています。そうした姿勢から、正統な信仰とか、こういうものです、と決めて、正統的な神学から外れた人々をどんどん裁いていたわけです。
 この時代、「貧しさ」を重んじる異端とされる教派が、幾つも生まれていました。そうした土壌、背景を多くの地域で共有していたからでしょう。莫大な財産を保持していたカトリック教会への批判、一般民衆の貧しさ、そして今日の聖書の箇所のようなイエスの言葉が根底にあったのではないか、と考えています。『薔薇の名前』の中にも貧しい人々が登場し、また極端な異端的な信仰を持った人々が登場します。当時は、まだ聖書の言葉が一般の人々が知ることはなかったのですが、一部の人には、今日の箇所のようなイエスの財産に関するラディカルな(根本的な)問いの言葉が伝わっていたのでしょう。おそらく、多くの異端者と共に、名も無き多くのフランチェスコがいて、違いはそんなに大きくは無かったのではないでしょうか。
 祭司は都市という都市、町や村の有力者がなるもの、司祭職もお金で売買される、司祭の子は司祭となり、多くの財産を所有するようになっていた。そうした古代カトリック教会に対する不満の受け皿として、異端とされた教派があり、フランシスコ会がありました。そしてフランシスコ会など修道会はカトリック教会に認められることは認められましたが、事細かな規則によって、教皇への絶対服従が、厳しく管理されていました。また、ただ単にフランシスコ会を教会の新しい形、信仰を認めたというわけではなく、フランシスコ会を、いわゆる異端と正統をわける防波堤として作ったという狙いがあるわけです。
 存在として、両義的だったわけです。フランシスコ会という集団は、清貧思想を持つ人々の受け皿となっていきました。そして同時に、フランシスコ会も異端審問の役割を担っていました。「自分たちまでは正統、その枠より出てしまったら、異端である」という立ち位置だったわけです。そして、こうした教会への財産に対する問いは、この時代以降も、どんどん大きくなっていきました。一般の人々からの目もありましたが、ヨーロッパ諸国の王族にとっても、古カトリック教会の力、財産は目の上のたんこぶだったでした。そして、そうした批判的な様々な小さな流れが、どんどん大きくなっていき、15世紀のドイツ、ルターを初めと知る人々に始まった宗教改革に繋がっていったわけです。宗教改革は、「聖書のみ」という言葉がよく知られています。
 現在でも、セクシャルハラスメントに対して、「Me Too運動」という運動があります。最初は、小さな1人1人の声の声でした。しかし、それが一つの国の中で、また国境を越えて大きな流れとなっていっています。教会の変化も、フランチェスコからルターまで300年近くの年月が経っていますが、確実に変革が進んでいた。気の遠くなるような歴史の流れですが、社会でも教会でも変化というものは、そのような形で進んでいくのかもしれません。

現代の教会において
 聖書のテキストに戻って今日の箇所、10章29~30節をお読みします。
「10:29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、10:30 今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」
 家族や育った家や土地を捨てること、農民を前提としている言葉に感じられます。全てを捨てること、いわゆるイエスの弟子たちは、すべてを捨てて、イエスに従いエルサレムへの道を歩みました。では、それ以外の人々は、救われないのか、というとそうでもないでしょう。イエスは癒しを多く人に行っていますが、「従いなさい」と言っていることは実はないのです。ですから、今日の箇所の直前の金持ちの青年への言葉は、かなり例外的なものであります。イエスとしては、自らの正義というか正しさを誇る若者に対する試みと言えるかもしれません。このような想像が成り立つのではないでしょうか。イエスとしては、彼が財産を持っているかどうかということよりも、自分を神に対して、誇ること、そちらの方がある意味、気になったのではないか、もっと進んでいえば、気に障って、このような問いを問うたのではないか、と考えられるわけです。
 たしかに、神のために財産を捨てることができるか、という、とても強い問いではあります。簡単にできることではありません。どんな人でも少しぐらいの蓄えはあるものです。そうした背景や文脈から考えてみますと、やはりイエスは財産の善し悪しという単純な問いを問うているのではないのではないか、と思えます。そして、イエスがこの若者に問うたのは、あなたは、神に対して、どれだけ信頼を寄せて生きているのですか、ということではないでしょうか。またこういう問いかもしれません。
「あなたは確かに、神の教えに従って生きている。しかし、それは誰の力、何の力によってなのか?また、何もなくなったとき、神に従うことが出来るのか?」

神のみに救いを寄せて
イエスは福音書のあらゆる箇所にいえることですが、様々な箇所で「物事の逆説」を説いております。今日の箇所でも、「財産の所有」に関する話かと思えば、「家や兄弟、姉妹、母、父、子供、畑」を捨てたとしても、それを何百倍にも受け取る、「先の者が後になり、後の者が先になる」と。金持ちの若者は、自らが善とされる、義人と認められることを望みました。考えてみると、何のために?という問いも出てきます。神に信頼するという姿勢は、同時に、自らの評価、自らが善とされるか、悪とされるかということも含めて、神に委ねるということにつながるでしょう。
 私たちのあり方に引き寄せてみて、このことを考えたらどうなるでしょうか。聖書を読んだり、教会に足を運ぶこと、神さまに、またイエスさまに善とされるためであるとしたら、今日の箇所に現れるイエスはどのような言葉を私たちに投げかけるでしょうか。
 ある知識人が、現代を捉えたとき、うろ覚えですが「『~のために』ということが多すぎる社会だ」という趣旨の言葉を聞いたことがあります。そういえば、よくよく「将来のため」「安全のため」「安心のため」「安定のため」「健康のため」などという言葉によって、随分と息苦しい思いをしたことはないでしょうか。
 今日の箇所10章26節にこのようにあります。
「それでは、だれが救われるだろうか」、と。
 金持ちの若者は、「救いのために」、神の言葉に従っていたのでしょう。イエスはそうした姿勢を糾そうとしたのではないでしょうか。確かに、人の力では誰も救いに至ることはできないでしょう。今日の箇所は、神の力に信頼を寄せて歩むのなら、イエスの導きに身を委ねて、歩むのなら、人はきっと救いに至ることができるとこの箇所は述べているのではないでしょうか。神にのみ信頼を寄せること、人には不可能なことかもしれません。しかし、そのような目標、道しるべを持つことによって、人はより良い道を歩むことが出来るのではないでしょうか。


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『信仰の原点としての復活』(ヨハネ福音書20:19〜29)

2018.04.08(22:07) 367

『信仰の原点としての復活』
(2018/4/8)
ヨハネによる福音書 20章 19~31節

ヨハネ福音書における受難と復活
 ヨハネ福音書の特徴は、一貫して、イエスが神と共にいた存在として描かれているところにあります。
 有名なヨハネ福音書の冒頭、1章1節「1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」また、1章14節をお読みします。「1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
 この言(ことば)は、イエスのことを指しています。「先在のキリスト論」という言い方をして、キリストはこの世の始まりから、神と共にいて、神から離れてこの世にやってきたという神学論であります。そして、ヨハネにおけるイエスは、この神学に基づいて、何もかも最初から最後まで、あらかじめ知っているという立場で描かれています。
 大貫隆という神学者は、「金太郎アメみたいな文書」と表しました。言うなれば、最初から最初まで、同じことを伝えようとしているからです。イエスは、救い主であり、先在の神であり、すべてを最初から最後まで知っていた、ということです。ですから、ヨハネ福音書におけるイエスは、自分が逮捕される状況になっても、処刑される状況になったとしても、恐れることも、叫び声を上げることはありません。ただ、予定どおりに事柄がなされること、ただ予定されていた時間が過ぎていくことだけのように、時を過ごしていきます。
 そうした有り様が、末期のぶどう酒を口に含んだとき「渇く」といった言葉、また事切れるときに語った「成し遂げられた」という言葉に現れています。そうしたあり方は、マルコ福音書とは、まったく逆のものと言えます。マルコ福音書において、受難、イエスの地上に於ける苦しみとは、イエスがこの世の歩み全体を指している様に思います。というのは、マルコにおける悲劇性というのは、弟子たちがイエスへの無理解、そして裏切りに重点が置かれていると捉えられるからです。イエスは、何度も自らが十字架にかかる、と宣言していながら、そのことを理解していませんでした。弟子たちは、あくまでイエスがユダヤ人の王となることを期待していた。まあ、おそらくイエスがゲッセマネの園で逮捕される瞬間でもそのように考えていたでしょう。ですから、ペトロにおいても、他の弟子たちにおいても、「たとえ、命を失おうとも従います」ということができたのでしょう。そうした弟子たちの無理解とイエスの思いの違い、ズレに悲劇性があるわけです。
 ヨハネ福音書におけるイエスは、最初から最後まで知っている、ということは、一つ問題が起こってくるわけです。受難にならないわけです。全部、知っているとなると。そして、このことが神学という不思議な学問でいうと、大きな問題となるわけです。というのは、キリスト教徒の救いというのは、イエスの苦しみと命(死)によって贖われた、ということになっています。が、先在のキリスト論、ヨハネ福音書におけるイエスの有り様ですと、イエスが命を捧げたということに関しては、まったく問題がないのですが、苦しんだか?というと、少し問題になって来ていたと考えられるのです。

疑いの視点
 ヨハネ福音書は、90年代に生まれたと考えられています。そして比較したマルコ福音書は、4つの福音書の中で一番古いと考えられ、西暦でいうと60年前後、そして、その間、大きな違いがあったでしょう。イエスの死と復活は、30年と考えられています。マルコ福音書が生まれた60年だとしても、30年経っています。そうすると、直接にイエスの言葉を聞いた人も少なくなってきていたでしょう。そうした状況から福音書が生み出されたと言えます。しかし、ヨハネ福音書が生まれた時代は、それよりも、更に30年です。直接に、イエスを知っている人がいるかどうか、分からない時代です。そうした状況の中において、本当にイエスがいたのかどうか、本当にキリスト、救い主、神の子であったのか、疑問に思う人も増えてきたであろう時代です。そして同時に、このような問いもされたでしょう。極端に言えば、このような問いでしょう。
「イエスは、ただの犯罪者であったんじゃないのか。」「ただ、ローマ帝国や神殿に反抗したテロリストじゃないのか」
キリスト教徒の間でも、こんな問いがあったと思います。
「本当に神の子だったのか」「イエスの死が私たちと関係あるのか」「イエスが私たちの罪のための犠牲となったというのは、本当か?」…。
 今日の箇所の最後の箇所、20章29節の言葉をお読みします。
「20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

ヨハネ福音書における受難
 復活の記事は、各福音書によってかなり違いがあり、その福音書にしか記されていない特殊資料も多いという特徴があります。そうしたことから、今日の記事に至るヨハネ福音書におけるイエスの復活について、なぞってみます。十字架刑の後、イエスの亡骸は亜麻布に包まれて、大きな岩が入り口に置かれていた横穴の墓の中に納められます。が、三日後に、マグダラのマリアが訪ねていきましたが、大きな石はどけられて、遺体がなくなっていた。
 驚いてペトロともう1人の弟子を呼びに行って、3人でその遺体が失われていることを確認して、悲しんでいた、その後ろにイエスが現れ、主イエスが復活したことを知った。その後、弟子たちが集まって隠れていた家に、またイエスが突然現れて、手とわき腹を見せ、たしかに十字架にかけられたイエスであることが示された。しかし、その場に、トマスはおらず、復活について疑いを抱き、「傷に指を入れる」と言った表現までして、イエスの復活の事実を確認すること求めます。トマスのイエスの傷に指を入れてみたいという言葉。神学書などを開いてみますと、「イエスさまが釘で打ち抜かれた手の傷、槍で刺されたわき腹の傷に触れることによって、主イエスの痛みを知るためであった」という説明もなされる言葉であります。とても信仰的な捉え方と言えます。しかし、他の福音書における受難物語のとらえ方や強調点の違いを考えたとき、必ずしも、そのようには言えません。
 また、ヨハネ福音書が生まれた時代、キリスト教会はひどい迫害状況にあったと言われています。非常にグロテスクな表現は、そうした迫害状況の反映かもしれません。具体的にキリスト教を信じることによって、十字架に付けられたり、槍で傷つけられている人がいたとも考えられるわけです。そのように考えてみますと、トマスが、イエスの傷に指を入れなければ信じない、という言葉も非常にグロテスク、悪趣味な表現もそうした雰囲気を表している、また迫害の中における教会の友たちの言葉、叫び、と考えてみますと、うなずけるような気がします。そして、そうした痛みは、再びイエスの苦しみの意味を問う問いに繋がるでしょう。イエスの苦しみが私たちの罪のためのモノだったのか?
 ヨハネ福音書の生まれた時代に迫害を受ける人の苦しみが本当に無駄なモノではなく、意味あるものだったのか。50年前の一人の男性の苦しみが、わたしたちの罪のためだったのか。そうした議論がこのトマスの言葉の背景にはあったのではないでしょうか。イエスの復活、キリストの復活が本当にあったのか無かったのか、ということ、「聖書にそのように書いてあるから信じる」という人もいるでしょう。しかし、聖書の記述について、考えてみますと、一つ、大きな問題があることに気がつきます。福音書というものは、復活について、信じている人が書いている、ということです。歴史書や記録ではない、ということです。そうなると、客観的な証明という意味では、まったく成り立たないということです。

復活を信じるではなく…
 そんなヨハネ福音書の背景について考えてみますと、イエスの苦しみについて考えることは、同時に復活について考えることではないかという考えに私は至ります。また、イエスを神の子として信じること、またキリストとして信じることは、同時に復活について信じること。福音書を読むこと自体、そういう構造になっているのではないか、ということです。ヨハネ福音書の著者にとって、復活は疑いようの事実、前提とされているわけです。そうしたことを、疑いを持ってしまった人々、時代を超えて同じような思いを持つような人々に伝えようとしているのではないか。
 今朝、テレビで「こころの時代」を見ていました。現在、70歳前後のアメリカで育った日本人で仏教を宣教している人の話でした。その人が、キリスト教のことを指して、(何かしらの事柄や教義を)「信じる宗教」であるという表現をしておられました。また仏教のことを指して、「信じる宗教ではなく目覚める宗教である」ということもおっしゃっておられました。たしかにその通りかもしれません。よく言われることです。キリスト教を信じるとは、イエスが神の子であるかどうか、を信じること、復活したかどうかを信じることだ、と。しかし、聖書のテキストから示されることは実はそうしたことではない、ということを最近考えております。私が考えているキリスト教の信仰というのは、「信じる宗教」というより、「(イエスの後を)歩む宗教」ではないか、ということです。本来、キリスト教を信じるというのは、イエスの存在が自分自身の生き様に関係があるということだけで十分ではないか、と思っています。
 いわゆる教義的な信仰のあり方、「復活」というのは、信じるか信じないかではないということができるのではないでしょうか。イエスの苦しみが私と関係がある、イエスは私たちのために死んだのだ、ということを信じる時点で、イエスの復活を受け入れるということに繋がるのではないでしょうか。また、イエスの痛みに共感する、痛みを覚えるという時点で、自分とは違う他者の痛み、存在に対する共感も出てくるでしょう。そうしたあり方一つ一つが、イエスの復活を受け入れることに繋がっているのではないでしょうか。


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 母親の誕生日祝いでした。


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『今も続く裏切りと許し』(マルコ福音書14:32~42)

2018.03.19(20:23) 366

『今も続く裏切りと許し』
(2018/3/18)
マルコによる福音書14:32~42

祈り
 「祈り」というのは様々な宗教に見られることです。宗教にとって、また人にとって普遍的なことと言ってもいいかもしれません。「祈り」とは何か、キリスト教の枠内においては、神との対話、という言葉が一番適切ではないか、と思います。しかし礼拝の中でなど祈られる祈りには何かしら制約がかかる、ということを意識したりします。私が小学生の頃、お祈りは食事の前と眠る前に強制的させられました。今から考えてみますと、これはすごい宗教教育であったなあ、と思います。また祈りを学ぶというのは、基本的には自分で祈りよりは誰かが祈っている言葉や姿を見聞きし、自分のものにしていくものでしょう。そういった意味で言えば、祈りというものは、ただ神に祈るというだけではなく、教会なり家族なり共同体の中で、受け継がれていくもの、作り出していくものといえるでしょう。
 イエスも祈りについて様々なことを語っております。祭司たちに対する批判的言説として「見せかけだけの長い祈り」(マルコ12:40)「目立ったところで祈りたがる者への批判」(マタイ6:5)、そして信仰者へのすすめとして「目立たないように隠れたところで祈れ」(マタイ6:6)という言葉があります。そして続く6章9節では祈りの勧めとして、現在、私たちが祈っている「主の祈り」を弟子たちに告げております。
 今日の箇所でイエスは神に祈りを捧げております。が、考えてみますと、不思議なことが二つあると言えるのではないでしょうか。一つは、イエスが神であるとするのであれば、同じく神である父に祈りを捧げている、ということです。神が神に祈りを捧げている。祈りが何らかの願い事をすることであれば、これはおかしなことといえるのではないでしょうか。そういった意味で言えば、この祈りは、願いと言うよりも「対話」とも言えるものではないか。そして、もう一点、不思議な点、それは今日考えてみたいテーマにも繋がるのですが、ゲッセマネにおいて、イエスが祈った祈り、いったい誰が聴いたのでしょうか。3人の弟子たちが近くにいました。しかし、過越祭の食事を終え、お酒も入っていたのか、寝入ってしまっていました。
では、誰が聴くことができたのか。誰も聴けなかったのではないでしょうか。しかし、この祈りは、事実であるかどうかで言えば、事実ではないかもしれません。しかし、弟子たちにとって、また後の共同体において、真実であったということが言えるのではないでしょうか。今日のメッセージでは、どういった意味で、イエスの祈りが、真実であったのか、真実となっていったのか、ということを考えていきたいと思います。

弟子たちの汚点
 今日の箇所の舞台は「ゲッセマネの園」であります。エルサレム神殿の東側のオリーブ山のどこかと考えられております。「ゲッセマネ」とは、もともとは「油しぼり場」を意味するそうです。おそらくオリーブの木がよく茂った森で、よくオリーブの実をとれたか、実際に搾る場所だったのでしょう。そこにイエスと弟子たちがやってきました。そして32節で「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と弟子たちに声を掛けております。そしてイエスだけで進むのか、と思いますと、33節では「そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われて」と記されております。ペトロ、ヤコブ、ヨハネは中心的な弟子たちと考えられておりますが、3人以外の弟子たちは、園の入り口で、他の弟子たちより近い場所で、イエスが祈る姿を見ていたでしょう。また、彼らの共通点をあげるならば、一番最初からイエスの弟子であった者たちでありました(マルコ1:16)。
 イエスは、3人の弟子とゲッセマネにやってきました。しかしイエスは3人と共に祈るわけではなく、イエスはその3人の弟子たちからも離れて祈ります。そうした場面は、他の箇所にもありますので、イエスは神に集中して祈る時には、一人祈ることを日常的に行っていたのでしょうか。そして33節には、イエスが「恐れてもだえ始め」と記されておりますが、これは直訳しますと「肝をつぶして」という言葉です。そして34節のイエスの言葉「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と弟子たちに声をかけ、一人、弟子たちから離れていって祈り始めます。マルコ14章35節36節をお読みします。
 『14:35 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、14:36 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」』

栄光から受難へ
 12弟子たちは、いわゆる受難週と呼ばれる期間の一週間の出来事、このエルサレムにおける出来事をどのような思いを持って、振り返ったのでしょうか。ロバにのったイエスに伴ってエルサレムへ入場したときから始まった特別な時間。一週間ではなかったかもしれませんが、そんなに長い期間ではなかったでしょう。エルサレムへの入場、最高の時間であったでしょう。イエスはメシアとしてユダヤ人の王として君臨するのだ、そんな思いもあったでしょう。しかしすぐに雲行きは変わってしまいます。エルサレム神殿においてイエスは商人や両替商の屋台をひっくり返すという大事件を起こします。おそらく、このことによって民衆の心は離れ、イエスのことを面白く思っていなかった権力者たちは、その時を逃さないと動きだし、その動きのユダの裏切りが連動します。
 そして、過越祭の食事を、イエスを中心にして、守りました。弟子たちはどのような思いであったでしょうか。私たちは文脈から前後の関係から、最後の食卓ということを知っています。そうしたことから、イエスと弟子たちのやり取りにも、なんとなくのもの悲しさを持って読みます。しかし、当のイエスや弟子たちはどのような思いであったでしょうか。イエスとしては、その後の歩みについて、これまでの歩みで何度か語ってきた受難予告、
「「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」」(マルコ10:33-34)
と予告した時がついにやってくると考えていたでしょう。しかし、弟子たちは不吉な予感を感じながらも、メシアとして、ユダヤ人の王としてイエスが君臨することを期待していた、そうした希望を持っていたのではないでしょうか。しかし、そうした希望は打ち砕かれてしまいます。食事の後、ゲッセマネの園に3人の弟子たちと行き、祈っていたところ、ユダに伴われて、神殿の権力者たちとローマ帝国の兵士たちがやってきて、イエスが逮捕されてしまいます。弟子たちはちりぢりになって逃げていきました。

ペトロにおける受難週
 イエスが逮捕された後、ペトロだけが、イエスの裁判が行われるであろう、大祭司の家までやってきて、事の成り行きを知ろうとしました。取り返そうなどとは、考えることも出来なかったでしょう。ただ、気が気でなく、危険を冒しながらも行ってしまったのでしょう。そうした心理状態がよく合われているのが、「イエスの弟子ではないか」と疑われて、逃げてしまった場面ではないでしょうか。そして、逃げていく途中、ニワトリの鳴き声を聞いて、まずイエスのペトロに対する予告と自らの誓いを思い出したのではないでしょうか。マルコ14章30節31節。
「イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」…」
 最後の晩餐の場面、絶対に裏切らないと誓いながらも、3度もイエスを知らないと言った。そして、朝を告げる鶏鳴、ニワトリの鳴き声を聴いたとき、第一の使徒ペトロは、イエスの自らへの裏切りと許しを知った。そして、そのことを何度も、人の前で語ってでしょう。そして同時に何度も何度も、ゲッセマネの園へ歩むイエスの顔、そして一人離れて祈るイエスの背中、戻って来たときのイエスの顔を思い返したのではないでしょうか。

イエスとの記憶を思い返す
 ペトロは、第一の使徒、イエスを失った後の原始キリスト教の群れを率いた人物であります。そして、他の使徒たちもこの一週間のことを、何度も何度も、繰り返し思い出したでしょう。また、他の使徒たちも同じように、この一週間のこと、教会的には、受難週と呼ばれる期間、イエスの受難と復活について、宣教の業、伝道の業として、何度も何度も語ってでしょう。なぜならば、それがキリスト教における主なる神の愛の証明の根幹であり、同時に、神の赦しの根幹でもあるからです。
 また、宣教者として、使徒としての歩みの中で、受難予告には、どのような意味があったのか?様々な喩えで語られた神の国とはどのようなものであるのか?そして、癒やしの奇跡に現れた神の力とは?イエスは、なぜエルサレムへの上っていったのか?メシアになるとは?キリストになるとは?そして、結果的に、最後の食事となった晩餐におけるパンの意味、ぶどう酒の意味、そして語られた言葉の意味とは?そして、ゲッセマネに祈っていたイエスは、どのような祈りを祈っていたのだろうか。そんなことを考え続けたのではないでしょうか。
 最初に、ゲッセマネにおけるイエスの祈りは、事実とは言えないが、真実である、ということを述べさせて頂きました。歴史的事実として、イエスがどのような言葉を語ったかは絶対にわからないと言えます。しかし、ペトロや使徒たちが、イエスとの歩みを振り返りながら、つづったゲッセマネの祈りは、彼等の歩みの始まりであり、その歩みに続く教会にとっては、事実ではないにしろ、真実としかいえない意味を持っているのではないでしょうか。

イエスの祈り
 イエスのゲッセマネにおける祈りは、ペトロや弟子たち、そして初代教会のキリスト者にとって、自分たちがキリスト教徒、イエスが救い主である、ということの証明とも言える内容になっています。もう一度、その部分をお読みします。マルコ14章36節。
「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
 「この杯をわたしから取りのけてください」という言葉、イエスに訪れる悲劇的な最後、十字架刑のことをさしています。できることならば、誰だって苦しみはいやです。当然の願い、そして人間的な願いと言えます。そして、それに続く内容は、それとはまったく逆のことです。「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」これとは先ほどの意味とは逆のことです。「御心に適うこと」が達成される、とはイエスの受難がそのまま実現する、ということです。先の祈りが人としての祈りと言うのであれば、これは神としての祈り、また殉教者としての祈り、人の罪の犠牲として、贖いとしての祈りということが出来ます。

復活とは?
 教会の始まりには、弟子たちの使徒、イエスがキリスト(救い主)である、という使徒、イエスの証言者としての力強い歩みが最初にありました。ペトロや他の弟子たちは、どのような思いで、ゲッセマネにおけるイエスの姿、最後の晩餐におけるイエスの言葉、また十字架を担いでゴルゴダへの歩むイエスの背中を思い出したとき、どのような思いであったでしょうか。自らの「裏切り」という罪を思ったでしょう。しかし、その罪をイエスは、自らを犠牲とすることで、「許し」た。そうした内容が、ゲッセマネの祈りには込められています。
 復活とは、イエスの弟子たちの許しとして行われたと捉えることが出来ます。なぜならば、許しがなければ、イエスは弟子たちのところには現れなかったのではないでしょうか。現れたからこそ弟子たちはイエスのことを救い主として語る歩みを歩み出すことが出来たのではないでしょうか。最初に「許し」があったからこそ、力強く彼らは、イエスと共に歩んだ道を導き手であるイエスを失ってもなお、自分たちで歩みだそうと歩みだせたのではないでしょうか。そのような「許し」によって始まった歩みこそが、教会の歩みなのではないでしょうか。
 そして、その教会の歩みは、今も続いていると言えます。私たちは、ペトロや弟子たちのような弱さを持っており、時にイエスを裏切るような行いをしてしまいます。しかし福音書において、またイエスの受難と復活、そしてゲッセマネの祈りに現れているのは、そんな私たちも常に許してくださり、常に共にいてくださるイエスの姿ではないでしょうか。


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周縁自体


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「持つ者と持たざる者の救い」(マルコ10:13〜22)

2018.03.04(17:31) 365

『持つ者と持たざる者の救い』
(2018/3/4)
マルコ福音書 10;13~22

神を知るということ
 今日の箇所、イエスと弟子以外に二人の登場人物が現れます。問題となっているのは、それぞれ「神の国に入ること」、「永遠の命」を得ることとなっていますが、内容的には、同じことです。そして、こうした箇所から私たちはイエスの意志、神の意志を触れ、自分たちの生きる指針にしていくわけです。そうした積み重ねの中において、イエスに触れる、神の触れることが出来るのではないか、と私は考えています。
 また、言い方を変えれば、完全に聖書を読み解いたとしても、正しい読み方があったとして(私は無いと思っていますが)、それを実践したとしても、理解出来ることはない、あくまで神そしてイエスを空間の中にある一つの人物、物体と捉えたとして、人の目、人の側から見えるのは、一面でしかないわけです。そうした意味で言えば、あくまで一部しか理解することは出来ない。そんな謙虚さが信仰ではないか、と思ったりしています。
 また、キリスト教であろうとなかろうと、酷いヤツもいますし、逆に良い人もいます。また更に、洗礼など受けていなくても、「あの人はクリスチャンみたいだ」とか「キリスト教精神を持っている」と思う人もいます。と考えていくと、いったい何がキリスト教なのか、ということは、ずいぶん曖昧なのかもしれない、というように感じます。

無力な子どもとして
 聖書の話に戻りたいと思います。今日の子どもについての10章15節のイエスの言葉、
「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ10:15)
また、金持ちの男に対する10章21節のイエスの言葉、
「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(マルコ10:21)
どちらも、とても困難な指針であると感じます。どちらも有名な箇所、言葉であります。しかし一緒に読まれるということは、あまり無いように思います。今日は、それらの言葉を共に、一緒に読み解いたとき、どのような導きがあるのか、というように感じます。
 最初に前半の子どもに関する話に触れます。イエスは「子供のように神の国を受け入れる人でなければ」と語っておりますが、イエスが生きた時代の価値観からいえば、まったくナンセンスなこと、まったく不可解なことです。なぜなら当時の考え方において「神の国」や「永遠の命」に至るためには、正しい律法の理解や律法の実行が必要となります。しかし、ユダヤ教の考え方において、子供とは完全ではない者、律法の教育を十分に受けていない者です。そうしたことから考えてみますと、イエスが語った言葉、子どもが神の国を受け入れるような人でなければ、入れないという言葉はそういった考え方を、正面から否定する価値観と言えます。また、この「子供のように」というところがポイントです。子供のように「無邪気に物事を受け入れる」態度でなければ「神の国には入ることが出来ない」という意味でしょう。また同じ内容であっても、「何も知らずに」と否定的にいうこともできますし、「無垢に」と言えば肯定的な感じがしますが、あくまで、ユダヤ人たちの文脈においては、「子どものように」とは、保護の対象ではあると思います。また、極端な例ではありますが、律法には、親の言葉を聞かずに育ってしまった子どもは殺してしまっても善い、という箇所まであります。(申命記21:18-21)

金持ちの男として
 次に、金持ちの男性がでてきて、イエスに問います。10章17節。
「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
 この男性、自らの正しさを絶対の自信があったのでしょう。イエスが十戒の戒めを示すと、重ねて言います。10章20節。
「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。」
 すごい自信です。なかなか言える言葉ではありません。しかし、イエスは、この男性、若者のように思いますので、若者といいますが、若者に言葉を返します。10章21節。
「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
 何が問われているのか、と言えば、一人の倫理的な行動ということだけではなく、立ち位置というのでしょうか。豊かな家、財産をたくさん持っている家庭に生まれたこの若者。自らが他者に比べて、恵まれていること。また厳しい言い方をすれば、そうした豊かさに守られているからこそ、律法の一字一句を守ることができた、ということをイエスは問題としている。また更に言えば、地上における富というのは、イエスにとっては価値の無いもの、もう一歩進んで言えば、イエスが語った「貧しい人々のために施す」という勧めは、本来、それぞれの人に必要なモノを、豊かな者が不当に得ているのは善くない、という考え方が根底にあるのでしょう。主なる神の恵みは、あらゆる人に当分に与えられるべき。イエスの言葉で言えば、
「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5:45)
そうした完全平等主義的な考えが根底にあるのかもしれません。

中途半端な存在である私たち
 福音書は、イエスの歩みが時系列をもった物語風にまとめられたものであります。その前には、断片的な一つ一つのエピソードがあり、それが組み合わされているわけです。ここで、子どものエピソードと金持ちの若者のエピソードが並べられていることは、編集者の意図があるでしょう。そして何を伝えたかったか、と言えば、主なる神の救い、そしてイエスの語る救いの幅についてではないでしょうか。
 私たちは、誰でもイエスさまの前に立つとき、また主なる神さまの前に立てば、不完全な子どものような存在であります。そういった意味でいえば、今日の聖書の箇所にあったように、私たちは誰であっても、そのままでイエスさまに受け入れられている存在であります。同時に金持ちの若者のように、自分たちはこのように善いことをしてきた、だから、神の国に入れるはずだ、永遠の命を得られるはずだ、と思っている存在です。子どもの存在とこの若者の存在、私たちの信仰とは、常にこの子どもと若者の間にあるのではないでしょうか。完全に子どもでもないし、完全にこの豊かな若者でもない、中途半端な存在として私たちは神の前に立っているのではないでしょうか。財産、力、能力、年齢、あらゆる意味で、人は違いがあります。信仰においても、教会だとすれば、教会の中での働きにおいても違います。私たちは、時に「持つ者」になり、「持たない者」になります。しかし、どのような存在であっても、神は私たちを常に救いに導こうとしてくださっている、というのが、キリスト教信仰のあり方ではないでしょうか。

救いを求めて
 最初に、キリスト教とは何か、といった話。内容的には、神義論的な議論、神とはどのような存在か、神の義、神が義となさることはどのようなことか、という議論です。一般的に、キリスト教徒、クリスチャンとは、洗礼を受けること、教会に日常的に通うこと、といったことを指すと思います。が、本当にそうだろうか、という思いがあります。教会に行っていなくても、キリスト者っぽい人もいます。また聖書や教会を知らない人であったとしても、またアーメンと祈らなかったとしても、この人は、イエスの歩み、キリストにつらなる者である、という人もいるでしょう。
 では、洗礼を受けるとはどういうことなのか、教会に通うとはどのようなことか、私なり言えば、キリストの教えに従って神の前において、常に謙虚に歩み出す決意をする、ということではないか、と思っています。私たちは、神の前に立てば、今日の箇所に従えば、どこまで行っても、子どもとこの金持ちの男の間にいるのではないでしょうか。時に、イエスが語った子どものように、まったく力ない存在として、また時に、金持ちの青年のように自らの行いによって正しさを証明しようとして存在です。イエスがこの二つのエピソードで示したのは、常に主なる神の前に、謙虚であること、それが信仰の始まりである、ということではないか、と感じます。

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